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『夢限大みゅーたいぷ』は、地獄に反逆し幻想と決別するバンドだ

バンドリのVとして登場して以降、何か普通にVtuberとして配信しまくってる夢限大みゅーたいぷですが、何のかんので記念すべき1stライブが迫ってきました。1stライブのチケットは完売。現地組以外はそのお披露目の舞台を目にするチャンスはないかと思われていたその矢先、ライブ映像の一部が無料配信されることが決定しました。やった~!(藤都子)

おっ、見覚えありますねぇ~、この形態。MyGO!!!!!の1stライブです。

当時の配信映像は公式チャンネルにもう残っていないので、綺麗に編集された映像で代用しますが、当時のそれはステージ上手側上方からの定点カメラで、かなり解像度も粗い映像が中継されていました。この日、どういうわけかキラッとした別仕事が被った立希が遅れて登場したのも今となっては遠い日のことのように思えます。

さて、MyGO!!!!!と同様の仕掛けを打ってくるとなると、見えてくることがいくつかあります。まず、この1stライブで正体を明かすところまではやらないだろうということ。先達のMyGO!!!!!だって4thライブでようやくそのご尊顔を公開という流れでした。Ave Mujicaについても、0thライブではやはりキャスト公開とはならず、その1ヶ月後に放映開始されたIt's MyGO!!!!!の出演をもって答え合わせする形となりました。
そして、MyGO!!!!!が暗闇や紗幕、Ave Mujicaが仮面を駆使したように、やはり夢限大みゅーたいぷのライブにも正体を秘匿するための被覆物があるのだと思われます。さて、夢限大みゅーたいぷはバーチャルYoutuberです。そんな彼女らの在り方から察するに……

こんな感じになるんじゃないかなあと。
具体的にはモーションキャプチャーなんかを駆使して、そこにキャラクターがいるような体験を届けてくるのではないかと踏んでいます。専門知識はないので詳細にまでは踏み込めないのですが、Vtuberのライブについて調べれば色々と出てくることは出てきます。そこに楽器の演奏も加わるとなると、かなり特殊になってきますけど。

さて、この記事で問題にしたいのはそういった技術面の話ではなく、もっと根本的に、夢限大みゅーたいぷがリアルライブをする意義は何なのか。もっと言えば、夢限大みゅーたいぷにとってのリアルとバーチャルは何なのかです。
そして、主として楽曲から読み解いていった結果、彼女らにとってのリアルライブは、地獄への反逆だという結論に至りました。そしていずれこの5人のVtuberがそのバーチャルという幻想から決別していくバンドになるだろうということも。


メインテーマ「現実逃避」

1stライブ前の2024年8月中旬現在、夢限大みゅーたいぷには5曲のオリジナル楽曲が存在し、各種サブスクなどから聴くことができます。それぞれバンドメンバーをモチーフにしたとのことで、どれもそのキャラクターの特徴や苦悩が表現されたものになっています。ウンウン、RASやMorfonicaでもやってきた形式だね!
全ての楽曲に共通するテーマとして、生きづらさ現実逃避が挙げられます。モブにしかなれないので妄想世界で毎日わーきゃーしたり、騙し合いと嘘が渦巻くインターネッツでレスバトルしたり、辛い現実からサバイブするためにXに入り浸って漫画描いたり、夢の中で動物になってたりするわけです。エンプティパペットに限り「非現実欠乏症」だったのでトリップできずに真っ向から現実に苦しむ内容なのですが、最後の最後でピエロという自分の“役柄”を見つけられて終わります。
1曲目の夢現妄想世界が公開された当初からこのテーマは鮮明であり、今更語る必要ありません。ところが、5曲目となる†animaるパーティ†開催中†が公開された瞬間、そこに裏テーマがあることに気付かされました。なんと夢限大みゅーたいぷの5曲、それぞれ六道輪廻に対応しているのです。

