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あげること

今日は月曜日だった。今もそうだけどこれを書き終わる頃には火曜日になっているかもしれない。

長い長い大学生の春休みはこれまで投資でも浪費でもなくただただ消費してきただけのように思う。早寝早起きだけは意識しているせいか、体調だけは良い。

全く本題とは関係のない話から始まってしまった。本題に移ろう。

「あげること」

gift for someoneのことだ。

これをしたことがない人はいないはずだ。反対に、されたことがある人もいないはずだ。

誕生日やクリスマス、バレンタインなどのイベントでは盛んに贈与が行われる。

これは太古から行われている儀礼で、日本はいまなおその文化が深く根付いていることで注目されている、

御恩と奉公をはじめ、たくさんの贈与が行われてきた。

そんな歴史のある贈与。コロナ禍において、その形態は様々であるように思えるが、実は昔とあまり変わりがない。

あげるということはもらう人が出てくる。贈与論によると、もらう人には本当は断る権利はない(受容の義務)。

そして、もらった人は返さないといけない義務が生じる。

最近、誰かに何かをあげただろうか。そしてもらっただろうか。

あげるということはしてきたつもりだ。というよりもこれは返礼か。

プレゼントを貰ったら、返すようにしている。

そして、また新たな贈与をするようにしている。

誕生日なんかがいい例だ。何かをもらった人には贈与をしている。ほとんどがラインギフトでスタバやコンビニで使える電子マネーだ。

いい時代になった。わざわざ住所に送りつけたり、会って渡さなくても、LINEの友だちになってさえいれば渡すことができる。

額の問題ではない。(あんまりお金使いたくないだけやろと言われているようだが)そんなことは気にしない。

とにかく贈与することが大切だ。

最近で言うと、お金配りおじさん(前澤社長)なんかが贈与のプロフェッショナルと言わんばかりの贈与をしている。あれをもらう気にはなれないが、素晴らしい贈与の例だと思う。

私も贈与をして、この世の中の役に立てたら良いと考えている。返礼は義務だが、私に関しては返礼の有無は問わない。

贈与をすることは数少ない友人にとってどう思われているのかが不思議である。

「ラッキー」と思っているのか、「返すのめんどくさい」と返礼の義務を面倒だと感じているか。その点はわからない。

この半年間、特に贈与することを意識してきた。特に自分があげたいと思う人、そんな人に贈与をしてきた。

恥ずかしながら、あと少しで19回目の誕生日を迎える。

こんなにも自分の誕生日を意識したことはない。何かをあげた人から何かが返ってくるのだろうか。楽しみでしょうがない笑。

これで何人の人が返礼の義務に追われて返してくるのか、あげていない人からも贈与が来るのか、それとも誰もなにもくれないのか(これが答えだと思うが)非常に楽しみである。

どのような人がどのような結果になるのかが楽しみである。

そしてまたこの結果を分析して(?)noteを書きたいと思う。

結果は目に見えているけどね(笑)

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