留学で見つけた、人生のターニングポイント
こんにちは。はるかです。
フィリピン留学から12月に帰国したはるかと、クリエイター3年生のまきこ。道を外れたアラサー薬剤師が週替わりで送り合う、はるまき交換日記。
今週は私はるかがお届けします。
福岡と山口、2拠点生活を始めてから、今に至るまでの行動・気持ちを書いてくれている日記。
今までのまきこの一歩一歩をすぐ隣で見させてもらってるような感覚になったよ。
当時のまきこは、
●薬剤師の資格を持ちながら、その働き方をしないという決断
●言葉には表さなくても感じる、両親からの期待
●自分の気持ちを行動に移すという勇気
に葛藤しながら、
でも、私には、日々新しい世界に出会うまきこのキラキラ輝いてた目は、今も忘れられないよ!
そんなまきこの前回の日記はコチラ⇩
さて今回は、まきこが最後に質問してくれた、フィリピンでのお話を少しさせてもらおうかな。
フィリピンにいたのは全部で10週間。
海外に住むっていうだけで、私の五感は毎日刺激され続けていて、価値観もアップデートされていってた。
でもその中で、私の価値観を大きく変えることになったのが、マニラでのある出来事。
今日は、この出来事にフォーカスしてお話していくね。
マニラでのある出来事とは?
(1)セブ➡マニラ行きが3日前に決まる!?
今回のフィリピン留学は、海外就職するための通り道だったんだよね。
医療英語をしっかり勉強した後は、現地で医療通訳として働こうと思ってた。
でも、”海外就職”って、そんな軽いノリでできないよね。
仕事内容は、ホントに求人票に書いてあることなの?
日本人にとって、働きやすいところなの?
生活できるお給料はもらえるの?
日本で就職する時だって、その会社の人とお話して、企業訪問させてもらって決めるのに、
海外の会社を自分の目で確かめないまま就職するなんて、あり得ない!
そう思った私は、フィリピンに行く前から、企業訪問するって決めてたんだ。
私はセブの学校に通っていたんだけど、就職したい会社はマニラにあったので、そこまで行かないといけない。
でもマニラって、人は多いし、治安は良くないし、なんか怖いイメージ。
そういう時は特に、しっかりと準備してから行くようにしていたんだ。
だけど、今回はそうはいかなかった。
訪問する会社との連絡が上手くいかなくて、マニラに行くことが決まったのは、出発の3日前。
そこから、航空券を手配して、ホテルを予約しなければならなかったの。
ふだんの私は、こんなドタバタして行くの、大嫌い。
でもこのドタバタのお陰で、私の五感はすごく敏感な状態になってたんだよね。
(2)ある人との出会い
何とかマニラ行きの準備を終わらせ、実際にマニラに到着した私。
そこでは2日間、実際に医療通訳として働いている人にくっついて、仕事内容を見せてもらったんだ。
この人がすごい経歴の持ち主で、
●日本人なんだけど、本人も両親も4ヶ国語しゃべれる
●フィリピンで義務教育➡看護師の資格を取る
●日本の専門学校に1年通い、日本の看護師の資格も取る
●現在は妊娠してて、フィリピンで出産予定。
●旦那さんは、フィリピン人で、でもアメリカにいる。
●出産後は、どこの国に住むか決めてない。
日本で生まれ、日本で生活し、日本の薬剤師の試験を取ることが当たり前だった私からすると、驚きの連続だった。
もちろん、タガログ語(マニラの現地語)も英語も話せるから、通訳はタガログ語・英語⇔日本語という、強者。
フィリピンの人って、会話の中で、現地の言葉と英語をミックスするから、医師からすると、彼女が通訳というのは本当にありがたい存在だと思う。
そしてそんな彼女と2日間過ごしているうちに、私はあることに気づかされたんだよね。
それは、ここ数年の私の隠れた課題。
私は頭では分かっていたとしても、心から納得し、腑に落ちたという経験をしないと、スッキリしないタイプ。
それが何と、ここで訪れたんだよ!
(3)気づき①人間関係の悩みからの解放
私って、”能天気で、おしゃべりで、誰とでもうまくやれそう”って言われることが多いんだけど、実は、すっごく人との距離の取り方に敏感なんだよね。
日本には5年くらいしか住んでいない彼女に、こんなこと聞いてみたんだ。
”日本人の直接的な表現を避けるところとか、あいまいな言い方をするところって、理解できる?”
そしたら、“理解しようとは思うけど、よく分からない。”という答えが返ってきた。
顔は日本人・両親も日本人なのに、“日本人らしさ”が完璧には分かっていない彼女を見て、私は思ったんだ。
みんな、いろんな価値観の中で生きているのに、“日本人だからこうあるべき!”とか“日本人なのに、おかしい!”とか
”日本人”として、1つのグループにまとめちゃっていいのかな?
