赤・緑・青……だけじゃない!映画「きみの色」に盛り込まれた多彩で隠れた“色”のお話
音楽が私を色にしてくれた ~日暮トツ子~
まず何と言っても、きみの色は青春アニメであると同時に音楽アニメとしての側面もあるわけですが、いやあ圧倒されましたね! トツ子の人差し指奏法に!! 素人丸出しで堂々とライブをする姿、一見すれば滑稽でもありますが、同時にその豪胆さが痛快でもありました。そうだよな、別にヘタクソだってライブしたっていいんだよな!!
トツ子のそれはかなり極端だったとしても、きみちゃんのギタースキルもかなり低いものとして描かれていたと思います。こう、普段種々のガールズバンドアニメコンテンツにいるので流石に目が肥えてきたんですけど、ギターの腕ってのはネックを操作する左手の動きに特に表出するんだろうと思います。そして、きみの色のライブシーンにおけるきみちゃんの左手の動きというのが、ちょっと拍子抜けするくらいには大人しくて……ぶっちゃけ大した事ない。
ただ、そこが逆にこの作品が音楽のリアリティに対して真摯だなと感じる点でもありました。そんな簡単に演奏上手くなるわけないよねと。正直、ルイくんの音楽への情熱とセンスがなければバンドとしては成立し得ないくらいの危うさだとも思うのですが、アマチュアバンドなんてそんなもん。それでいて、聖歌隊で磨き上げられたきみちゃんの歌声はやはり一級品で、聴衆を魅了する説得力を十全に持ち合わせていたところが絶妙なバランスだったかなと思います。
音楽性の9割を担っているスパダリ医学生が1人、歌声で人を惹きつけるカリスマが1人、そして、何か面白い動きするマスコット丸顔女が1人……実にバランスの取れたバンドです。
一応、3人の中で最初に作曲を完成させたのはトツ子なので、音楽的な貢献度は実は高かったりするのですが、それでもやはり演奏面となると弱いのが正直なところではあります。ただ、音楽から最も多くを受け取ったのはトツ子でした。もっと厳密に言うならば、この作品における音楽はトツ子のために設けられた要素だったとさえ言えます。
本作では冒頭から一貫して「トツ子の色が何色なのか」というのが、まるで最大の謎かのように語られる体裁を取っています。とはいえ、きみが青、ルイが緑ときたら、じゃあトツ子は……となるともう答えなんか赤一択しかないんですよね。3人揃って白になることはしろねこ堂というバンド名からも明らかです。何なら、本記事のヘッダーに採用したキービジュアルからして、映画の公開前からトツ子=赤という情報はオープンにされていました。正直、最初は疑問に思いました。何でこんな見え見えの設問を最後まで引っ張るんだと。
答えは、これがミスリードでしかないからです。ここはきちんと疑ってかかるべきでした。トツ子の色が本当に赤なのか。……いや、それ自体は終盤のシーンからも間違いはないのですが、問いかけるべきはこうです。トツ子の色は最初から赤だったのか。
さて、光には赤・緑・青と三原色が存在しますが、赤というのはこの中で最も波長が長い色です。波長が長いということは、振動数が少ないことを意味します。そして振動と回転は三角関数を通じて基本同じものとして扱えるので、赤は最も回転数が少ない色と言えます。
……何を言ってるか分からない? とりあえず、赤という色が、緑や青に比べてスピンが足りない色だと思っていただければ結構です。そしてもう一つ、赤よりも波長が長いと……即ち、赤よりもスピンが少なくなると、それは肉眼には映らなくなるということも。こうした、赤よりもゆったりとした波動のことを、世間一般では赤外線と呼んでいます。以上、めんどくさい物理の話おわり。
日暮トツ子は、生まれついての三半規管の弱さが祟って、幼少期に習ったバレエで挫折した人物でした。ジゼルに憧れてはいても、回転ができない。それは、何故かと言えば、回転数が足りないからです。おもちゃの独楽が自立できるのは、ある程度の回転数があるからで、それが足りなくなってくると途端に不安定になって、やがて動きを止めます。日暮トツ子はまさに、回転の足りない独楽だったのだろうと思います。そんな彼女に自分よりも波長の短い、つまり回転数の多い緑や青を帯びた人たちと音楽を、ロックンロールをする機会が与えられます。
緑や青と音を合わせて、波長を合わせる経験は、彼女自身の波長を縮める好機となりました。あのジゼルで踊れるようになったシーンはトツ子が自分の持つ赤色をやっと見られるようになった……のではなく、それまで赤外線レベルで回転数が足りていなかったトツ子がようやく赤色へと変貌できた瞬間でした。
僕も空の色になるために ~影平ルイ~
色彩表現豊かな本作ですが、物語の部分を牽引していった要素は3人がそれぞれ抱えている秘密と、そのことにより苛まれる罪悪感でした。そして、キリスト教系の学校を舞台にしているだけあって、その秘密を告白することが彼女らにとっての赦しとなっていきます。