裏テーマ「六道輪廻」

詳細はこれから述べるとして、結論から言うとこうなります。

天道:限界現実サバイブ天使
人間道:夢現妄想世界
修羅道:エンプティパペット
畜生道:†animaるパーティ†開催中†
餓鬼道:ビッグマウス
地獄道:

六道輪廻、いいですねぇ~、とてもCiRCLINGっぽいです。
ただ、CiRCLINGが循環しながら次の場所へと進み続ける概念であるのに対して、六道輪廻は何度生まれ変わってもその輪の中から脱出できない苦しみを表した永劫回帰。厳密には似て非なる概念です。そして、ゆめみたの楽曲の歌詞からはその輪廻に抗う姿勢、つまりはアンチ循環が謳われています。
……と要点だけを述べてもイマイチ伝わらないとは思うので順に精査していきましょうか。ちなみに六道輪廻は順不同、次にどの世界に生まれ変わるか分からない代物です。なので、この記事の構成もそれに倣い、天道から順々に……ではなく、分かりやすい順に語っていこうかと思います。

畜生道:†animaるパーティ†開催中†

アニマル=畜生。ちょーわかりやすい。
ピーピーギャアギャア食う寝る遊ぶ、本能のまま快楽を貪るパーティはまるで楽園のようですが、恐ろしいことにこのパーティはkarmaるらしいです。ここで背負った業は次の世のanima(魂)にも引き継がれるわけで、しかも貪った分だけその業は大きくなってしまいます。あーあ。
他にも「地獄」というワードが平気で歌詞中に登場しますし、現状公開されているゆめみた楽曲の中でも最もストレートに輪廻転生を想起させてきます。おそらくはこの曲こそが最後のピースで、この曲から六道輪廻という裏モチーフを理解することで、他の曲の理解も進むという仕掛けになっていたのだと思います。僕はそれで理解していきました。

天道:限界現実サバイブ天使

まんま天使。これも分かりやすいですね。
さて、注意が必要なのですが、仏教において涅槃と天国は別物です。天道は最上の世界ではありますが、一時的に幸福な暮らしをしてるだけ。輪廻転生の理から言えば、結局生まれ変わったら地獄に落ちてるかもしれません。サビ前で印象的に叫ばれるどうせ死んだらGo to HELL!や、サビ内に差し込まれる悟り気取っちゃってという歌詞はかなりその辺を意識したものに思えます。結局、救いは涅槃にしか、ないんじゃ~!(藤都子)
まあ、そもそも悟り開いてたらこんなネットスラングと煩悩にまみれたMVにはなりっこないですからね。なかなか皮肉が効いてると思います。

人間道:夢現妄想世界

ここからちょっと難易度が上がります。
一番最初に登場した曲にして、等身大の女子高生の悩みを歌った曲。この時点ではまあバンドリだし日常を歌うよねと、そのコンセプトに疑問すら抱かなかったのですが、5曲出揃った今ならばこの楽曲だけが日常を歌っていることに特異性すら感じます。他の楽曲は、日常からは遠いところで藻掻いているので。
更に特徴的なのは「勉強ができる奴」とか「スポーツができる奴」とかの他の人間の姿があること。ビッグマウスやエンプティパペットにも他人の影くらいはチラつくのですが、姿まで克明に浮かんでくるのはこの楽曲くらいです。他の人間が数多いる世界の中で孤独を感じ、人間の中に埋没するモブであることに抗っています。日常が苦になるという点では、従来のバンドリからの決別を大いに感じさせる楽曲でもあります。

餓鬼道:ビッグマウス

貪ってるのは食事ではなく魔剤。その口も食べるためというよりは大言壮語を吐き出すためと、“口”という共通項がありながらも一見餓鬼とは程遠そうには思えます。本当にメシ貪ってるのはギターの2人だしね。
ただ、夜中にインターネットに没頭するほどの情報ジャンキーで、「当たり前じゃ満たされない」と“本物”に対しての飢餓感が歌われており、餓鬼道を担当するには十分なハングリー精神ではないかと思います。なお、魔剤も500mlじゃ足りないらしいです。内臓が危ない!!
とはいえ俗に言う腐敗レタッチ死体には用はないらしく、本物の餓鬼のように腐肉を食らうまでには堕してないようです。良いですねぇ。生きることに、イキることに飢えています。
なお、これは執筆時にWikipediaで知った情報であり余談に等しいのですが、餓鬼の生態って夜に起きて昼に寝る完全な夜型らしいです。へぇ~。

