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【レビュー】24富士ステークス 〜戸崎の蓋〜

推奨馬 セリフォス 2人気4着

兄さんもへぐったし、兄さんを推した私の目が節穴だった。正直すまんかった。節穴はこんなことを書いていた。

こんな節穴予想なんて記憶から消し去りたいけど、恥を忍んで残す。残すだけではなく、ちゃんとレビューする。それが複雑性のもっともたる競馬に向き合うための唯一の武器となる知性につながる作法だからね(しつこいけど繰り返す)。正面から向き合う。

⑦はスタートからインをとれたのは良かった。だけど、仕上がりすぎた馬体故なのか、ペースがお気に召さなかったのか、⑪に蓋をされたポジションがストレスフルだったからなのか、いずれにしてもかかった。懸命に馬と綱引きをする兄さんを見てその瞬間に「終わった」と思ったよ。その感覚だけが今日唯一の正解だ。

このレビューは、そこでお終いにするような反知性なことはしない。ハレンチではなくハンチセイ。反知性とは、知性の真逆にあるものだ。たとえば節穴の予想やこのレビューのことをいう。知性ある人は、反知性とは何かを確認するためにもこのnoteを読んだ方がいい。ついでに以下も読んだ方が役に立つ。たぶん。

富士STが終わった後、ある人がこんなことを書いていた。

セリフォスを買ったのは俺が悪い。
だけどセリフォスが負けたのは騎手が悪いと思うぞ。

某大手競馬サイトの書き込みより

ウマすぎる。日本ってこんなウィットある人で持ってる国なんだ。それを確認するためにネットの掲示板はあるのだということをあらためて思ったよ。決して罵詈雑言を撒き散らかすためにあるんじゃない。馬券を外しても、せめてこんな知性的な人間になりたい。

セリフォスの敗因は引っかかったこと以外にもある。いつも言うように、敗因も勝因も複合的なものだ。複合的な要因が織りなすそんな複雑性こそ競馬を競馬たるものにする。たとえばバリ取り。直線でどこにバリを求めるかなど、いつものようにどこかに転機があったはず。それをパトロールビデオで確認する。

たとえば1:15(レースの時計ではなくJRA映像データの時計。以下同じ)~10秒くらい。(キャプチャー写真を使いたいが、許可がない以上使わない。繰り返すけど著作権限者には敬意を払いたい)

この時点でインにもアウトにもバリを取ることができたが、兄さんの選択はアウトだった。たぶん、トライアルということで安全運転の意識が働いたんだろう。本番だったらインを突く選択があってよいところ。今日だってもしインを突いていたら、⑪ソウルラッシュと馬体を合わせて一緒にあがってきたようにも思う。いつものタラレバだけど。

外を突いた兄さんはどうしたかというと、肩鞭をやさしく2つ入れただけで流した。最後に申し訳程度の尻鞭を軽く当てて流れ込んだ。着差からすると、ちゃんと追えば3着はあっただろうけど兄さんはそれを放棄した。たぶん、本番への試運転としては上々という手ごたえを感じるだけで終わってよいレースだったんだろう。ここが秋の東京での兄さんの晴れ舞台になると読んだ私が節穴だった。トライアルはトライアルに過ぎなかった。

今日の⑦の敗因を馬がかかったことや兄さんの騎乗だけに求めると次の勝利から遠ざかってしままう。それってどゆこと?勝った戸崎のエグいほどのマークのことさ。

アウトのバリを取ろうとしてできなかった兄さんの心中を思う。「えーい、圭太しつこいわ」。そう40秒辺りから10秒くらいの流れを見てほしい。外に出そうとした⑦を16がきっちり斜め後ろから蓋をしていることがわかる。ここで外に出せていたら結果は違っていた。

勝負の綾は、実はセリフォスが引っかかった点にあったのではなく、戸崎がしつこく蓋をしたことにあったことがわかる。先にセリフォスがひっかかった理由をいくつかあげてそれに敗因を求めたが、ここでも節穴だった。引っかかったことが敗因なのではない。敗因の一つかもしれないけど、それ以上に引っかかったあとのバリ取りの攻防にこそ勝敗を分かつ綾があったのだ。兄さんからしても、セリフォスからにしても「ええかげんひつこいねん」というくらいの戸崎の蓋に⑦の敗因があった。

そこに気づけるのがレビューの成果だ。そこに気づくために時間をかけてレビューして言語化する。お金を払ってまで読む価値はあると思うよ。私ならそうするし、そうしてきたからね。それが知的コンテンツに対する知性ある人ののマナー(お作法)だもの。

話を戻す。この秋開催。戸崎の重賞でのレースぶりを再確認する。今日も、秋華賞(2人気3着)、府中牝馬ST(10人気2着)に続いて人気馬をマークして今日は差し切った。

こんな戸崎の元来の騎乗技術に加え、開眼したかのような知性あるバリ取りを評価する私は、明日の菊花賞の【予想もどきのエッセイ】をこのように書いた。

戸崎よ。ここに書いたトサキになるのは明日からの約束ではなかったか。今日は「トサキ差せ、トサキ差せ差せ、トサキ差せ」を連呼する心の準備はなかったぞ。

仕方ない。今日のことは許そう。ってか開眼した君ではなく、最後の秋開催という兄さんに思いをやりすぎてしまった私が節穴だった。だが、明日の本番ではちゃんと君を信じるから、君も約束を守ってほしい。心の準備だけでなく、期待をもって応援する。家族そろって連呼する。ちゃんと練習もした。だから明日はちゃんとトサキを演じるように。頼むでしかし。

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