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24アイルランドトロフィー府中牝馬ST レースレビュー(パトロールビデオ編)

パトロールビデオを何度も見た。レースの実況がソラでできるかもしれないほどに。まぁいつものことなのだけど、いつもと違うのは自分のnoteをこうして公開する点だ。

説明のためにキャプチャー画面を使えるなら使いたいのはやまやまだけど、JRAがそれを許可していない以上、言葉を尽くして書く。パトロールビデオと照会しながら読んでもらえたらと思う。

このレビューは、予想で推奨した②アスコルティアーモ(津村)を中心としたものとなる。勝てる可能性があったのなら、なぜ勝てなかったのか。それともまったく実力が足りていない馬を推奨した自分の目が節穴だったのか。

そんな視座の延長線上にいろんな含意を見出せる。そこで見出した含意にこそ、競馬の複雑性に対応する知性につながるものがあり、それを提供するというのがこのレビューの目的だ。

スタートでは、②が若干ヨレて①に接触しかかり、その瞬間に②が下げている。その他には特筆すべき有利不利はない。この時点で②は逃げるという選択を放棄したのかもしれない。逃げるつもりがあったのかどうかは本人にしかわからないから推測にすぎないけども。この推測(仮説)によって馬の評価が全く変わってくるので、いつも丁寧に可能性、タラレバを確認する点である。このレースでは、②が結果的に逃げなかった、番手を取らなかった理由がこの時点で推察できる。

さらに考えると①は武さんの馬だってことに気づく。②が瞬時に引いたのは当然だ。武さんを邪魔しちゃいけないという津村の心境を思う。津村はいつだってやさしい。さらにいえば①は最下位となった。もしもここでぶつけていたら、②の7着という結果以上にやらかした津村が心配になるほどだ。そんなことがわずか数秒の間に起こることが競馬をさらに複雑にする。

これらの理由に加えて、②にとってはいきなりのG2で敷居が高かったと仮定すると、逃げ/番手の選択ができるG3やリステッドではまだまだ②の好走可能性は捨てきれないというのがレース含意の1つ。決して私の目が節穴ではなかったことをこれからのレースで証明してほしい。その時の鞍上が津村だったらうれしい。

いずれにせよ、幸か不幸か逃げ/先行の手を取らなかった②は、ハイペースでレースが進む中で後方に位置する。この選択は間違いじゃない。この時点では幸か不幸かといわれると当然に幸だ。この時点で⑤(1着)⑩(2着)は②よりもさらに後ろに位置していたことからもわかる。

⑤ルメールのすごさはここだ。言うまでもないことだが、初めての公開なのであえて書く。瞬時にペースと展開を読み、好位に付けるなら付ける、後方待機なら後方待機。そこで馬を折り合わせる。他の騎手は、なぜルメールの後ろの位置を取らないんだろうかといつも疑問に思う。

このレースでは⑥をマークして4コーナーまで進んだ⑤は、4コーナーで馬群がばらけた際に外のバリを選んだ。そのバリを選んだ⑤が勝ち、内を選んだ⑥は3着に敗れた。一度は窮屈なインを見事に抜け出した⑥だったが、鬼マークの⑤に敗れた。⑤について行った⑩にも差された。

結果的にルメールの後ろに付けた⑩は、⑤が導いてくれた直線で、良いバリ選択ができて2着。このように恵まれた⑩が次で買えるかどうかは慎重な判断が必要になる。⑩の評価のヒントを、理由つきで確認できるのもこのレビューが提供するレース含意。こんなところにも価値を見出してもらえたらうれしい。

ついでにサービスで大切なことを書く。ビッグレースではなぜか武さんの両隣の馬の好走率/複勝回収率が高い。武さんか武さんの両隣。なぜかわかるよね。決してオカルトとかサイン馬券の類じゃない、ちゃんとした理由がある。

