回収率低すぎ!映画製作は宝くじより割の合わないギャンブルだった
前略
ハルチンです。引き続き、実録「ブラック映像ベンチャー」のお話をお楽しみください。
夢を人質にとられ、ゾンビ化していく正社員
年間4~5本の実写映画制作をこなし(これってあり得ない本数だけど)同時に新会社立ち上げ。ってことで爆忙しかった1998年の暮れ。私のカラダがついにエラーを起こしました。渋谷の駅ビルの文具店で、突然気分が悪くなり動けなくなったのです。近くにいた人が心配して声をかけてくれましたが、非常階段にしゃがみこみ、吐き気を抑えるのがやっとでした。
なんとか携帯で先輩に連絡をとり、車で家まで搬送してもらいました。寝たきりで迎えたお正月。年明け、ようやく仕事に復帰すると社長が「日経新聞に社員募集の広告をだす」と意気込んでいます。なぜ、朝日でも毎日でもなく日経新聞なのか?それは、エンタメ業界以外から人を集めたいからです。
それって面白いんじゃない?単純に私は思いました。自分も閉ざされた門をこじ開けてこの業界に入ったし、いろんな人材がいた方が発想も豊かになる。
実際、広告に反応してきた人たちの経歴はさまざまで、大手一流企業のポストを捨ててまで、夢に・映画に賭ける熱い人達がゴロゴロ。たった2回の求人広告でこの訴求力。エンタメ業界って、やっぱり魅力的なんだ。
やがて選りすぐりの数名が入社しました。
みんなカチッとしたスーツを着て、ネクタイを締めています。ブラックスーツでタバコを咥え頭をかきむしってる社長が、一番カタギっぽくないです。
家族持ちの人たちが、思い切って未知の業界に飛び込むにはそれなりの覚悟があったはず。給料だって、それほど高くはないし、今までのキャリアがどう役に立つのかもわからない。
けれど、どの業種でも仕事に生かせるスキル。それは対人能力。何人かの正社員は、入ってすぐに社長とぶつかり、辞めていきました。前職での立場や待遇とあまりにも違う扱いに、頭にきて辞める人もいました。「おつかれさん!」とさわやかに退社して、そのまま来なくなった人もいました。
それでも、残った人たちは、何も教えてもらえない会社でたくさん失敗をして学び、プライドをもみくちゃにされても尚喰らいつき、一歩一歩周りの信頼を勝ち取っていく形で仕事を進めていきました。
それなのに…年末の「忘年会」と称した吊るし上げ会で社長からの個人攻撃。もはや、飲んでる酒の味などせず、怒られている人は蝋人形のように硬直し、誰もひとことも発しません。反論も、弁明の機会も与えられずその人は降格させられました。明日は我が身か。そんな恐怖で心臓を病む人さえ出ました。社内の空気をさらに悪くしたのは、社長の離婚、という超個人的な出来事でした。
坂道を転がるように3年半で幕を閉じた新会社。
鳴り物入りでスタートした新会社も、ヒット作を1本も生み出せないまま、資本金を食い潰す形で解散。残された社員はどうしたのかというと、大半は親会社に移籍、という恰好で首がつながりました。これは、最後まで「モラルの砦」として社員を守ろうとしてくれた経理部長のおかげです。社長が湯水のようにカネを使い、海外映画祭へのプロモーションや、自身のアルマーニのスーツなどを新調する中、ひたすら経費と向き合った経理部長。漫才のボケ役のような風貌とは裏腹に、内心煮えたぎる怒りを隠していたことが、机にマウスを叩きつけた跡からわかりました。
このようにして、私が立ち上げから携わった会社は跡形もなく消え去り、もともと一年毎に契約更新されていた私はそれ以降、フリーランスとして業界を彷徨うことになります。