我慢しなくても、幸せになっていい。
我慢という言葉がよぎったとき。その我慢は本当に必要なものなのか?ってことは見直せる余白は残しておきたいと思う。
こんばんは。HALです。
我慢。
これ、М側の方が口にしているのを見るけれど…正直言って、8割以上は「よろしくない」状況で使われているように見える。
会えないのを我慢、身勝手なプレイをされるのを我慢、要望が通らないのを我慢、連絡が取れないのを我慢…
もちろんね、こういうので「燃える」人がいるのも存じ上げてるし、それは個人の趣向でいいと思う。
ただ、中にはどうしてもその…立場の傾斜を悪用して「言うことを聞くのがうんぬん」みたいに、少しでも都合の悪いことが起こると面倒がって従者側に我慢を強いてるように見える例もある。もっとひどい例になると、敢えて無知な相手を騙すように「そういうもの」と刷り込もうとする方もいる。
こういうのはね…やっぱりわたしとしてはナシ。
うまくいかなくなったときに従者側が「憎しみ」を募らせてしまうのは大概この要素が原因かつ…「そういうもの」と教えられた世界が「実はそうではなかった」と知ったときだと思う。
だから、もしこれを読んでくれているあなたがいま「我慢」をしているのなら。その我慢は本当に要るものなのか?と考えられる余白は残しておく方がいい、とわたしは伝えたい。
意味のない我慢をせずとも、しあわせになっていい。
わたしはそう思うのです。
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