【志望動機】なぜイラストレーターがハーバードで勉強するか【教育は剣よりもペンタブよりも強い】
こんにちは!めお(@meeownyan)です。この度ハーバード大学の提供するプログラムにて社会人として授業を受けることになりました。
軽い気持ちでツイートしたところ、思いのほか反響があったので、なぜ一介のしがないイラストレーターの私が、社会人になってまで勉強するのか?という志望動機のようなものを書き残そうと思います。
イラストレーターの勉強不足
古来よりイラストレーター界隈では「画力」が唯一無二のものさしのように扱われており「イラストレーターになるには学校に行く必要がありますか?」という質問が尋ねられ続けられています。
私は一貫して「イラストレーター如何に関わらず学校に行き、自分やインターネットだけじゃできない勉強・作れない仲間を作るべきだ」と思っており、画力など一般的にスキルと呼ばれるものの取得は二の次だと思っています。
イラストレーターが基本的に安く買いたたかれるのはなぜか?需要の偏りが著しく、搾取されがちなのはなぜか?私はイラストレーター全体の「勉強不足」が原因だと思っています。
「画力」を評価して仕事をくれる人は誰でしょうか?出版社、広告代理店、読者など、これらは世界のほんの一部で、産業で言うと消費者に近い場所にいます。こういった所謂「中間業者」から仕事を受けて仕事をする我々はいわゆる末端です。しかし、世界には画力を判断基準にしない潜在層が、もっともっとたくさんいます。
たとえば私の所属するメディカルイラストレーション界隈、日本ではイラストを描けるだけで専門的なことは話にならないイラストレーターばかりだという現状です。その結果、次の3択でしか需要が埋められず、せっかく開拓可能な市場が放置されているという状態です。「医療」という市場の大きさを考えると、その機会損失は歴然としています。
医者や研究者が自分で画力をつけて描いた方が早い(依頼しない)
何もわかっていない・妥協前提で、重要度の低いイラストだけを発注
安く文句を言わずに何枚もイラスト量産できる一握りの若手を出版社が一手に引き受け、30年程かけて「教育」する
端的に言うと「イラストレーターが勉強しないから」こんなことになっています。
勉強しないから、市場が開拓できない。
与えられた市場の中でしか勝負できない。新しい価値を生み出せない。
判断基準が「画力」しかない世界にしか存在できない。
イラストレーターの可能性はこんなもんでいいのでしょうか?
もっともっと世界は広いのに。
もっともっとたくさんの人のために、力を発揮できるかもしれないのに。
スキルに固執してもブルーワーカーにしかなれない
私は「画力(=スキル)を上げれば、イラストレーターとして成長できる」というのは一種の思考停止だと思っていて、英語で言うところの「Work harder not smarter(たくさん働くが、やっていることは賢くない)」に似た状態だと感じます。
思考停止して画力に集中しているうちは、イラストレーターは本当の意味での「考えること」をしていないからです。
画力が唯一の判断基準ではないことは現にNFTでも証明されています。そのNFTでさえ、イラストレーターが作った市場ではなく、投資家によって「与えられた」もので、「良いNFT作品」の判断基準も人から与えられたものです。
画力に固執し、人に市場や価値基準を与えられている限り、イラストレーターはビジネスパートナーではなく、指示に従ってモノを完成させ「あらかじめ決められたゴール」を達成するための手段を行使するオーダーテイカーです。
実体験
以上の考えは、私自身の実体験からきています。
描いても描いても仕事が終わらない。時間と収入が常にゼロサムゲームの状態。イラストを描くことが社会貢献につながらない。じゃあ解決策はもっとたくさん描くこと?いや、そんなわけない。それじゃあ限界が見えている。じゃあどうすればいいか?
こういったタイミングで、コロナ禍に関わり「イラスト」よりも「考える力」が圧倒的に問われる仕事に関わったことが大きな転機になりました。
考えること。考えられる人になること。考えられる人だと自信を持って人前に立つこと。考えることを通じて価値を生み出し、社会に貢献していくこと
どうすればこういったことができるようになるか?
「スキル」から「考える力」へ
答えはやっぱり、勉強するしかありません。勉強して、色々な思考回路や人に触れ、自分の「考える力」を磨くしかありません。
そういった気持ちを持って今回ハーバード大学のプログラムに応募し、幸運なことに、学費免除で授業を受けられる10人のうちの1人に選出されました。
最後になりましたが、語りつくされた太宰治の言葉です。私は「カルチベートされる」ということこそが「考える力を身に着けること」だと思います。