治療を続けるということ
2019年夏、手術前のCTで遠隔転移が見つかり(まぁいわゆる「Stage4」ってやつね)手術ができなくなったので投薬治療のみになった。
一人暮らしの身にとっては、手術にかかる様々な不安(費用、術後の生活などなど)がなくなったことはプラス材料なのだけれど、この投薬治療というのが最近苦痛になってきた。
薬の副作用で手足にしびれとこわばりが出る。ほんの10分ほど動かさないでいるとすぐにこわばってしまう。特にひどいのが朝起きた時の痛み。目覚ましを止めようとしても簡単には止められない。朝起きて一番にするのは洗面台にお湯を張って両手を浸してこわばりを解いてやること。これをやらないと歯磨きも着替えもまともにできない。冬には手袋もしてみたがなーーんにも変わらない。薬によって分泌されるホルモンが抑制されるための副作用。副作用を抑えるために漢方薬を処方してもらってはいるが、漢方薬の飲みづらさにほとんどパス。こういうのを何年も続けている人ってどんな気持ちなんだろう。(ホルモン治療は5年から10年が一般的)家族がいる人はやっぱり「何とか生きなきゃ」って思うんだろうなぁ。
年齢的なこともあって、いつ「親の介護」がやってくるかわからないし、首都圏でやりたいことも大体やりつくしたのでそろそろ故郷に戻ってもいいかなぁと思い始めてる。いまどき乳がんのホルモン治療なんて全国どこででも受けられるし、それ以前に長生きすることに執着がない。私の場合今の投薬治療は10年持たない、と主治医から言われているので最大でもそれくらいの年齢で終わるんだろうなぁと思ってる。どちらかといえばこの世にはあまり未練は感じていないので治療もやめたいくらいなんだけどどう考えても親のほうが長生きしそうな勢いで元気なんだよなぁ。あまり「逆縁の不幸」ということはやりたくないんだけど、次の検査の結果をきいて「治療をやめた場合の予想余命」は聞いてみたいかな。
とあるがん患者のコミュニティに参加しているけど、参加者みんなポジティブというか真面目というか、私みたいな「残りの人生、もうどうでもいいかな」って人がほとんどいない。
もちろん参加した当初は、自分も積極的に書き込みをしてたけど、あまりに「いい子」と「悲劇のヒロインしたい子」が多くて少し距離を置きたくなってしまった。「生きる」ことが「正」でしかないことに耐えられなくなったのかもしれない。
そんなことをノロノロと書いているうちに緊急事態宣言が出されて念願のテレワーク。GW明けに解除の話も出てるけどたぶん延長されるだろうからもうしばらくは今のままだろうが、できればテレワークを定年まで続けたい。どちらかといえばコミュ障というか話をしないですむならせずに終わらせたい人なのに、電話サポートという業務を長いこと続けてきてて、もうそろそろ限界。ごくごく一部で会話もあるけど、基本メールとリモート操作だけで完結するテレワークは自分にとっても理想の形。先月の面談の時に今後についてさりげなくテレワーク希望をにおわせてたんだけど、今回である程度実証されたので検討の余地は広げてもらえたかもしれない。
話がずれた。
タイトルにした「治療を続けるということ」が自分にとってどんな意味を持つのかちょっとわからなくなってきた。
「病気の進行を遅らせる(治らないのは確定的なので)」ことにあまり前向きになっていない自分には無駄なんじゃないだろうかと思ったりもする。
自分は何のために生きながらえているのだろうか。
(テーマが大きくなってしまった)
大きな失敗をしないようにそこそこ真面目に仕事をしてお給料をもらって、時々好きなものを観に行ったり美味しいものを食べたりして過ごす。ただそれだけ。別にそれが嫌なわけじゃない。むしろ好きな方。「生きる」ための大きな目的はなく、路上生活者になりたくない、というかできない(あんなサバイバルな生活絶対無理だもん)から、ほかの人と同じように勤め人として働いているといっても過言ではないのだ。自殺する勇気もないから早く寿命が尽きてほしいと思う。
思いつくままにつづってたら「ろくでなし」になってた。
世の中が収まったらいろいろ変わってるかもしれないから、選択肢が増えるかもしれないし減るかもしれない。そしたら気持ちが変わるかも。とりあえずもう少しの間、人様に迷惑をかけないよう、ひっそりと地味ーーに生きてついでに治療もしてみて、どこかで気持ちが変わるのを待ってみようかな。