ただ、バンド活動にせよ、作中半ばで行われるトツ子ときみちゃんの学校潜入にせよ、本作における秘密というのは罪であると同時に背徳の味を感じさせるものでもあったと思います。バンド活動の拠点となる、ルイくんが管理する旧教会なんか、もう思いっきり秘密基地なんですよね。旧教会だけあって神様には見られているわけで、いずれ白日のもとに晒される宿命にある束の間の秘密だというのは言外に伝わってきます。ただ、だからこそこの儚い内緒のやり取りは、とても美しく輝いていたのだなとも感じられます。
影平ルイというキャラクターは、そんな本作における黒一点、唯一の男子です。彼の存在がこの秘密というテーマを強く際立たせていたなとも思います。それは日暮トツ子にとっては、敬虔なカトリック系の女子校にバレてはまずい、秘密の交友関係として。そして、作永きみにとっては、忍ぶ恋として。
ところで、ここで僕も告解をしようと思うのですが、恥ずかしながら、本作を1回観ただけではきみちゃんの恋心に気づくことができませんでした。いや、流石にあの船出を見送るラストシーンでは「そういうことなのかなあ?」ぐらいの感覚にはなっていたのですが、確信までは持ちきれなかったと言っていいです。1回目の鑑賞後、小説版に当たってそれが明言されていてようやく腑に落ちたほど。2回目を鑑賞すると、最初のしろねこ堂のシーンの時点からきみちゃんがルイくんをチラチラ意識をしていたりと、本当にさり気なくそのサインを出していたことには気付けるんですけどね。いや、でも、だって、一緒に内緒のお泊りしたトツ子との方が関係値強くない……?
百合豚の戯言はさて置き、あの船出のシーンだけはルイくんに恋慕していると考えなければやはり筋が通りません。ただ、2回鑑賞した今でもそう思うんですが、きみちゃんの恋心って全編通して本当にうっすらとしか描かれてないんですよ。それだけに、船出シーンは本作において浮いているとさえ言っていい、急に恋愛モノになったような感覚さえ覚えるシーンでした。
そしてもう一つ、ルイくんがカラーリボンを船から散布させた理由も長いこと分かりませんでした。いや、演出上の意図は伝わるんですよ。トツ子の目から見たきみちゃんの「素敵すぎる」恋心の色は、プリズムを通した光のようにカラフル。きみちゃんが旅立つルイくんに向けて叫んだ結果、きみちゃんの恋心と同じ色のリボンが空を舞った……という、色を通じたコミュニケーションにはなっています。
でも、それが通るのってトツ子ときみちゃん側の視点に立てばの話です。ルイくんはきみちゃんの恋心の色なんか知らない、というか恋心に気づいているかどうかすら怪しいわけですから、ルイくんは恋愛とは別の感情が爆発してリボンを散布したと考えるのが自然です。
ルイくんにとって、トツ子ときみちゃんはかけがえのない友人です。医者の家系に生まれ、ずっと勉強漬けで生きてきた……。そんな彼の心の支えは音楽で、しかもその音楽で通じ合える友達ができたわけです。そういう境遇ですから、ウキウキで機材を準備してたらその友達2人が1ヶ月の奉仕活動で島に来られなくなった時の彼の心情たるや察するに余りあるものがあります。久々に再会した2人を全力でハグしに行ったのも無理はないというものです。
それでも結局は親の望んだ医学の道を志し、折角できた友人2人を残して彼は長崎を去ります。赤と青の2人を残して、緑である彼だけが旅立っていく。フェリーの上では広大無辺な大空と茫洋たる大海が、上と下から青色で挟み撃ちにして、容赦なく孤独を突きつけてきます。緑色に対しては、かなり残酷な仕打ちです。何故ならば、空は緑色にはならないので。
空が青いのは、空気中の分子が波長の短い青い光を強く散乱させてより広範囲に広がっていくためであり、この現象をレイリー散乱と言います。朝焼けや夕焼けの空が赤いのは、このレイリー散乱が発生しすぎて青の光が散らばりすぎてしまい、散乱されない赤い光がより多く届くためです。緑の光もきちんと太陽から降り注いでいるのですが、基本的には青が強すぎるか赤が強すぎるため、特殊な条件が揃わない限りは空が緑色になることはありません。ハイハイ、めんどくさい物理の話おわり。
ルイくんが医学部受験の際に物理を選択したかは定かではありませんが、音楽も立派な物理現象なわけですから、博学な彼ならこのことを知っていたとしても不思議ではありません。
緑の存在が薄弱な空へ向かって、リボンを散乱させることで、赤や青と一緒にいようと悪あがきしたのだと思います。遠く離れても、同じ空の下で繋がるために。
4つの窓、きみの色 ~作永きみ~
「きみの色」と題されるだけあって、本作で最も多彩な色を見せてくれたのは、美しい青でトツ子を魅了した作永きみでした。その鮮やかさはメインカラーの青にはとどまらず、前述したようにルイくんへの恋心はプリズムのように煌めきますし、トツ子に顔面セーフをかました際の美しいスピンのかかった投球は、トツ子が自身を惑星と自称してしまうほどに魅了する輝きを放っていました。きみちゃんは私の太陽だ!
