『ぬか喜びさせてごめんなさい…』期待と善意が空回りした1日
冬休み中、ずっと頑張ってくれたお母さんに、ご褒美を。
そんな優しいキモチから、娘が企画してくれた「1日ホテルデー」。
自宅で、ホテルのようにおもてなしをしてくれる、というアイディアで、私が朝起きてから寝るまで、望む通りの予定を叶えてくれる、という夢のような企画。
つい真に受けて、期待しちゃう私も私なんだけど・・・
その日は、朝7時に起きて夫を送り出す、という任務があったので、子どもたちが計画した「ママを起こして、自分たちで朝食を準備する」というのが宙に浮いてしまいました。そこから、なにかが狂いだしたように、計画が未消化のまま進み、気がついたら夕飯の時間も近づいて「あれ?今日ってママは何もしなくてもいい日じゃなかったっけ?」と子どもたちに問うてみると・・
「はいはいはい」(3つかよ)
いかにも乗り気じゃない様子で、娘が夕飯の準備に立ち上がる。息子には「お風呂洗ってくれる?」と再三頼んでみたものの、無視される(# ゚Д゚)
わたしはお風呂を洗いながら
「なんでこんな不愉快な気分にならなきゃいけないんだろう。いつもと同じことやってるだけなのに」
そう、同じ家事でも、アテが外れて自分がやることになるのと、始めから自分でやるつもりでやるのとでは、ぜんぜん違うのよ。
娘があまりにも期待値をあげてくれたおかげで、現実とのギャップに結構ダメージを受けていたわたしは、夕飯時に「なんだか今日、おかあさん物悲しい気分だな」と漏らしました。
すると、娘も暗い顔で「なんかダルい」
といって、食事が済むとすぐ部屋に引っ込んでしまいました。
計画の最後に入れていた「マッサージ」は、かろうじて息子がやってくれたものの、なんだか釈然としない気持ちでいたら・・・
居間に戻ってきた娘が
「ぬか喜びさせちゃってごめんなさい」
と一言いってまた部屋に消えました。
「ぬか喜び」って単語が、まさしくその時のわたしの心を言い当てていて、それに驚いてしまったあと、気が付きました。
計画段階では、私のことを労ろうとして色々考えてくれたんだよね。そんな娘の気遣いや、優しさを味わったことへのお礼も言わずに、「期待外れで悲しい」と口に出してしまった私。
未熟な母さんだよ・・・
急いで部屋にいって、布団にもぐっている娘に「思う通りにいかなくて、お互い残念だったよね。計画してくれたことはうれしかったよ」と言葉をかけると、悔しいのか悲しいのか、涙を隠しながらさらに布団に潜り込みました。
次の朝、もしかしたら朝食を用意してくれるかも・・・という淡い期待は見事に裏切られ、堂々と9時に起きてくる娘。朝から録画したアニメを見てゲラゲラ笑ってる子どもたちを見て、なんだか拍子抜けするような、安心するような。これからも、行動の伴わない善意に振り回されることは多々あるはずですが、心して、善意だけを受け取ろう!と思った出来事です。
この話もふくめ、ラジオでは「子育て」「人間関係」「感情とニーズ」などについてお話しています。よかったら聞いてみてください♡
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