修羅道:エンプティパペット

マジで手強かった……。こいつだけは一筋縄ではいかないのでちょっと長くなります。
先の4曲の六道への対応は、†animaるパーティ†開催中†を初めて聴いた直後、ほとんど即座にピンと来ました。となれば残るエンプティパペットが修羅道か地獄道か……という選択になるのですが、ここで詰まりました。この楽曲から、修羅要素も地獄要素も見出せない!
確かに5曲の中でも最も悲痛な叫びをしているので、その意味では地獄道が相応しいかとも思いました。でも、この叫びというのが単に生きづらさから出た叫びなのであって、前述もしたように生きづらさ自体はゆめみたの全曲が抱えている“共通項”です。他の楽曲はどれも固有の要素がそれぞれの六道に直結していたわけで、生きづらさの“程度”で地獄道に割り振ることには多大なる抵抗がありました。オタクとしての直感が拒否したと言ってもいいでしょう。
また、地獄というワードは前述のように†animaるパーティ†開催中†や限界現実サバイブ天使でも登場する歌詞でもあるわけで、“地獄”もゆめみた全体のテーマと見た方がいいわけです。となると、地獄道は敢えて空欄にすべきということになります。消去法的ではありますが、やはりエンプティパペット=修羅道以外にはあり得ません。そうでなければ、六道輪廻の前提自体が間違っています。

オタクとしての直感ついでに言うならば、実のところ、エンプティパペットは楽曲自体にも直感を逆撫でしてくる違和感があります。この楽曲、全体を通して優等生を演じて苦しんできた気弱な少女が、最後に「そうか、私がピエロになればいいんだ」と別の生き方を発見して終わるわけですが、ここに大いに問題があります。優等生とピエロって何か違うか!?
顔で笑って心で泣いてきたのは、優等生だった少女も一緒です。そして、自分でない何かを演じる生き方をしていることも……。ピエロに成り代わることで何かを決意したように終わりますが、その人生観に何か差異があるようには到底思えない。だからこそ、ここに鍵があると思いました。
考えるべきは、少女が変身すると決意したピエロがどういうピエロかです。優等生とはかけ離れた、自由でイカれたピエロであれば、確かに少女のなりたい姿かもしれない。しかもそれが、人殺しを働く修羅みたいなピエロだったら更に都合がいい。とはいえ、問題はそんな「修羅みたいなピエロ」なんて概念を勝手に生み出していいかどうかになるのですが……。

おったわ大ヒット映画に
勝手に創出する必要などありませんでした。これに気づいて実際に映画をアマプラで鑑賞してみたんですが、主人公のアーサーもコメディアン志望ながらなかなか笑いを取れず今日も壇上でシャバダバしており、そして深刻な精神疾患を抱えているため、病状進行中です。元ネタとして疑うには十分な歌詞との関連性があります。ちなみに映画は滅茶苦茶面白かったです。
そして何より、このジョーカーというキャラクター、当時一世を風靡した結果、一種の概念にまでのし上がったところがあります。社会に反抗する弱者の一撃が当時「ジョーカー」と呼ばれていたことは記憶に新しいところであり、いち映画のキャラクターの枠を超えた共通言語としての格を持っている節があります。
長々と語ってきましたが、ありのままの自分で生きていけずに限界を迎えた少女が修羅に堕するまでの物語。そう考えるとこの楽曲の歌詞はかなりスッと腑に落ちてくるように思います。

