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いまの世の中、おかしいと思う (加筆あり)

歳をとって、世の中がスピードを上げて変化していることを強く感じるようになった。
その変化とは、働き方や技術の進化よりも、それに伴ってかどうかわからないけど、人々の不思議な考え方や、社会との関わり方が、昔と比べておかしくなっているのじゃないかということだ。

ここ数年の感染症に過敏になっていることも、変化に拍車をかけているように思う。

その、過敏について言うと、極度に清潔を保たなくてはならないという強迫観念を、多くの人が、当たり前のように持っているということ。
公園では砂場が廃止され、危険だからとジャングルジムも撤去されて、子供に対して「清潔に」「安全に」という親や学校の教育が日常的にされている。

確かに、危険より安全、不潔より清潔であるべきということは、大昔から言われてきていることではあるが、それが今過度に、そして極端に言われているように思うのである。

言葉を変えると「潔癖症であるべき」のようだ。
「病気にならない」「長生きする」「みんなが気持ちよく」なのだろうと思うが、私達昭和生まれとしてみれば、「なんと神経質な」と言いたくなるのだ。

そういった現代の問題の背景には、何かがあったときの責任問題を恐れているからなのではないかと感じる。

自分が、または子供や家族が、事故や病気の加害者となってしまったときに、SNSを通じて自分たちに攻撃が加えられることを恐れている。

メディアも実際の事象のほんの一部を報道し、それがあたかもすべてが事実の如く、社会に発信するのである。事故の加害者と同姓同名だったために、いわれのない誹謗中傷脅しなどを受けて、事業もやっていけなくなってしまった、冤罪のニュースも複数ある。

また、受験勉強の加熱に関しても、数十年前から言われているが、一向に改善されてないどころかエスカレートする一方だ。
いい大学、いい就職先を目指して行くことが未だに良しとされている。(いい大学とは就職しやすいという意味で使われているようだ。)

そういったコースに乗せるために、人とのコミュニケーションよりも親や学校は勉強を加熱させている。
そのコースは、競争社会への参加であり、個性よりも共生よりも一番を目指すというものである。

親は親で、近所友人親戚に対して、自分の子供を自慢したく、いい学校、いい会社・・と親自身の体面のための行為に思える。

一旦そのコースから外れたものは、挫折感から立ち直れないどころか、その原因を人のせいにまでするような歪んだ人間になってしまう。
自分でどうしたらよいかという訓練もしていないので、どうにもならない。

学生ならまだそれでもマシだ。
なんとか思い通りの会社に就職しても、受験勉強で遊びを知らない人間が、社会に出てうまく他人とコミュニケーションをとることができるわけがないと思う。

今まで一番を目指し、他人を蹴落とす事しか知らないわけで、他人の気持ちをわかろうとすることもできないだろう。
そして社会人になって、思い通りに行かないと、人のせいにして嘘をついたり、他人のせいにするかもしれない。

会社でそれは通用しない。
簡単に会社を辞める人間が多くなっているのも、これらが原因ではないだろうか?

会社で挫折したらそれからが大変になる。
まあ、会社に入ったら相当の年月を同じところで働くという意識だろうから、余計に精神に来るだろう。

なぜ親は、他人のことばかり(他人からどう見られるかばかり)気にするのだろうか。
子供が興味を持ったことを伸ばそうとするほうが良いと思うのだが、(たぶん)目指す会社へのレールを敷きたくて、趣味はこれ、友達はこの子・・なんてやってるのでは?

例えば、ものづくりが好きで、機械を見ると時計でもなんでも分解する子がいたとしよう。その子はきっといい職人や技師になる才能を持っている。
そんな子に、それより宿題をやりなさい、英語の発音を練習しなさい・・と、好きなことをさせない親が多いのではないだろうか?

子供の頃から親がその調子では、きっと挫折に弱く、自分のやりたいこともわからず、応用の効かない、つまらない人間になるのではないかと思っている。
子供が可哀想である。

ノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎は日本を離れ、米国へ移住した。
その理由は「日本では他人のことばかり気にして、やりたいことに集中できない」というものだ。
氏は日本が嫌だと言っているわけではなく、日本の社会、習慣に嫌気を感じたのだと思う。

こうした日本人の、「人と比べる」ということは、インターネットやSNSが浸透して一層激しくなってきたのではないだろうか?
日本以上に韓国も同様とのこと。日本よりSNSが人に与える影響が大きいようだ。

関連するかもしれないが、人も会社も、最近は失敗を恐れてチャレンジしなくなってきたようである。
失敗は悪であるということをどこかで刷り込まれているのだろうか?
教育の中で「失敗しないためには・・」というような言葉が多く出てきているのかもしれない。

また、政治家や企業人が失敗すると、多くのメディアで取り上げられ、すぐに「責任を取れ」という風潮になっているのも、その原因の一つかもしれない。

人は失敗するものである。
一生懸命やろうとしても、新しいことに挑戦すれば失敗するのである。
成功しなかったことが失敗ではない。
松下幸之助も「あきらめない限り、失敗ではない」と言っている。

100回失敗しても、それまでの失敗の経験から101回目に成功する(目標を達成する)かもしれないので、「100回やってだめならやめる」というのも、100回目に諦めると言っているのと同じだ。

最近(とは言っても数十年前から)当たり前の核家族化ということも、人間形成に影響しているのではないだろうか?
子供の頃に、父母しかまわりにいない環境と、祖父母叔父叔母が周りにいる環境では、子供の成長、特に精神成長に関しては大きく異なるのは、誰が考えてもわかるだろう。

