美術史第28章『バロック美術-後編part2-』
ネーデルラント南部のフランドル地方がスペインの統治下でゴシック美術など文化が発展していた一方、北部ネーデルラントは16世紀末期に三十年戦争でオランダ共和国として独立、ヨーロッパやアジアの交易を支配するなど国際貿易で爆発的な経済発展を遂げ、ヨーロッパ随一の強国となり、黄金時代を迎え、市民が財力を持ち始めたことから、市民を対象にした美術品が多く作られるようになった。
そんなオランダでは芸術家達が鎬を削っていく中で技巧が発展していき多くの優れた芸術家が誕生、その中で最も有名な人物としては光と影を巧みに用いる技法や精密な描写「テュルプ博士の解剖学講義」「夜警」「布地商組合の見本調査官たち」「ベルシャザルの饗宴」などを描いたレンブラント・ファン・レインという巨匠が活躍している。
そしてもう一人、この時期のオランダには映像のように写実的で綿密な空間構成が組まれ、光によって完璧に質感を再現するなどの技法を使い「真珠の耳飾りの少女」や「牛乳を注ぐ女」「デルフト眺望」など絵画の中で最も有名な作品達や「取り持ち女」「紳士とワインを飲む女」「兵士と笑う女」「窓辺で手紙を読む女」「音楽の稽古」「地理学者」などを描いた巨匠ヨハネス・フェルメールが活躍した。
レンブラントやフェルメールの他にも「陽気な酒飲み」など表情を正確に描写した肖像画で知られるフランス・ハルス、居酒屋で働きながら民衆の生活の様子をユーモラスに描いたヤン・ステーンなどもこの時代の画家である。
一方、この頃のスペインも中南米とカリブ海を征服した15世紀からずっと黄金時代が続いている状態だったが、17世紀になって美術の黄金時代を迎えており、この時代の著名な人物としてはディエゴ・ベラスケスがおり、彼は当初、カラヴァッジオの強い影響を受けセビリアで「卵を調理する老女」などを描いた。
そしてスペイン王フェリペ4世に仕えてマドリードに移住した後、親交を持ったフランドルのルーベンスの影響を強く受け視覚的な印象を正確に捉えて表す様式を確立し、「バッカスの勝利」「鏡のヴィーナス」「インノケンティウス10世の肖像」「ラス・メニーナス」「ウルカヌスの鍛冶場」「ブレダの開城」などを描いている。
ベラスケスの他にも陰影を駆使しているが構成は素朴という様式で宗教画や静物画を描いたマドリードで活躍した画家フランシスコ・デ・スルバラン、綺麗な色彩を用いた宗教画や子供の風俗画で人気を博したセビリアの画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョなどの巨匠がこの時代のスペインで活躍しており、ホセ・デ・リベーラという人物はスペインの領土だったイタリア南部のナポリに移住し庶民を写実的に描く画風を用いて活躍した。
フランスのバロック絵画では、イタリアに移住しローマで活躍した古典的で理知的な作品を作ったニコラ・プッサン、ローマ郊外の田園風景やナポリ湾の風景を古代の情景として描き過去への哀愁を誘う詩的な作品を作ったクロード・ロランの二人が有名で、彼らはイタリアとフランスの両方で高く評価され、プッサンやロランはフランスを強国化したルイ14世が設立した王立アカデミーではラファエロやカラッチと共に絵画の規範とされ、画家達に大きな影響を与えることとなった。
また、この頃のフランスの建築ではルーヴル宮殿のような古代風の建築が多く作られ、17世紀末期にジュール・アルドゥアン=マンサール、ルイ・ル・ヴォー、アンドレ・ル・ノートルらにより作られたヴェルサイユ宮殿は宮殿建築の規範とされた。
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