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タリン(エストニアの思い出)
e-residencyや政府の99%のオンライン移行などデジタルのイメージが強いエストニアだが、首都タリンの歴史地区はハンザ同盟の1都市の面影を残すおとぎ話の中に出てきそうな小さくて可愛らしい街である。
ハンザ同盟の港町
ヘルシンキからタリンクシリヤラインで2時間。バルト海と言う交易ルートを代表する港だったと言うガイドブックを読みながら船から出ると簡素な船着場に着く。売店でお伽話に出てきそうなスカーフを巻いたお婆ちゃんに話しかけ、観光客用の市内交通カードタリンカードを用意してもらう、観光用バスのチケットもついた赤いカードだ。
観光用バスとは言え旧市街の中はおそらく規制でバスが入れないため、周るのはそれ以外の施設だった。正直気乗りがしなかったが、おばあちゃんが一生懸命上の方の棚から取り出してきてくれたため、「やっぱり違うカードがいい」とは言えなかった。これがこの旅一番の幸運だった
旧市街の誤算
旧市街に入った時、様子がおかしいことに気がついた。何やらやたらと休業の施設が目立つのだ。近寄って良く見てみると、なんとメイデーのために多くの施設が休みだと言う。ヨーロッパあるあるなので完全に油断していた。彼らはヨーロッパ人。労働者の権利の日にはしっかり休むのだ。観光に日取りは複数日とってあったので行きたかった施設は明日行くとして…どうしよう。ふと、観光用バスのチケットが含まれている事を思い出した。帝政ロシア時代に建てられた宮殿は休みだったが、昔のエストニアの人々の暮らしを展示した野外博物館や森林墓地と言う謎の施設はやっているらしい。ひとまず行くところもないし行ってみるかとバスに乗り込んだ。
華やかではないけれど大切なこと
バスには日本語のガイドがあり、やや怪しげな日本語でエストニアの歴史や文化を解説してくれた。真っ直ぐな幹の線が美しい杉林の中で森林墓地と森に対するエストニア人の考え方を聞くのはとても感慨深かった。是非一度鬱蒼とした森を見ながら聞いてみてほしいので内容は割愛する。
野外博物館も近代化以前の農村の暮らしを再現していて興味深かった。母方の実家である東北の古い家にとてもよく似ていて、厳しい冬を過ごす地方に暮らす人々の知恵を思った。旧市街はとても魅力的だし美しいけれど社会構造を考えてみるとあの街を作ったのはハンザの商人たち、つまり支配者である。大多数の人々は野外博物館にあるような木の家で過ごし、森とともに生きていたのだ。観光バスの途中にソビエトからの独立を果たした「歌の革命」の舞台となったタリン歌の広場が紹介されていた。静かに強かに自分たちの自由と文化を勝ち取ったエストニアの別の面を見れてとても意味のある旅だったと思う。
ちなみに、旧市街も「死の舞踏」絵画があったり、中世ヨーロッパ風居酒屋があったりととても楽しめた。またあの街を訪れたいと思う。