子供の頃、親に叱られ、祖父母に慰められることや、親が正しいと思って子供に教育していることが、実は間違っていて、それを指摘する祖父母がいる家庭は幸せだと思う。

親に虐待を受け、それが当たり前の人間の生活だと子供が刷り込まれていては、子供が大人になった時に、自分の子供に当たり前のように虐待するのではないだろうか?
逆に、優しく育てられた子供は、おとなになっても人に優しくなれると思う。

かといって、痛みを知らない子供は、他人に対して、加減できない暴力を振るうかもしれない。
痛みを知っていればどの程度で怪我をするか、冗談で終われるじゃれ合いも可能な子供に成長するだろう。

つまり、遊びはできる限り自由にやり、その遊びの中で、痛みを知り、優しさが育まれるのではないだろうか?
この「自由に遊ばせる」環境が、今の社会ではどんどんなくなっている。
親の考え方や、社会のルールが、こういった、一番重要な人間形成のことを蔑ろにして、メディアを気にし、失敗しないように、法律や条例をもって規制してしまう。

それどころか、親が家庭のルールで、子どもたちを自由に遊ばせる環境を潰しているのかもしれない。

世の中、進歩していると言われているが、反比例的に幸福を犠牲としているように思える。

話は変わるが、リニア新幹線の整備を強行している理由がわからない。

当社は、自らの使命であり経営の生命線である首都圏~中京圏~近畿圏を結ぶ高速鉄道の運営を持続するとともに、企業としての存立基盤を将来にわたり確保していくため、超電導リニアによる中央新幹線計画を全国新幹線鉄道整備法(以下、「全幹法」という。)に基づき、進めています。
日本の大動脈輸送を担う東海道新幹線は、開業から55年以上が経過し、鉄道路線の建設・実現に長い期間を要することを踏まえれば、将来の経年劣化や大規模災害に対する抜本的な備えを考えなければなりません。このため、その役割を代替する中央新幹線について、自己負担を前提として、当社が開発してきた超電導リニアにより可及的速やかに実現し、東海道新幹線と一元的に経営していくこととしています。
このプロジェクトの完遂に向けて、鉄道事業における安全・安定輸送の確保と競争力強化に必要な投資を行うとともに、健全経営と安定配当を堅持し、柔軟性を発揮しながら着実に取り組みます。また、工事費全般について、社内に設置した「中央新幹線工事費削減委員会」で検証し、安全を確保した上で徹底的にコストダウンを図るとともに、開業後の運営費の圧縮に取り組みます。その上で、まずは工事実施計画の認可を受けた東京都・名古屋市間を実現し、さらに、大阪市まで実現することとしています。

上のコラム内の文章はJR東海の採用ページにあるものです。
ボールドで示している部分のように、会社としての利益に関する言葉が多い。
質問(多分株主総会を想定している)に答えている、こちらのページでは、非常に詳しく回答しているが、根本的な「なぜ必要か?」に対しては一貫して、「開業から半世紀以上が経過し、鉄道路線の建設・実現に長い期間を要することを踏まえれば、将来の経年劣化や大規模災害に対する抜本的な備えを考えなければなりません。」ということを理由としています。

鉄道の重要性や、メンテナンスに関して異論はないけれど、そもそも、高速を追求し、それに伴って「幸福」も大きくなるかどうかを問いたいのだ。

スピードに関しては、のんびりした旅ほど、思い出に残り、楽しいものであると思う。
列車でゆっくりお弁当を食べたり、椅子を回転させて、4人で語らったり、ゲームをしながら、窓の外の景色を楽しむのが「旅」であって、1時間で東京から大阪に行く理由は仕事しか考えられない。

そんなリニア新幹線を使って仕事するサラリーマンはかわいそうだ。
一日にやる仕事が、いままでより何倍も増えるのだろうな。
大阪への日帰り出張など当たり前。下手したら一往復半や二往復。
やはり、幸福を追求する開発ではないね。

企業としての利益追求は仕方ないとしても、政府肝いり、将来的に技術を輸出と考えているのだろうけど、政府自ら「まず初めに国民の幸福ありき」な政治をしてもらいたいものだ。

【加筆211106】
またまた話は変わって・・
ジェンダーについても、最近おかしなことになっていると思う。
生物学的に、性別は男と女しかない。これは間違いなく事実。
だとしたら、「あなたは男性ですか?女性ですか?」と聞かれて、「どちらでもありません」と答えるのは、おかしな話だと思う。
恋愛対象を聞いているわけではなく、男として生まれた、女として生まれたを答えるのに、権利を持ち出すのはおかしいことだ。

パスポートに「男性、女性、その他」があることには異論がない。なぜなら、生物学的なことを聞いているわけではなく、「事件や事故が起こった時に情報として記録する」のが目的だから、そのリスクは本人が持つことになる。
性転換しましたか?とか、恋愛対象はどちらですか?などどーでもいい。

要するに、ジェンダー問題を法律や一般的な議論にしているのは、政治家が活動家や第3ジェンダーの権利を主張することに忖度しているからだと思えるし、それを声高にいうメディアや代理店の問題だと思う。

その人達を差別するしないは、全くの別問題で、(社会的な)差別はしてはいけないのは、あたり前のことなのだ。
小さな子供に暴力を振るうのと同じレベルで、絶対にしてはいけない。

【加筆230717】
ますますジェンダー問題がおかしくなってきた。

この問題でジェンダートイレ問題の解決法が、大炎上した。

普通の男子トイレ、女子トイレ、多目的トイレでいいと思うよ。

心の男女問題だって、その心を大事にしましょうはいいけれど、ルールにするとなると、100種類以上の組み合わせができることをどう解決するのだろう。

例えば、「心が男性の女性」と「心が女性の男性」が結婚して子供が産まれたときにその子はどちらをパパと呼ぶのだろう。
その子は社会に出たときに、うまく生活できるのだろうか?


※個人の感想です。

つづかない

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