『失われたものたちの本』から読み解く『君たちはどう生きるか』
『失われたものたちの本』(ジョン・コナリー著)は、映画『君たちはどう生きるか』制作のきっかけになったと言われている本。読んでみたら確かに、話の構造が驚くほど似通っており、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)より、むしろ『失われたものたちの本』の方が原作だと言える内容だった。
そこで、『失われたものたちの本』を読んだことで映画『君たちはどう生きるか』について(あくまで私が)こうなんじゃないかと考えた解釈を述べていく。
ちなみに、『君たちはどう生きるか』に加え『失われたものたちの本』のネタバレ全開になるので、嫌な方はブラウザバックして頂きたい。
『失われたものたちの本』のあらすじ
『失われたものたちの本』と『君たちはどう生きるか』の類似点
あらすじの時点でも類似点が分かると思うが、それ以外にも多くの類似点がある。
父親が再婚し、その子供が生まれた(生まれようとしている)ことが主人公の心のわだかまりとなっている
父親の再婚相手の家に疎開する
その家には過去に行方不明になった者がいる
失われ … ジョナサン(継母の伯父)
君たち … 大叔父様
主人公を異世界に誘う存在(お母さんを助けられると言って誘う)がいる
失われ … ねじくれ男
君たち … アオサギ男
異世界にはさまざまな童話や神話の登場人物が居る
失われ … 赤ずきん、ヘンゼルとグレーテル、白雪姫と七人の小人 etc…
君たち … 過去の宮崎駿作品(っぽいものが出てくる)
異世界では後から持ち込まれた生き物が増殖している
失われ … 狼
君たち … インコ
異世界は(ジョナサン / 大叔父)により維持されているが、それは限界を迎えようとしており、主人公を後継者にしようとしている
ざっと書き出しただけでも、非常に似通った話になっているのが分かるだろう。この精神的原作とでも言える『失われたものたちの本』を補助線にすると、『君たちはどう生きるか』の内容が大分分かりやすくなると思う。
※もちろん、原作としてクレジットされていない上に、映画の解釈に正解などないので「『失われたものたちの本』に書かれているからこう解釈するのが正解なんだ」などと言うつもりはない。
あの異世界は何なのか
映画内では、明確にあの異世界がなんなのかは語られていない。しかし「ここでは生者と死者が半分半分」とか「ワラワラはこれから人間として生まれる」ということが語られるので、「生と死の狭間の世界」だと考えるのが素直な解釈だろう。
一方、『失われたものたちの本』では、異世界がなんなのかは明確に語られている。
そう、この異世界は「想像と物語の世界」なのだ。
そこには、我々の現実世界に「生まれて」くる前の物語がある=だから、赤ずきんや白雪姫など、童話の中の存在が登場するというわけ。
この設定は映画の中では語られないのだけど、でも『君たちはどう生きるか』の異世界も、きっと「生と死の狭間の世界」であると同時に「想像と物語の世界」なのだと思う。
『君たちはどう生きるか』には過去のジブリ作品のオマージュっぽいと言われるシーンや要素が沢山出てくるが、それはただファンサービスで出しているのではなく「想像と物語の世界を旅した眞人(=宮崎駿)が、後にその物語達を映画として創作し、命を吹き込んだ」からだと思う。
つまり、「過去のジブリ映画のキャラやニュアンスが映画『君たちはどう生きるか』に登場している」のではなく、「映画『君たちはどう生きるか』の異世界で眞人が体験したものが、未来にジブリ映画になった」のだ。
あの異世界が「想像と物語の世界」だとすると、その世界の栄養を食べて飛び上がり、現実の世界に生まれていこうとしているワラワラは、きっと「創作のアイデア」ということになる。
クリエイターはいくつものアイデアを夢想し、作品を作ろうとするが、そのなかで本当に世に出るものはほんの僅か。形にならずに没にするアイデアがほとんどだろう。
その他にも、あの世界を「想像と物語の世界」と考えるとしっくりくる要素はいくつかある。
あらゆる時代と繋がる扉の回廊があるが、あれは「物語はあらゆる時代を繋いでいる」からではないか。
大叔父が石を積み上げているが、あれは「物語を創作する」ことを象徴しているのではないか。
ラスト、眞人は大叔父の後を継ぐことを断り、異世界は崩壊するが、しかし帰ってきた眞人のポケットの中には一つの石が残されている。これは、(作者はつい、自分の全てを分かってほしいと考えてしまうが)「物語の観客は物語からひとつ、石を持ち帰るくらいでちょうど良いのだ」というメッセージなのかもしれない。
