体感時間刹那の1年
2018年が終わる。今年が終わる。
毎年必ず、1年間あっという間にだったな、と思っているのでここ8年を体感3年くらいで過ごしている気もするが、今年も例に漏れずあっという間だった。
1月から3月までは大学生だった。
地獄の就活をあまり満足のいく結果では終わらなかったが、とにかく『もしかしたらニート』というプレッシャーから逃れられたことと、これでもかと言うほど遊び倒せたことが嬉しかった。
また、バイトも知り合いのツテで色々やった期間でもあった。基本的には早朝時間のコンビニ店員だったが、イベントスタッフをやったり、ライブスタッフをやったり、ある時には秋田へ行ってバイトしたり……。
貴重な経験がたくさんできて、毎日が刺激的で。この生活が楽しすぎて、何度働きたくない、ADになんかなりたくないと思ったことか。
もちろん、そんなのは絵空事で、3月になれば『ここがお前の大学生活のフィナーレだ!』とでも言うかの如くガッチガチに振袖を着せられ、『馬鹿でかい会場で眠たいスピーチを聞かされる会』こと卒業式に参加させられた。
4月からは、お台場の方でADをした。
わからないことだらけな上にポンコツなので、先輩方にとにかく迷惑ばかりかけた。
それでも必死に食らいついていたが、ある日気がついてしまったのだ。『何の目標もなく働いている』ということに。
ADは真面目に働き、スキルを身につけ、順当に日々を過ごしていればDになれる場合ばかりだ。
しかし、私はDになんかなりたくない。テレビや映像もそんなに好きではない。
……あれ?私って何でここで、こんなやりたくもない大変な仕事してるんだっけ?
6月に根本的なことに気がついてしまった。
それからは仕事が嫌で仕方なかった。嫌で嫌で、身体にストレスの影響が見えるようになっていった。
そんな時、私を救ってくれたのは同期の芸人の一言だった。
「小説家になれば?」
仕事を辞めたいと愚痴をこぼした私に、そう言ってくれた。その瞬間、目が覚めたような気がした。私は昔、物書きになりたかったんだ、と。
そして仕事の落ち着いた8月、本社の人事社員に物書きを目指したいから仕事を辞めさせてほしいと申し出た。人事は年度末まで働くことを条件に、私のわがままを聞いてくれると言った。
しかし、この優しさが良くなかった。
人間、嫌なことを続けすぎると鬱になる。
というか、鬱になった。
10月に19連勤した結果、完全に心が死に、身体がイカれた。
連勤終わりの午後休に何となく気になり病院に行くと、まんまと診断書が書かれた。「これを会社に出して休め」と担当した精神科医は言った。
診断書の効力は絶大で、すぐに休職扱いになった。
いきなり会社に行かなくなり、仕事とか稼ぎのない不安がやってくるのかな?と構えていたが、それらの感情は私のもとに一切やってこなかった。
人と会いまくったり、旅行に行ったり、気の向くままに依頼をもらったライブやイベントのスタッフをやったり、ただただ楽しんでいた。人生の日曜日化が激しすぎた。
休職期間も終わり、人事に会社へ戻る気がさらさらないことを伝え、退職したのが本日12/31だ。
こうして書いてみると、本当に紆余曲折大ありのあっという間の1年だった。
でも、全て鮮明に覚えているほど短い年にも感じる。
来年も『物書き』と『エンタメスタッフ』と『ホテルマン(単発バイト)』の三足のわらじを履く何でも屋として激走する年になるのかしら?
欲を言えばもっと物書きらしい1年にもしたいなぁ、今稼働比率が1:6:3くらいだもんなぁ。
そんなことを、年越しそばをすすりながら考えていた。
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