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ぜんぶ遊びの世界
NVC的に言うと「ものごとを行う時の動機」それは「遊び」です。
はじめからワケのわからないことを言っているように聞こえますが、それが意味するところは、
物事を行うときに、「これは人生によろこびを与えるかどうか」で判断する、ということです。
決して、罰を与えられるとか、義務や責任、羞恥心や罪悪感から物事を行ってはいけない、そういう意味での「遊び」です。
「遊び」は人間が生まれたときからやっています。
赤ちゃんが指をしゃぶったり、手足をバタバタさせる行為も遊びの一種だし、子どもの頃はだれもが、教えられたわけでもないのに一心に遊ぶことを生活の中心にしています。
遊ぶ行為は、人間の本質といってもいいかもしれません。
しかし成長するにつれ、なにかを「しなければならない」と思い込むことが多くなります。
例えば、宿題をしなくてはいけない。
学校にいかなければいけない。
働いて、お金を稼がなくてはいけない。
そのために、嫌なことも我慢して、忍耐強くなりなさい。
そこになんの疑問も生じない人が多いと思う。
NVCの提唱者マーシャル・ローゼンバーグ博士は、精神科医という職業のなかでも、患者の臨床報告書を書くことが苦痛で仕方なかった。
イヤイヤやっている仕事のために、毎日1時間は費やしていた。
そして、それを辞める決心をした。
・・その結果、マーシャルは仕事を失い、タクシーの運転手として生計を稼ぐ時期があったそうです。
なんという選択。
医師というステイタスを失い、仕事から得られる報酬も失い、そこまでして、「やりたくないこと」を人生から排除しようとしたのはなぜ?
それはシンプルに、「よろこびを得られないから」
お金や、周囲からの評価といった報酬よりも、自分がやっている行動から得られる「よろこび」を重視する生き方。しかも、「よろこびも苦しみも」ではなく、「よろこび」につながる行動だけを選択する、というラディカルさ。
ちょっと真似できない、と最初は思いました。
でも、そうするといつまでも、ギブアンドテイクの世界から抜け出せない。
よろこびにつながる行為だけをやっていたとしたら、そこに見返りは必要ないけれど、好きでもないことは、お金でももらわなきゃやってられないよ、ということになる。
てことは、わたしはお金をもらうために、あるいは周りから評価されるために、好きではないことで人生を費やしている?
好きなことをやって生きる
若い頃はそんな夢もみていたけど、
世の中そんなに甘いもんじゃないぜ、って思っていた。
でもひょっとしたら
「好きなことをしないで生きる」
方が、よっぽどリスクが高くて、コストのかかる生き方なのかもしれないね。
好きなことをやる。その行為自体がよろこびだから、それは決してマイナスにはならない。
反対に、好きではないことをやる。それは苦痛だから、お金や、評価や、快楽で補填しないといけない。
マイナスを掘り続けて、それを埋めていくような人生。
それって、どこまでいってもプラスにならないんじゃない?
そんなことをラジオで喋っています。
https://open.spotify.com/episode/7exoLsPuzDnX8tcXklkTiE