第5回梗概感想 3/4

自分の感想を失わないよう大森先生をはじめとした講師陣の意見をいったん洗い流すために、時間を空けてみました(本当の因果関係は逆で、だらだらしてたら時間が空いて講義内容が頭から抜けた……)
なので純粋に梗概を読んだ感想になります。

九きゅあ『アニメキャラは辞められない』

虚と実を扱った作品。これもある種『構造』が意味を持つ作品であるように読めるので、どこまでメタな推察を始めるかで面白味が変わってくるし、読者をそのメタな推察にどれだけ誘導できるかに作者の技量が問われる。
梗概から読み出せたのは、
現実世界は消滅しているという設定自体が登場人物たちに共通している認識ではあるが、そういう認識を持った主人公たちを描いたアニメ(=アニメキャラ視点のSHIROBAKO、構造はマクロス作品)であり、
どこまでメタな階層を上がっても所詮は観察者であることを主人公が察することで、構造を明らかにする(読者を『〝アニメキャラは辞められない〟というアニメの視聴者』として、この小説内に接続してしまう)ことで、虚実を突き崩す作品。
けれど、虚実を突き崩すことで何がしたいというようなテーマを持ったものというよりは、崩すことでタイトルを回収するという娯楽的な側面のほうが強い気がする。
めちゃめちゃ難しいと思うけれど、書かれた実作があれば読んでみたい。


一徳元就『ジョン=バースはBDM』

『変顔コンバーターで操船している美少女パイロット』この一文が最高だった。
で、この作品は個々のシーンに対する感想しか出しようがないのだと思う。要するに文脈やストーリー性から切り取られた、シーンとしての面白さやシュールレアリスムを楽しむもののように読めた(ある種の『ゆめにっき』的な作品)。梗概内においては、主人公であるジョン=バースも、そのシーンとシーンをつなぐための舞台装置兼、便宜的にオチとして物語を終わらせるためのピリオドなわけだ。
つまりは、シーンの面白さが、この小説の娯楽としての鍵なので、作者と読者との共通見解が多ければ多いほど、作品は面白くなる。感性が似ていたり、パロディ元とかを知っていれば知っているほど。
書いてもらえるなら、とても作者も読者も試される実作になると思う。
(加えて、ジョン=バースもワイドスクリーン・バロックも知らなかったのでWikipediaで軽く調べてみた。なるほど、わからん。グレンラガンもキルラキルもワイドスクリーン・バロックなのか……)


黒田渚『オルタナティブ・ミミック』

アレックス達のエモさをどれだけドライブさせられるか、実作においてはそれが問題だと思う。
つまりはアレックス個人の内省の話なので、そのドライブ感がすべてなのではないだろうか。なぜかといえば、物語の起承転結が梗概の中でコンパクトに纏まっているから。『梗概』としてのスケール感は正しいのだが、梗概から読み出した情報のみで実作を想定すると、非常にコンパクトなものになる(第三回の宇部さんの実作的な)気がする。逆を言うと、内省以外の、現実世界でのアレックスのアクションとリアクションはいくらでも付け足せるので、実作になった際の自由度が高いとも言える。
いかに料理されるのか、楽しみである。


中野伶理『ONLY YOU』

他者の同一性とそれを押し付けられた被造物の話。講義ではさらっと流された気がするけど、僕は結構好き。相当──いやかなり好き。
文章的な話をすると、各段落の最初がキャラクターの描写になっているのでとても読みやすい。ただ最後の段落だけは、情報のわりに字数が足りていなくて混乱してしまったので、余ってる百字を使って、もう少し状況を詳細にした方がいいように感じた。例えば、余命が設定されているリカバリであるはずのアリサが、身体の代替物を利用して寿命を延ばすことについてとか。公表されていない技術であるリカバリが、人権の制約という公的なものの対象となっているのはなぜかとか。
あとこの作品、明確に『フランケンシュタイン』への返答あるいはパロディ(山暮らしする被造物だったり、恋人を作ったり、自分の体の葬儀を上げたり)として読めるんだけど、それの論考を書くには余白が狭すぎる。

