見出し画像

ハワイ島の話<1>

新婚旅行はハワイでした。
1975年。
その頃はもう為替の自由化にはなっていましたが、まだあまり変動はなく$1が360円前後でした。

初めてのハワイで20代前半で、何も知らなかった。
泊まったホテルは、ワイキキのシェラトン・ワイキキ。
当時は日本人、小佐野賢治氏が保有してました。
他にもワイキキのホテルは日本人経営が多かったようです。

画像1

はじめてハワイ島へ行くことになったきっかけは、現地に日本人の小松さんというガイドがいて、ハワイ島の魅力を教えてもらったことです。
小松さんと知り合ったのは、私がアメリカGoodsが好きで、ネットで買い物代行を探していたときです。小松さんがハワイ島のスーパーを巡って買ってくれて、日本まで送ってくれたのでした。

それで、翌年、仲の良い友達家族と一緒に、総勢7名で行くことになり、宿泊のコーディネートを小松さんに頼んだのでした。
2000年前後だったと思います。

7名ともなると、ホテルに泊まるより、一軒家を借りたほうが遥かに安く楽しく過ごせることを知り、小松さんにお願いしました。
こういった、出会いというものは、その後20数年にわたり友人関係がつづくものなんですね。

そして、ハワイ島が楽しすぎて、ハワイ島以外の島は考えられなくなりました。
まだ、カウアイ島やマウイ島などへは行っていないので、もしかしたら、もっといいかもしれないけどね。

はじめてのハワイ島では、小松さんが自転車を無償で貸してくれたり、美味しいお店や観光スポットもいろいろ教えてくれたのです。
そのおかげもあり、ハワイ島に魅せられたのでした。

その一軒家は、カイルア・コナ地区の有名なホワイトサンズビーチまでは2〜3分の場所にあって、プール付きで、子どもたちにも大人気。

カイルアコナはハワイ島の高い山マウナケア、マウナロア、フアラライ山などの影響によって、一年を通して晴れが多いというのが大きな魅力です。

マウナケア

その逆に、その山たちの影響で一年中雨が多いのが、日系人の街ヒロです。

もっと詳しく→ハワイ島Wikipedia

ハワイ島の魅力は、日本人にとって、ここに行かないと知ることができない、また経験できないことが数多く、何回行っても新鮮な旅行になることでしょう。

世界有数の天文観測施設の集まるマウナケア山頂、今でも溶岩が流れるキラウエア火山、アカカ滝をはじめとする多くの滝、地球とは思えない溶岩の景色、海岸からも見ることができるイルカやクジラ、多くのコーヒー園とコナコーヒー、世界で一番大きな牛の牧場パーカーランチ、ハワイ文化をいたるところに感じられるヘイアウ群、無限のトレッキングルート、大きな虹、オアフ島とは違いそんなに多くはない日本人の数、ワイキキと違い日本語表記や店員の日本人向け日本語がない・・

そのハワイ島へ行くためには、ほぼホノルル経由となります。
日本からは、ハワイアン航空、JAL、ANAのいずれかの便でホノルルへ行き、ホノルルーコナまたはホノルルーヒロへハワイアン航空の国内便に乗り換えるのが普通です。
現在は、JALが直行便を再開しているようですね。

この、ホノルルーコナ便は、行くときは左窓側、帰りは右窓側に乗るのがベストです。
なぜなら、ハワイ諸島のオアフより東側の多くの島を眺めることができるからです。
昔はこの便は自由席だったので、ホノルル空港で1時間前からゲートに並んだものでした(遠い目・・)

画像6

そして、コナの今でもローカルな、レトロと言ってもいいくらいのどかな空港、エリソン・オニヅカ・コナ国際空港が迎えてくれます。
エリソン・オニヅカとはチャレンジャー号爆発事故で亡くなった、ハワイ出身の宇宙飛行士のことです。

画像5

なんたって、飛行機から降りるのにタラップで滑走路へ降りるのですから。
しかもゲートは屋外で木製の扉一枚です。

画像3

↑これはJAL直行便

画像4

↑前方のテントがイミグレーション(直行便のときにのみ通過)

ホノルル経由のときはホノルル空港の入国審査を通過しなければなりませんが、直行便のときに限り、写真のテントの入国審査です。
昔、仮に作ったものを今でも使っているとのことです。

画像8

画像7

つづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?