話をパトロールビデオに戻す。結果を分けたのは、4コーナーに入る直前の位置取り。1:00あたりから10秒の間だ。内から②(7着)⑤(1着)⑩(2着)と、⑤の視界には⑥が入っている。そんな馬たちが塊になって4コーナーに向かっていく。

コーナーリングの遠心力をうまく利用して外にバリを取った⑤と⑩に対し、②は内を、⑥は真ん中のバリを突いた。1:15あたりから10秒間。結果的にはここがレースのポイントだったことがわかる。

そのバリどりの差がてき面に表れるのが直線。1:40あたりから10秒間を見るのがよい。

渋滞のないバリをスイスイと進む⑤と⑩。何を好んでこんな狭いところに入り込んだのかと思える②。渋滞バリ選択勢は②だけでなないことを確認してほしいが、そんな騎手たちには窮屈な道を案内するナビゲーションシステムが搭載されていたのだろうか。私の車には幅の狭い窮屈な道へ導く最新のナビがあるから、渋滞にはまった騎手を責めることはできない。それくらいの明らかな有利不利があった。まさにバリエーションルートの選択の差である。

そんな中で⑥は真ん中から、川田のエスコートで内に入って抜け出してきた(1:15あたり~10秒間)。それができるのが川田が川田たるゆえんであるが、そんな川田であってもこのレースのバリ選択のバイアスには抗えなかった。価値のある3着である。

結果論に過ぎるけど、⑥も⑤や⑩と同じようなバリを取れたら(4コーナーを見るとそれが可能だったことがわかる(1:20あたり~10秒間)、そんな展開になっていたら着順は逆転していたかもしれない。歴史にはifを持ち込めないが、競馬予想にはそれができる。むしろそれをしなければ次につながらない。

その他のところでは⑦ミルコ。4人気4着って結果は人気どおりといえばそこまでだけど、好位勢の中では最後まで抗えていた。特筆すべき点は⑦だけが最後までまっすぐ走っていたってこと。これだけでも次走の買い要素。これはパトロールビデオを見なければ決してわからないことであり、誰も言ってくれない意外な盲点でもある。そんな含意を書き残す。

最後に。レースレベルという概念がある。その判定には、ペースを加味した時計的な評価を持ち込むのが一般的だ。そうした数字面からの評価も、馬場差も大切な評価基準のひとつだ。馬場でいえばクッション値という概念も加わった。もちろん血統も枠順も調教の過程も。レース予想とは、いろんなことを考えて取り組まなければならない知的な作業だ。ある一定の要素だけでは競馬のレースを予想するには無理がある。それをしてしまうと、ますます養分という世界の沼にはまっていく。

競馬が本質的に持つ複雑性には、知性を持って対応するしかない。AIが跋扈し、せっかくの的中馬券も意外なほどに安くなってしまう世界で戦うには知性が求められる。ここでいう知性とは、競馬を複眼的に、多面的にとらえる総合的な知力をいう。ときには競馬とは関係のない教養だって必要になることがあるだろう。

そんな視点で競馬に向き合おうとする知性ある人のためにこのレビューは書いている。長文となるのは、そんな人は本質的なものである限りどんなに長くてもちゃんと読んでくれるという信頼からでもある。ちょっと見ただけで「なげぇ」と瞬時に切り捨てる人は、このレビューの読者として想定していない。

長くなるのは、せめてもの読者(購入者)へのサービスである。これからも本質的な視点を提供していく。

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※「バリ」について
このレビューや私の予想では頻繁に「バリ」という言葉を使う。なぜならば、競馬を愛した菊池寛への敬意をこめて、今年度の芥川賞を取った『バリ山行』のバリという表現を援用しているからである。バリとは、バリバリのことではなく、バリエーションルートのバリである。

競馬が本質的に持つ複雑性のひとつに、今日のレビューでも言及したとおり「コース選択の巧拙による着順の変動」がある。コース取りと表現してもよいのにあえて「バリ」という表現を用いることに、競馬を愛した先達への敬意を感じ取ってもらえたらうれしい。
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