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「私」を構成するゲーム

 物心ついた頃から、家にはスーファミがあった。まだ幼い私が寝たあと、母がこっそり「トルネコの大冒険」をやっていたのを覚えている。

 まあつまり私がゲーム好きになったのは、おそらく母の影響だ。弟もゲーマーになった。間違いなく母の影響だ。

 私という存在の大きな部分を、テレビゲームが占めている。ゲームが身近な環境で育ち、ゲームはやるもやらないも生活の一部だった。ゲームがすべて、というほどではないけれど、私の趣味嗜好や考え方の多くは、ゲームから得たものだ。それなら、好きなゲームを語ることは私の自己紹介に等しい。
 noteも始めたばかりだ。この機会だから、少し語らせてほしい。

 一番最初にやったテレビゲームがなにかは覚えていない。トルネコはやったけど難しかったし、死ぬとすべてを失うというのが怖すぎて、あまりハマらなかったような記憶がある。でも、ももんじゃが好きだったのは確か。それに、自分でやるのが怖かっただけで、それを見るのは大好きだった。
 覚えているのは、ゲームボーイでやったノンタンのパズルゲームとか、ネズミのキャラが数字のパネルを押すパズルゲームだ。タイトルは忘れてしまった。じっくり考えられるゲームが好きで、焦らされるゲームは苦手だった。それは今も変わっていない。

パネルでポン

 クリスマスには、祖母の家でパーティをやるのが恒例だった。そこでもらえるプレゼントはもちろん毎年の楽しみだったわけだが、ある年、私はテレビゲームを貰った。なぜだかいつもより感動したのを覚えている。
 今思うに、それが初めての「私の」ゲームだったからじゃないだろうか。それまでは「母の/家の/姉弟の」ゲームであって、自分の所有物ではないのだと、どこかで感じていたのだと思う。
 そのゲームというのが、「パネルでポン」。
 その日から、パネポンは私の特別になった。上手とは言えなかったけれど、やり込んだ。間違いなく、その後の私に影響を与えた。ゲームそのものもそうだし、キャラ造形や世界観の好みとか、そういう方面でも。
 当時、いつも頭の中で空想していた物語では、彼女たちをモデルにしたキャラが所狭しと活躍していた。音の妖精や雷の妖精だなんてオリジナルのキャラも作った。もしかしたら私の二次創作は、ここから始まったのかもしれない。今だって、私が創作するものの多くは、少なからずあの子たちの影響を受けている。
 パネポンの後続ゲームはたくさん出ていたし、いくつかはやってみた。けれど、あの妖精たちが主役じゃないものは、私にとって違うゲームなのだと、そう感じている。

ファイアーエムブレム

 同じくスーファミの、「ファイアーエムブレム紋章の謎」も、私に多大な影響を与えたゲームだ。姫と騎士とか、国と国の確執とか、それからいわゆる貴種流離譚というものが好きなのは、間違いなくこのゲームからきている。
 同時期にやっていたゲームで、これほど物語性の高いものはなかった気がする。ゲームをやりながら、小説を読んでいるような気持ちになった。セリフのない仲間も多かったけれど、どの仲間にも個性があるように感じたのは、きっと当時よく読んでいた四コママンガ劇場のせい。
 語られない部分の物語、というものに思いを馳せることを覚えたのはこのゲームのおかげだ。
 もっとも、紋章の謎は私には難しかった。トルネコがそうであったように、死んだら失ってしまう、というシステムは私には怖すぎたのだ。ゲームそのものに本格的にハマりだしたのは、ゲームボーイアドバンスの「封印の剣」から。オートセーブというのもよかった。ハマったのがちょうど受験のころだったので、机の上にノートとアドバンスを並べて、勉強と攻略を同時にやっていたのを覚えている。――よく合格できたな、私。

ドラクエとポケモン

 ドラクエはもちろん好きだ。始まりがトルネコからだったのもあって、愛着は強い。私の中でゲームといえばRPGなのは、ドラクエが真っ先に浮かぶから。回復といえばホイミだし、眠くなったらザメハだし、移動にはルーラだし、ポーションより薬草派だし、空飛ぶ乗り物ならベッド派だ。
 どの作品も甲乙つけがたいが、その中でも特に好きなのは「テリーのワンダーランド」である。
 トルネコを見ていたころから、どちらかというとモンスターに惹かれていた私なので、そのモンスターたちが主役となれば、楽しくないわけがない。スライムやドラキーなんかの小さくてかわいいヤツらで最強を目指せるのがよかった。大きくてゴツいヤツでも、育てれば愛着が湧いた。
 それから、同じくモンスターのゲームといえば、ポケモンを忘れてはならない。もちろんやった。大好きだ。私の中では、テリーと並んで「モンスターのゲーム2大巨頭」である。ちなみに、「3大モンスターのゲーム」ならモンスターファームを加えるところ。
 ドラクエとポケモンは私のベースにあり過ぎて、逆に語ることが少ない。ただ、私のモンスター好きは、この2つで極まったと言っていい。