さて、これも小説版からの気付きだったのですが、きみちゃんには裏の色が設定されています。その最たる表現が、ルイくんを意識した際のきみちゃんの頬が朱に染まるというもの。この辺りを強めに意識して2回目の鑑賞に挑んだわけなのですが、驚くくらいオレンジがきみちゃんの周囲を彩っていることに気づかされました。
まず、退学を決意した際の帰路はずっと夕焼けが照らしており、バンドを始めてから持ってきたギターアンプのメーカーはORANGEでした(実在するらしい)。そして島での最初のバンド練の後、きみちゃんが選んだカップアイスはオレンジ色のフレーバーナッツ。2人でお泊りをした時に読んだ「天使もいいかもね」という少女漫画の作者名は矢野みかん。これでもかとオレンジが仕込まれています。最初の夕焼けを除けば、基本的にはルイくんが近くにいるか恋愛モノの少女漫画かなので、ほぼほぼきみちゃんの愛の色として認識していいのではないかと思います。
そして、もっと深堀りするならば、きみちゃんには4つの色があるなと感じました。図にした方が早いので画像貼りますね。Excel使って20分ぐらいで作りました。
左上の自分も他人も認識している色は、水色です。虹光女子高校の制服の色であり、この色を嫌がって退学するに至りました。ちなみに、小説版を読む前は成績の優秀さおよびおばあちゃんがパートを続けていることからも経済的な理由なのかなと邪推していたのですが、単純に周囲からの期待に耐えきれなくなって退学したと明かされています。マジで小説版大事なこといっぱい書かれてるから、小説版、読もう!
右上の自分は認識していないが他人は認識している色は、トツ子の目に映るコバルトブルーです。他人というかトツ子限定なのですが、我々観客にも、きみちゃんの色と言えば青!というのは視覚的に説得力のある透明感で語りかけてくる映像になっていました。
左下の自分は認識しているが他人は認識していない色は、白です。きみちゃんの私服、特に部屋着の類は基本的に白が多く、彼女自身の本来の嗜好はこの色なのかなと受け止められます。ところで、他人に知られていなくて自分だけが知っているということは、このエリアは必然的に本作のテーマでもある秘密に通ずることになります。
そして、右下の自分も他人も認識していない色が、彼女の愛の色であるオレンジです。誰からも認識されないので、作中でそれに気づく人物はいません。ただ、観客だけが種々の要素から感じ取れるようになっています。青とオレンジが補色の関係にあるのもなかなかに面白いところです。
さて、上記のように自分と他人の認識を4つに分けて自己分析する試みを、ジョハリの窓と呼んだりします。「ジョハリの窓」で検索するとクソムカつく自己啓発サイトばっかりがヒットするのでWikipediaに誘導しておきますが、重要なのはこの概念が“窓”と呼ばれていることだと思います。
というのもきみの色、とにかく窓が映像によく登場するんですよね。そりゃあ建物があれば窓ぐらい常に描かれるわけですが、スタッフロールにすら登場するのはちょっと常軌を逸しています。スタッフロールが流れる横で、窓から映る空が刻一刻と色を変えながら、その様子を時々トツ子やきみちゃんやルイくんが眺めてる映像が映されるんですよ。ちなみに、ルイくんの船出シーンがレイリー散乱の話だと僕が気づいたのは、2回目の鑑賞時にこの映像を見た時です。あ、空って緑にならないのかと。この映像では稲光の時にかろうじて緑になるので、かなりそれが分かりやすく書かれています。……まあ1回目の鑑賞時は「シスター日吉子 新垣結衣」とか出てくるスタッフロールとミスチルの名曲に気を取られてしまうので、横の映像どころじゃないんですけどね。
そしてEDが終わると窓から差し込む光(これが葉っぱを反射して緑なんだ!)に照らされて、赤いラジカセの中でカセットテープが回転するエピローグが始まります。ラストで畳み掛けるように窓が登場して終わるフィルムになっているわけです。