全梗概感想を終わらせて、さらに時間が作れれば、『フランケンシュタイン』との関係性について考察するかもしれない。


一色『何度死んでも君を救うSF』

世界設定やキャラクターや物語がほぼほぼ不在だが、エモみはある。
とはいえ消化不良感は否めない。アピール文にある通り苦戦の跡が見える。
一番欲しいと思ったのは、読者を固定するための立脚点である。世界そのものが崩壊していく、付随して八雲も死に向かっていく、主人公の肉体も複製であり、主観も自身に対して懐疑的な目線を向けている。となると、読者(榛見)は何を信じていいかわからないのだ。要するに、エモみが立脚点(=読者の憑代)を持てないまま空転してしまっているように思う。最終的にその立脚点を崩すことになるとしても、一度は読者を小説内の大地に立たせなければ、立脚点を崩す意味はない。なのでせめて『俺あるいは僕(=主観)』だけは、タイトルの『何度死んでも君を救う』ことを疑わないで欲しかった。


揚羽はな『青い海、昏い空』

揚羽さんの文章にしては珍しく読みづらかった。たぶん、中盤の文章(『その回答は~』から『~返事はない』まで)でキャラクターのアクションは書いていても、アクションに対する応答・リアクションが書かれていない(行動の因果関係が明示されていない)からだと思う。つまり、登場人物の行動が同時並列のように表記されていて、作中での時間間隔がつかめないのだ。
でも、内容に関してはやっぱり面白い。面白い点は具体的に言うと二つあって、『マイクロプラスチックに対する一般的な見解の逆転』と『科学的な知見をもとに作られた物語にシンクロする悲恋』。この上なく明確に、書くものも面白さも固まっている。ゆえに、今回の梗概は1200字を守るために苦戦したのだろうと予想される。
そしてそれは、実作への安定感というか信頼性は非常に高ということだ。


宇露倫『機功大師 玄空』

バトルが熱い。もうそれだけでいい!
これ以上はもはや蛇足なのだが、感想が一行で終わってしまっては誰のためにもならない。
一つあげるとすれば、オチに至るまでの間に、龍宗と玄空の関係性(命を『狙う⇔狙われる』という形式上のものではなく、互いの感情がどうあるか)が明示されるシーンが梗概内に必要だったと思う。龍宗と玄空の間にはいつも朱凰が入っているので、朱凰が主人公ならそのシーンはなくても問題はないと思う。しかし、物語の最初も最後も龍宗の描写で終わっているので、龍宗が主人公であると読めてしまうのだ。
これなぁ、贅沢をいうなら実作はアニメで見たい。


夢想真『無限逃走』

これまた感想の難しい作品である。なぜなら、タイミングが悪いからだ。なぜタイミングが悪いか、今年の八月に出版された伴名練の『なめらかな世界と、その敵』に掲載された表題作に似すぎているように読めてしまったから。さらに、僕はそれをついこの間読んだばかりだからというのもある。
同じ発想をしていたのに、先に商業化されてしまうというのは創作を志すものにとっては結構あるあるだと思う(僕も経験がある)。で、短い梗概の中で先の作品との差別化するというのはとても難しい。
今作では、パラレルワールドの自分と会話が可能だと解釈できる(佐伯教授の報告会)ので、そこが差別化ポイントだろう。ただそうなると『主人公であるカズマの主観がパラレルワールドを跨いでいる』のか『読者に提示する視点がパラレルワールドを跨いでいるだけ』なのか、そこが梗概からは読み解けなかった。そこの解釈が犯人を捕らえる際に非常に重要だと思う。アピール文では『意識のみ』なのだが、そうなるとなぜチヒロがカズマを探しているのかの理由がわからない。
なのでぜひ差別化された実作を読んでみたい。

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