クロノトリガー

 ドラクエが好きで、ひいては鳥山先生の絵が好きだったから、クロノトリガーにも手を出した。ドラクエしかRPGを知らなかった私にとって、衝撃的なゲームだった。
 まずシンボルエンカウントであること。それから、ATB(焦るからウェイトでしかできないのだけど)。魔王が仲間になること。過去を変えると未来も変わること。主人公が死ぬこと。主人公がいなくてもクリアできること。
 でもそんなシステム面の話は置いておいて、私にとって何より大事なのは、カエルとロボというキャラクターに出会ったことである。
 騎士が好きで蛙が好きな私には、カエルはドンピシャだった。実は勇者であるとか、秘めた過去があるとか、リーネとの関係とか。シルバードに乗る時のかけ声とか、初めて魔法を見せたときのリアクションとか。初登場シーンの王道のかっこよさとか、その後随所で見せる可愛らしさとか。カエルになった当初は身体能力の変化に苦労しただろうなぁとか、それでも強いんだから大した努力家だよなぁとか。深堀りすれば止まらないからこのあたりにしておくが、とにかく彼は、私にとって特別なキャラクターだ。
 ロボも同じく、特別なキャラクターである。なにがそんなに琴線に触れたのだったか、もう覚えてはいないけれど。ゴツいのに愛らしい丸っこいフォルム、そこから発される丁寧で思いやりに満ちた言葉、健気な性格、メカだからかいつも冷静で、そのくせ情には厚い。破壊力のある技の数々と、堅固な装甲は頼もしくて、ちょっぴり足が遅いのはご愛嬌。やはりきりがないので程々にしておくけれど、こんなに可愛いロボットは他にいない。
 私が好きなキャラクターの傾向というものを、決定づけた二人だと思う。

ポポロクロイス

 私を知る人に聞けば、ポポロクロイスこそ私を象徴するゲームだと言うだろう。それくらい、このゲームは私にとって大きな存在だ。いや、ゲームだけではなく、それを取り巻く世界を含めても。
 10歳の王子ピエトロが、ある日、死んだと思っていた母が生きていると知り、母の魂を救い出すために冒険の旅に出る。童話のような王道の物語。童話のような温かみある世界。童話のように優しくて、それでいて時にはシビアなストーリー。このゲームの良さは私以外にも語る人が大勢いるから、私はごく個人的な部分を述べることにする。
 改めて、このゲームのどこがそんなに良いんだろうと考えたら、私にとってそれはキャラクターだった。仲間たちはもちろん、敵も、お城の人々も、そのへんの通行人ですら個性的。優しいグラフィックと相まって、ただの1キャラクターではなく、「そこにいる」ことを感じた。私が没入するには十分だった。個性の塊たちは私の頭の中で勝手に遊びだし、私はそれを夢中で記録した。
 もう一つ、忘れてはならないのがソシャゲ版の「ナルシアの涙と妖精の笛」である。
 世間の評価があまり芳しくないことは知っているが、私はこのソシャゲを評価している。初めは確かに、ソシャゲってどうなの?と思った。ポポロは一人で没入するタイプのゲームだったから。チュートリアルでギルド(このゲームでは船団という)に入ることを求められたときは、拒否感もあった。それでもその感情を乗り越えたとき、私が得たのは、「ポポロクロイスが好き」という気持ちで集まった同士たち。
 ポポロは一人でやるゲームだ。故に、同好の士との交流は少ない。コミュニティもないわけではないけれど、人見知りの私が自分から飛び込んでいくなんて、とてもできない。そこで、人との交流を主眼にしたソシャゲである。まんまと引っかかった私には、一気に友だちが増えた。まさにポポロ(人々)がクロイス(交流)するゲームだったわけである。
 そこで出会った仲間とは、ゲームがサ終した今でも、仲良くさせてもらっている。むしろ、サ終するときになって、この関係が失われるのは惜しいと慌てて繋いだ縁もある。私が下手くそな絵をあちこちで投稿するようになったのも、彼らの影響だ。

ほかにも

 ここまで特に私を構成するゲームという観点から、長々と語らせてもらった。好きなゲームという観点なら、もっとほかにも語りたいものはある。どこでもいっしょとか、パタポンとか、ボクと魔王とか、カービィとか、モンスターファームとか、クロノアとか。でも、それはまたの機会に譲る。さっき自分で読み返してみて、さすがに長くなったなと思ったので。最後に一枚、最近描いた絵を見てほしい。pixivにはほかの絵、また小説もあるので、気が向いたらそちらも。


 それでは以上をもって、自己紹介と代えさせてもらう。読んでくれてありがとう。もし趣味の合う人がいたら、嬉しいな。

#自己紹介をゲームで語る

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