ジョハリの窓は本来的には自己分析ツールであり、対人関係を円滑にするためには、この内の左上の自他ともに認識されている自己の面積が大きくなることを推奨してきます。これが作永きみの耳には痛いところで、水色の制服の学校を退学した後の彼女は、白いパーカーを着て秘密のバイトに勤しむ生活を送ります。つまり、他人に知られていない自分だけの秘密の領域に逃げ込もうとしたわけです。けれども、そこにやって来たのは自身のことを綺麗な青色とみなしてくる顔面セーフの元同級生で、そしてその少女の導きで密かにオレンジ色の想いを寄せていた青年ともバンドを組むことになります。ジョハリの窓でいうところの、自分でも認識していなかった自分自身の色に、彼女は救われていったのだと思います。
そして、かつて退学した女子校でライブする時の彼女の勝負服は、Rock It★と書かれた水色のデニム生地のジャケットでした。今度はきちんと水色を“きみ”の色にして、かつて逃げ出した学校を熱狂させてみせました。
トツ子が縋るように唱えたニーバーの祈りの一節ですが、これを与えられたのは、トツ子ではなくきみちゃんだったのではないかと思います。一度は嫌った水色が自分の色だと認めて、受け入れられるようになりました。
シスター日吉子が指摘するように、ニーバーの祈りには続きがあります。この勇気を与えられたのがトツ子でした。挫折したバレエと再び向き合い、そして回転数を上げて赤く発色できるようになったのが彼女のゴールです。
空に自分の色がないことを見定め、それでも散乱によって空に在ろうとしたルイくんには知恵が与えられました。医学部進学は親の言うままに受け入れましたが、エピローグによると音楽は続けているようなので、彼にとって音楽は、その自由の少ない人生において変えることのできるものだったようです。
赤、緑、青。3人揃って光の三原色となるトリオは、同時に3人揃って祈りを完成させるトリオでもあったようです。キリスト教を題材にしているだけあって、シン・三位一体って感じですね。元の三位一体が聖霊って何やねんと言いたくなる代物ですし、こちらの方が神を信じたくなります。
このままだとキリスト教をdisって終わりそうなので、もう少し余談にお付き合い下さい。キリスト教の素晴らしいところを挙げるとすれば、やはり愛について説いたことだと思います。
高校倫理の授業などでも教わったとは思いますが、神は人間に無償の愛(アガペー)をお与えになられ続けているというのがキリスト教の根幹概念です。それほどまでに慈悲深い神様なので、たとえ罪を犯したとしても、それを悔い改める心さえ持ち合わせているのならば、正直にそれを告白することで罪が贖われるというのが、作中でも登場するゆるしの秘跡の原理原則です。
ただ、本作で罪悪感に苛まれ続けたのは、敬虔なクリスチャンのトツ子ではなく、カトリック系の学校を辞めたきみちゃんと、そもそも一度も信仰したことはないルイくんの2人でした。2人の罪も結局は家族に告白されることで最終的に赦されるわけですが、では、きみちゃんとルイくんにもやはり神が愛を下さったのでしょうか。
ところで、色彩表現豊かなきみの色であっても、最も多く使われた色は、間違いなく茶色です。学校や自宅や書店、そして旧教会の柱や床の色として、或いはギターのネックやテルミンの木材として、特に自己主張することもなく、ただただそこに在り続けました。
そして、茶色は色彩的には暗いオレンジと見なされます。そう、きみちゃんの愛の色の仲間なのです。とはいえ、きみちゃんの愛は、キリスト教的に言えば恋愛感情(エロス)であり、アガペーとは明確に区別されるものなのですが、区別する必要あります?
オレンジ色が愛を表すのならば、茶色だって愛でいいんじゃないでしょうか。アガペーとエロスだって、同じ愛ならグラデーションしてるだけのものとして扱っていいはずです。
きみちゃんやルイくんが何故赦されたのか。それは、2人の家族が自分が思っていたよりも寛容な人たちで、世界が愛に満ちていたからです。
そういえば、シスター日吉子がこんなことを言っていましたね。
「善きもの。美しきもの。真実なるものを歌う音楽ならば、それは聖歌と言えるでしょう」と。
ところで、本作のEDを歌ってくれたアーティストが、20年以上も前になりますがこんな名もなき“聖歌”を歌っていました。
本作で描かれた愛の表現として、これ以上のものはないと思います。