ディズニー通いをやめられない理由
今日は15年来の友人とディズニーへ。
彼女と2人でパークを訪れるのは10年ぶりだろうか。学生時分以来だ。
この10年、彼女と私の交流はほとんど年賀状だけであったにもかかわらず
10年前と変わらない距離感で一日中過ごせたことは幸せこの上ない。
私は運と友達に恵まれている。
彼女と過ごすディズニーは、家族や他の友人と行く場合とは違っている。
やりたい事が厳選されていて、故にゆったりとして、最高に贅沢。
一人で訪れるのももちろん好きだが、「大人」の時間を「共有」できる友人は彼女だけだ。
前置きが長くなったが、マゼランズというレストランを利用した。
2歳児を連れては決して行かない、コース料理を堪能する場所。
(連れていくことは可だが、料理に集中できなくなるので個人的には決して選択しない。)
前菜は
メロンのデクリネゾン
デクリネゾン...フランス語の語尾が変化する様を表した単語。転じて一つの食材をさまざまな調理法で味わうという意味。
メロンを色んな食べ方で楽しむ前菜、ということで
●コンソメジュレとメロンをパイ生地とサーモンのタルトに乗せたもの
●生ハムメロンをフリットしたもの
●甘エビといただくメロンのガスパチョ
この一皿に何度驚いたか、既にわからない。
タルトレットの下には美しいパステルオレンジのソースが。こちらはママレードが入っていたよう。
フリットの横にはディルを使ったソースが添えられて緑が鮮やか。春と夏の合間の季節がそのままお料理になったみたい。
ガスパチョはビネガーの酸味と甘みが効いていて、甘エビと共に口にするとカルパッチョのように爽やかで、フリットは生ハムメロンの新たな解釈を与えてくれた。
お魚料理は
鰻の赤ワイン煮
てっきり大きなお皿の真ん中におしゃれ味の鰻が乗って出てくるのかと思いきや
平皿の左側に黒米が控えめに盛られ、その上に見るからにふわふわな鰻が鎮座していた。お皿の中央に黄色のソース。コーンのソースだった。
バニラの香りのフォームと山椒でお化粧した一皿。
目の前にお皿がサーブされた瞬間から香り立つ山椒。
赤ワイン煮、という説明におそるおそる口に含んだ鰻は蒲焼を連想させるやや甘めの味付けで、良い意味で赤ワインは主張しない。
国米の食感を決して邪魔しないけれどきちんと存在する鰻。
なるほど、お洒落うな重か。
と思った私をぶん殴りたい。
コーンのソースをかけるとまるで別物だった。
主張の強い食材をコーンが丸っとまとめあげる。
完全にフレンチに変化した。
お肉は期待を裏切らない
和牛ロースト
プロヴァンス風ソースの香味やかぼちゃとポテトのマッシュ、丁寧に調理された付け合わせの茄子、パプリカ。
驚きに満ちた前菜と魚料理も
丁寧なお肉料理が道筋を立ててくれるから一つのコースにまとまる。
そして、私が1番聞いて欲しいのはそう
デザート
カシスカスタードとブドウのマリネ、カシスアイス添え
人生のほんのちょっとの間パティスリーに勤めた私は
デザートこそがコースの完成度を左右すると信じている。
カシスはとても酸っぱいフルーツだ。
つまり酸が強い。乳製品にいきなり混ぜたら乳脂が凝固してしまうのでカスタードクリームと合わせるには技術が要る。
もちろんこのあたりは難なくクリアされているが
これを難なくクリアしていることにこそ感動する。
半球状の一口大のカシスムースは、ゼリーのようなつるりとした口当たりで
乳製品がかなり少ない配合と思われた。これと一緒に食べることでカシスカスタードのこっくりとした味わいにコントラストが生まれ
決して飽きずに食べ進められる。
巨峰のコンポートが、カシスに擬態した様に潜んでいて
カシス尽くしの一皿の中に
ほっとする休憩のような時間がもたらされる。
中央に白と紫のマーブル模様のアイスが、ビスキュイを台にして鎮座する。
カシスのシャーベットと練乳のような甘みのあるミルクアイスが、混ざるのではなく
別々に存在する事でお互いを引き立てあう。
このアイス、徹底した温度管理がなされている。
テーブルに現れた時が最高に美しい姿であるよう
冷えすぎたアイスが外気で結露→霜で白くなるような事がないよう
そしてスプーンが無理なくアイスを貫通するように。
某アイスクリームチェーンや自宅の冷凍庫から出したアイスが
外気に触れて白くなるのを誰もが見た経験があると思う。そしてスプーンが無力にも突き立てたアイスの表面を滑落していく経験が。
このアイスの素晴らしさに、うっかりすると気づかないで食べ終わってしまう。
そのくらい全てが高水準であることに改めてはっとする。
こんな体験が、テーマパークの中でできる。
結婚式のコースなんてもっと高い金額取られるけれど
感動したことなど一度もない。
およそデザートは消化試合である。
そんな人は多いのではないかと思う。
あのテーマパークの中でアトラクションを体験しようが、食事をしようが、散歩をしようが
同じように驚き、感動できる。
だからやっぱり舞浜通いをやめられない。