ただ日本人の見た目をしていて、日本で教育を受けてきただけで、”日本人”って言われる私たち。
でも、みんな違う両親から生まれ、その両親の教育方針に従って生きてきた。
裕福な家庭・厳しい家庭・片親の家庭があって、
みんなそれぞれ、1つの国を形成してるかのように、異なる環境の中で大人になっていくのに、“日本人とはこうあるべきだ!”なんて考えを、全員に強要するなんて、ムリなことだよ。
私は今まで、3つの会社で働かせてもらったんだけど、それぞれで馬が合わない人・何でそんな考え方をするか分からない人・常識のない人に出会ってきて、
彼らとぶつかるたびに、すごくイライラしてた。
でもそれって、分かり合えなくて当然なんだ。
私は、日本国はるか家の住民。まきこは、日本国まきこ家という、異なる種類の住民。
王様のお父さんと、お妃様のお母さんの元で、その家の法律を正しいとして生きてきた。
(はるか家とまきこ家は、法律が近かったのかな?お互いの話をすごく分かり合えるよね。笑)
日本国には住んでいる。でも、それぞれの家の法律を正しいと思って生きてるんだから、
みんなを個人として尊重しなきゃいけないこと、自分の価値観を押しつけることは良くないことなんだなって気づいたんだよね。
私が今まで退職した理由の1つって、人間関係が関係してた。
でも、これから先は、過度に人間関係に執着しなくていいし、する必要はないし、適度に分かり合えればいい。
人間関係を気楽に考えられるようになったんだ。
(4)気づき②他の言語を習得するメリット
これからの時代、AIがどんどん発達して行って、言語の壁はなくなるんじゃない?って言われているよね。
私もそれがすごく怖くて、英語の取得は、自分のやりたいことなんだけど、仕事を辞めてまですることなの?って、悩んだ日もあったんだ。
確かに、ただ仕事をするだけでは問題ないとは思うんだけど、より深い付き合いをするためには、機械が間に入っちゃダメだと気づいたんだ。
私は今回の留学で、現地の人と心から通じ合えて、仲良くなれたっていう、自信があるんだよね。
今までの私は、日本人は安心して付き合えるんだけど、外国人に対してはそうじゃなくて、線を引いて付き合うようにしてた。
でも、今回は、自分の胸のうちを全部さらけ出して、つたない英語だけど反すようにしたんだ。
一生懸命自分の口から話をすることで、自然と心が通じ合い、相手もホントの気持ちを話してくれるようになった。私はそんな相手の心に気づき、彼らのことがもっと好きになったし、”何か考え方近いね”って気づくことができた。
もし私が自分の英語力に自信が持てず、翻訳機を使って話をしていたら、お互いに心の中までさらけだそうとはしなかったと思うんだ。
日本語しか話せない人は、日本語を話す人としか友達になり得ない。
でも、他の言語が話せると、日本語を話す約1億人+その言語が話せる人と友達になれる可能性があるってことなんだよね。
これって、どんなに自分の人生を豊かにするんだろうって、考えるだけでワクワクしない!?
実際に、4ヶ国語話せる通訳をしてる彼女も、友達は人種バラバラだし、みんな考え方違うからおもしろいよって言ってた。
英語を勉強してて良かったなぁって思った瞬間だったし、地図に書いてある国境がなくなって、再構築された感じになったんだ。
(5)気づき③ありのままに受け止めなくていいんだ
こんな人に出会ったことない!?
自分はすごく困ってて助けてほしいのに、“そんなのこうすればいいじゃん”って、突き放してくる人。
何て冷たい人なんだ!って思ってた。
すごいことやってるのに、“こんなの普通だよ”っていう人。
嫌味っぽいな!って思ってた。
私はどんな質問でも優しく答えるようにしてるのに、分かり合えないなって、上から目線になっちゃってた。
でもこれって、目の前の出来事を乗り越える壁の高さが違うから、起きてしまうことなんだよね。
私が困っていること・すごいって思うことは、彼らからしたら、既に乗り越えてしまっている壁。
冷たいわけでも、嫌味なわけでもなく、逆に”何でそんなことで悩んでるの?”って感じなんだと思う。
だから、人から受けた反応をありのまま受け入れるんじゃなく、その人との経験の差・壁の高さの差を見極めなきゃいけない。そして自分は、誰に聞くのがベストなのかを、考えなきゃいけない。
過度に反応しすぎるのは良くないんだってことを学んだんだ。
(6)まとめ
私は今まで、3ヶ所の職場での経験があって、留学に4回行って、
広い知識、でもすごく浅い知識しかないんじゃないかって不安になってたし、
考えすぎる・行動が遅い自分を100%は好きになれないでいた。
でも、このマニラの経験は、私が今までいっぱい悩んで、葛藤して、真剣に考えたからこそ受け取ることのできた、ギフトのような気がしたんだよね。
遠回りしてる気がする・なかなか行動できないって悩んでる人、世の中にたくさんいると思うんだけど、私はそれでもいいんじゃないかな?って思ったよ。
ちゃんと考えて生きている人は、いつか必ずギフトを受け取れると思うし、他の人はそんなに感動しないことでも、感情を大きく揺さぶられることがあると思うんだよね。
今までやってきたことは、ぜーんぶが無駄じゃないんだよ。
マニラで気づいたことはこんなことだったんだ。
この経験をしたのが、フィリピンに行って4週目のこと。
残りの6週間、私の行動が変わったことは、もう明らかだよね。
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帰国してからの私は、断捨離を頑張ってるよ。
それと同時に、毎日やるって決めたこと(断捨離・ブログ・SNS・筋トレ)は、休まないように頑張ってる。
次まきこに日記を渡す3月には、現状が変わってると面白いなぁって思うんだけど、断捨離を全部終わらせてから動きたいから、変わってないかもしれないね。
そして、どのくらいの期間か分からないけど、東京に住もうと思ってるんだ。
次のステップに進むためには、この経験は絶対に必要だと思ってて、断捨離が終わったら決行するよ。
この理由も、また今度、この日記でお話するね。
まきこに聞きたいこと
前回は、2拠点生活を始めて、クリエイターとして活動するに至った経緯をお話してくれたけど、
まきこのクリエイター活動の大きな一歩って、ある島のある人との繋がりがきっかけだと、私は思ってるんだけど、どうかな?
その繋がりから、まきこの絵がグッズになって販売され、他の活動にも火がついた感じがするんだ。
次回の日記で、“島とつながったきっかけ”と“島でイベントをするに至った経緯”を聞けたら嬉しいな。
次回の日記も、楽しみにしています♡