地獄道:Real Live

さて、楽曲ばかりに触れてきましたが、この5人は本来Vtuberです。ゆめみたのテーマとして現実逃避があるのなら、Vとしての配信活動も現実逃避の一環ということになります。
ところが、よせばいいのに彼女らも我々の住む現実世界でのリアルライブの実施が予定されています。バンドリなんだからそりゃあリアルライブくらいやるだろと言えばそれまでなのですが、楽曲の方が現実逃避をテーマにしていたことを思えば、ゆめみたがリアルでライブするのって立派なテーマ違反なんですよ。リアルライブとは辛い現実とわざわざ向き合って演奏するということに他なりません。Vtuberとしてサイバー空間に篭っていれば、永遠に現実から逃げ続けられたというのに……。ところで、Real Liveって言葉が大変に皮肉ですよね。現実の人生とも読めてしまうので。

そう、現実逃避に全力であることを思えば、夢限大みゅーたいぷにとっては現実そのものが地獄道と考えるのが自然です。天道から餓鬼道までの5つの道は、地獄から逃れるためのパラレルワールドなのであり、その意味ではバーチャル世界と言ってもいいでしょう。人間道までバーチャル扱いされていることに倒錯を感じますが、それぐらい生きづらさに追い詰められていること、そしてこの現実逃避がまやかしに過ぎないことの証左なのだと思います。本当は全部気づいてても言わないであげるくらいですからね。

けれども、繰り返すように彼女らはリアルライブをしようとしています。では、彼女らは現実と向き合おうとしているのでしょうか。
とはいえ、想定されるライブの形は、おそらくVRだとかモーションキャプチャーだとかを駆使したバーチャル要素の含まれたライブなわけで、その意味ではバーチャル=非現実のままです。現実と向き合うつもりならそのガワ脱ぎ捨てんかい!というツッコミが入ること必至です。

さて、ここで夢限大みゅーたいぷのキャッチコピーである夢と現実を飛び越えるが活きてきます。現実を超越する必要こそあるものの、実は現実と向き合う必要はないのです。その微妙なニュアンスの違いが、夢限大みゅーたいぷにとってのリアルを考える上では重要になってきます。

目指すは究極のバーチャル

さて、六道輪廻はご存知のように仏教由来の概念です。そして、仏教の文脈から究極のバーチャルとでも言うべき興味深い発言をしている歴史上の大偉人がいます。
最近、新紙幣が発行されて話題になりましたが、その偉人もかつて1万円札や5000円札に採用されてきました。バンドリというコンテンツ的にも、中核であるCiRCLINGの概念は、この人物が何より重視した和を以て貴しと為すという信念へのリスペクトがあると言わざるを得ません。そして、いくつかの大寺院を建立するなどして仏教をガン推しした、この国での仏教の普及を決定づけたとも言われる人物です。日出づる処の天子とも呼ばれ、日本という国の礎を築いたとされるこの偉人は、仏教の精髄をこう表しました。

世間虚仮、唯仏是真

現代語訳するとこうなります。

現実なんかバーチャルだ!
推し(仏)しか勝たん!

夢限大みゅーたいぷの目指すところそのものではないかと思います
つまり、夢限大みゅーたいぷにとってのリアルライブとは、現実という地獄をバーチャルに塗り替える手段になります。そのための手段として、現実世界にバーチャルな姿で登場するライブというのは、実のところコンセプトに適っています。
そして、夢限大みゅーたいぷの5人もオタクたちの推し(仏)に成る。これが夢限大みゅーたいぷなりの、現実という地獄へと反逆していく生存戦略なのではないかと考えています。それ、どっちかっつーと世界を革命する力の方じゃない? まあ、確かに革命の爆弾とは歌詞にも出てきますが。

涅槃:“肉体”の放棄

ところで、仏に成るとは、悟ること。涅槃に入ることをも意味します。天道の項でも述べたように、どの世界に生まれ変わろうとも、どうせいつかはGo to HELL!します。六道のどこに生まれようとその人生は基本的に苦しみでしかなく、本当の意味で救われるには輪廻を脱出して涅槃に至るしかありません。

