やりたいことって何
週末ってnoteを書きたくなってしまう。湯船でゆっくり音楽を聴きながら書いている。悪くない。
週末は自分にどうしても甘えてしまう。やらなければならない課題には手をつける気にもならないし、テストのための勉強だってしようとも思わない。
週末は午前中からバイトをしているっていうこともあって、どうしてもそのような生活になってしまう。
バイトをしなくてもお金を稼いでひる人を見ると、俺にできねえことではねえよなとは思う。できる気がするけどただ逃げているみたいな感じ。
仕方がないことだ。自分の将来やりたいことに直結するようなことじゃないからなと考えてしまう。
「やりたいことをやる」って何
「やりたいことをやる」とか「好きなことで生きる」みたいな風潮がある。それは誰だってそう。働くよりは働かずにだらだらしたい。しかし社会や親はそれを許さない。
基本的に義務教育を終えると就職か、進学のどちらかを迫られる。どちらも選ばないという選択肢はなかなかないのではないかと思う。
高校に行けるような学力がなく、中学で卒業して職業に就く人もいる。無論、高校、大学と進学する人が多いのは事実だ。
高校、大学に進学して、学生生活を送ること。これは日本では当たり前になってきているかもしれない。高校なんて義務教育に近いものを感じる。
親のお金で進学して、進学した先で良い勉強ができたり、よい経験をしているかと言われると、そうでない人も多い。大学が就職予備校と呼ばれるのも無理はないだろう。
企業に就職するときに学歴があれば有利になるだろう。普通に考えるとそうだ。大学に入るために必死に勉強した(できる能力がある)と評価されるからだ。
「100万回地震に耐えた家」と同じことだろう。「今何ができるか」ではなく「いままで何をしてきたか」が評価されるのはしょうがない。どんなことだって過去をもとに決めるのだから。飲食店の売り上げ見込みも昨年や一昨年の売り上げをもとに考える。
しかし大学に行っている人間が社会に出て通用する人間かというと、それは違うのではないかと思う。中卒でも仕事ができる人はたくさんいる。
中卒や高卒だと「やりたいこと」ができないイメージがある。自分もそう思う。
やりたいこと自体を見つけることが難しい。自分探しの旅とか自己分析をしがちである。
その人の人生だから好きにすればいい。
大学生の自分から言わせてもらう。「やりたいことをやる」「好きなことで生きる」「自分探しの旅」「自己分析」社会なめんな。
学生生活で遊んで暮らしてただけの者が急にそのようなことを言い出すな気持ちが悪い。
社会はどれだけの人が大変な思いをして働いているのかわかるだろうか。こんな状況でもろくに休みも与えられず働きっぱなしの人たちがいるのだ。
親から仕送りをもらい(もしくは実家暮らし)、バイトで稼いだお金でのうのうと遊んでその程度で好きなことがやりたいとかを言い出すな。
大学生が常識がないと言われるのは腐った性根のせいだろう。メンタルもろくに強くなく、挫折というものを経験したことがないが故の謎の自信。
僕は本当に大学生が嫌いだ。自由をはき違えている。軽々しく自由とかいうな。そのうち大きな壁にぶち当たるだけだ。すぐ逃げるだろ。失敗が怖いからな。
僕は大人も嫌いだ。入学式も卒業式も修学旅行も成人式もなんの問題もなくやってきた人たちが今のこの状況がどれだけ辛いかをわかっていない。
こちらとしても、ただただ開催したいというわけではなく、このことについて述べる大人が嫌いだ。大人たちは経験したことだからごちゃごちゃ言えるのだろう。経験していない身からすれば楽しみでしょうがなかったのになくなっているのだ。これは次また書くか。
「やりたいことをやる」これは素晴らしい響きがする。エネルギーが溢れてくる気がする。しかし、それができるほど社会が甘くないということを僕は知っている。誰しもが挫折を味わわなければならない。
それでもやって見せないといけない。自分のことを信じて、「できる、できる」と自分に言い聞かせながらやればいい。自分のことを信じ続けることができるメンタルはいろいろな場面で活躍するだろう。
深夜に書いたら文章ボロボロやし、感情的になってしまう。眠いからバイバイ。がんばろなコロナ。(これは1月9日に書かれたものです笑)
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