物語が持つループ構造
『失われたものたちの本』には、実は「失われたものたちの本」が2種類登場する。
一つ目は、キーアイテムとして作中に登場する、王様(=ジョナサン)が持つ本で、その本にはあらゆる叡知が記されている(=元の世界に戻る方法も書かれているかも?)とされている。主人公はこの本を求めて王様に会いに行くので、この本は物語をドライブするキーアイテムとなっている。
二つ目は、実は我々が読んでいる『失われたものたちの本』そのもので、作中で、冒険から帰った主人公は「失われたものたちの本」と題した本を書く。その本こそが、いまあなたが読んでいる本なのだよ、というのだ。
ここにはある種のループ構造(デイヴィッドの書いた本の中のデイヴィッドが書いた本の中のデイヴィッドが書いた本の中の…)が生まれている。
これを映画『君たちはどう生きるか』に当てはめると、とても面白いことになる。
一つ目の「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)は物語をドライブするキーアイテムとなっている。
二つ目の「君たちはどう生きるか」は、実は我々が見ている映画『君たちはどう生きるか』そのもので、作中で冒険から帰った主人公(眞人=宮崎駿)が「君たちはどう生きるか」と題した映画を撮る。その映画こそが、いま我々が見ている映画なのだ。
映画中では、「眞人がその後、映画を撮る」なんてことは一切語られない。でも、映画のタイトルが『君たちはどう生きるか』なのって明らかにこの構造を再現するためだよね。『失われたものたちの本』というタイトルだと、このループ構造は成立しない。映画のタイトルが『君たちはどう生きるか』なのは、実は必然なのだ。
因みに、一つ目の、キーアイテムとしての「君たちはどう生きるか」に関連してもループ構造が成立している。
「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)を読んだ眞人は、その内容に背を押されて、夏子さんを助けに行くことを決意する。
眞人に出会ったことで、ヒミ(眞人の母)は元の世界に帰り、息子を産むことを決意する。
元の世界に帰った眞人の母は、息子のために「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)を残す。
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このように「君たちはどう生きるか」というタイトルを巡って、二つのループ構造が成立している。めちゃくちゃ美しい。
夏子は何故、異世界に誘われたのか
ねじくれ男の世界に誘われるのは、「誰かを嫌いで、居なくなればいいと思った子供」で、デイヴィッドは継母の新しい子供を疎ましいと思ったことで、ねじくれ男に目を付けられた。
夏子が異世界に誘われた理由は映画中では語られていないが、おそらくあの異世界も「誰かを疎み、居なくなれば良いと思った人間」が誘われる世界なのではないか。
夏子は表面的には必死に、眞人を受け入れ、新しい家族になろうと、嫌な顔一つせずに眞人に接している。しかし、眞人は(嫌な顔こそしないものの)まったく夏子に心を開かない様子が描かれている。つわりで倒れて見舞いに来た眞人に涙する夏子、しかしそっけなく「お大事になさってください」とだけ言ってすぐに背を向ける眞人、あのシーンで夏子は心が折れ、眞人を疎ましく思う心を意識してしまったのだと思う。
大叔父とアオサギ男は後継者を求めて眞人を世界に誘い込んだが、あの世界自体も、世界の維持のために後継者を必要としており、その候補として夏子(もしくはお腹の中の子供)を誘ったのかもしれない。(実際、夏子を連れ出しに来た眞人やヒミを攻撃したり、眞人に心を開いた夏子を攻撃したりした)
インコは何を象徴しているのか
『失われたものたちの本』では、外の世界から持ち込まれた狼(狼人間、ループ)が増えてしまい、王国を滅ぼそうとしている。映画『君たちはどう生きるか』のインコは明らかにこの狼に対応した存在である。
映画では、インコは「大叔父様が持ち込んだものが増えた」としか語られていないが、『失われたものたちの本』では、狼が狼である理由まで語られている。
インコは「大叔父様が持ち込んだ」わけだけれど、もっと踏み込んで、「大叔父様の恐怖・悪夢」が形を取ったものがインコである可能性がある。
大叔父様は宮崎駿自身や、高畑勲の象徴っぽいので、その恐怖や悪夢が、「なにか軍国主義的なことを叫ぶインコ」であるというのは面白い。
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