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2/15引退後に監督と話す
数年前のこと。
高校野球で求めていた結果を残せず引退、進学、就職をした後にふとしたことで監督と食事をする機会がありました。
甲子園に行けると思っていたか?
監督、僕の答えは一致していました。
答えは「NO 」です。
情けないといえばそうなのですが、指導者と選手の双方がその可能性は無いと考えていました。
駒が足りない
良い選手はいたと思っています。
ただ、どうしても選手層が薄くそれが高い壁となってしまっていたのです。東京や大阪、神奈川のような超が付くほどの激戦区では無かったものの、それでも暑い夏を投げ切る程の投手がいなかったのです。
甲子園なんて行くところじゃない
選手として、確か監督としても甲子園に行った経験のある人間がそれを言うと妙な説得力があると感じました。
その理由は自分達を取り巻く環境が大きく変わってしまうことにあるということでした。
寄せられる期待に比例して伸し掛かる重圧が強くて苦しかった。結果を残せなかった時の落胆や絶望が辛いと………。
野球は楽しいとだけ感じていて欲しかった
何より楽しいという気持ちを持っていて欲しかったということでした。
でも、それをするためにはある程度の実力が伴ってないといけないし、結果だって出ないといけない。ただ、そうなってしまうとどうしても苦しくなってしまう部分があって難しかったのです。
実際、楽しかったかと問われれば安易に頷くことは出来ませんでした。
まとめ
今でも思い出したり、時には夢に見るくらい悔しい思いをしたものですが、それでも当時は相応の結果を求めたものです。
自分達の代がかなり期待されていたのは分かっていたので………。
まぁ、後輩達が頑張って一定の結果を残してくれたので少しは報われた気はしています。