2日連続の大ニュースに思う
元日の能登の大地震に続き、きのうは着陸した日航機と地上にいた海保の機体が羽田空港の滑走路で衝突する事故が発生した。海保機は震災の物資を運搬する任務だった。「まだ2日なのに、ことしはどうなってしまうんだ」と不安がつのる。
羽田の衝突についてはとっさに「管制指示のミスか、海保が滑走路に誤進入したんだろうな」と思う。案の定、けさのNHKは“独自”として「管制官は日航機に進入許可、海保機は手前まで」とする記事を出している。管制と機体のやりとりの記録を見ればここまではすぐに特定できるだろう。問題は「なぜ誤進入してしまったのか」だ。
海保の39歳の機長は機長歴4年11カ月というから、ベテランといってもいい。やけどで重傷ということだが事故直後には通報もできているので、今後の原因究明では機長の対応が焦点になる。海保によると機長は最初の通報で「機体が爆発した」という内容を伝えていたというから、衝突したとは認識していなかったと思われる。それにしても5人が死亡した海保機乗組員でひとりだけ生存という事実は、重い。
テレビで炎上する日航機の生中継の映像を見ていた。「これはかなりの乗客が犠牲になったのでは」と背筋が凍る想いだったが、早々に「全員脱出」と聞いて安堵した。素早い避難ができたことは素晴らしい。
2日連続の惨事で思い出すのはホテルニュージャパン火災と日航機墜落が連続した1982年2月だ。当時私は翌月に高校を卒業する直前というタイミング。大学入学試験を控えたなかでの出来事になんとも不安な気分になったものだった。
そこまで近接していないが1995年は1月に阪神淡路大震災があり、3月に地下鉄サリン事件が発生した。その後赴任した東南アジアの支局の助手が「日本が滅んでしまうかと思いました」と述懐していたのを思い出す。続く時には続くものである。
1日の能登の地震を受けて海外市場では円安が進んだという。「日本、大丈夫なのか」というセンチメントからスタートした2024年。長い目で見ると日本の凋落を象徴するのかもしれない。
羽田の事故とは無関係だが、宮内庁は1日の段階で翌日に予定されていた皇居での一般参賀の中止を決めた。東日本大震災以来の大津波警報という事態だ、「おめでとう、おめでとう!」という訳にもいかない。妥当な判断だったように思う。
しかしテレビは地震関連ニュース一色で新聞も2日は休刊日。私はネットに項目が上がったからたまたま覚知したが、「中止」を知らずに皇居に来てしまった人もかなりの数になったのではなかったか。
NHKが炎上する日航機の生中継映像を伝え続けるなか、ザッピングをすれば民放ではタレントが旅先で酒を飲んでいたりドッキリ番組をやっていたり。
もちろんお正月に楽しい番組をかけるのは定番だし、悲惨な映像を見たくないという視聴者もいるだろう。民放のビジネスモデルとして「なんでもかんでも番組を差し替える」ことができないのも承知するが、強烈な違和感があった。
(24/1/3)