ところで、僕もVtuberどころか配信者をあまり視聴はしないので造詣が深いとまでは言い難いのですが、Vtuberという媒体が独自の文化圏を形成しており、その結果数多の独自言語を生んできたことは把握しております。例えばアバターとなるイラストを制作してくれたイラストレーターさんをママ呼びしたりするなどがそれですね。ゆめみたにとってのママにあたるのはガルパでもお馴染みの信澤収先生です。
さて、そんなVtuber文化が生み出してきたミームの一つに、バ美肉というものがあります。正式名称をバーチャル美少女受肉。読んで字のごとくバーチャル化することで美少女としての肉体を手にすることを意味します。いい歳こいたおじさんでも美少女になりきれるということで一時大きな話題になりました。バーチャル美少女の肉体を手に入れられればおじさんはおしまい!にできるというわけです。夢があるなあ。

受肉がキリスト教由来であることはさて置き、この概念を六道輪廻モチーフの夢限大みゅーたいぷに適用すると、彼女らにとって在るべき涅槃の形が見えてきます。
涅槃それ自体が多様に語られる概念ではあるのですが、そのバリエーションの一つには肉体からの解放も含まれます。そして、Vtuberのアバターを肉体と考えていいのならば、夢限大みゅーたいぷにとっての解脱というものは、実のところ簡単に達成できてしまいます。つまり、アバター(バーチャル肉)をパージするだけで良いのですから。とはいえ、それは現実逃避の一環であるVtuberとしての活動を放棄するのと同義にもなりかねません。
けれども、夢と現実を飛び越える運命共同体なだけに、現実同様、夢も飛び越えなくてはいけない。地獄から逃げだすために手にしたバーチャルの姿を捨てて、幻想と決別することが実は救いの道という、かなりシビアな寓話が展開されるのだと思います。
流石に1stライブでそこまではやらないと思います。でも、このバンドのテーマを素直に読み解くならば、いつかは迫られる選択肢に違いないとも思います。ただ、“肉体”を捨てたとしても、きっとそこにはanima(魂)が残るはずです。

MyGO!!!!!は泥まみれになりながらもありのままの自己を晒して生き続けるバンドです。Ave Mujicaは一度己を殺し、別人の仮面を被って生まれ変わるバンドです。そこ行くと夢限大みゅーたいぷのコンセプトはこの両者を統合したものと言えます。ありのままの自分を保ったままanima(魂)だけの存在へと変身するものなので。

前回の記事において、まだ情報が少なかったこともあり色々と外したところも多かったのですが(純田まなとかシャーリーとか関係なかったね)、ティザー動画の赤い夢青い現実に対してゆめみたの真のイメージカラーが透明という読みだけは明察だったなと思います。“肉体”から解放されたanimaは紛れもなく透明だからです。
おそらくそれが、一見カラフルなイメージの夢限大みゅーたいぷにおける色即是空。そして同時に、現実では透明な存在になっている彼女らが、自分たちの色を身に着けていく空即是色でもあるのだろうと思います。

ただ、涅槃寂静とも言います。本来悟りを開いた世界とは極限にまで静かなものであり、その意味では、音楽とは対極の概念かもしれません。ゆめみた楽曲はダウナーな曲ですらも基本的に賑やかで、全くその寂静さを感じさせるところがありません。仲町あられに至っては拡声器持ってる始末です。
ところで、先に挙げた仏教推しの偉人の話に戻りますが、この人物にはとても耳が良かったという逸話が残っています。一度に10人もの人間から同時に話しかけられても見事に聞き分けたと言われ、その耳から聞こえる世界は、きっと我々の想像を絶するほどに騒々しかったはずです。
だったら、賑やかな涅槃だっていいんですよ。ピーピーギャアギャアぎゃーてーぎゃーてー言いながらでも到達できると古の経典にも書かれています。耳生やしていこう!
なお、この日出づる処の天子サマなんですが、最近の研究によれば古来より信じられていた業績や逸話のほとんどが後世にでっち上げられた創作である説が有力視されており、極端なところでは非実在説まであるそうです。

バーチャルじゃん!!

オチもついたところでこの辺で。
それでは、南無南無~!!(藤都子)

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