たくさんの手で、こどもを育てる

最近のわたしは、こどもたちに呪いをかけていた。
しかも、一定のシチュエーションで同じことばが繰り出されるbotのように。

「はやく寝ないと、サンタさん来ないよ」

ちいさい頃からノンタンの絵本を愛読しているふたりは「ねない子のところにサンタさんは来ない」ことを知っている。それでも、毎晩なかなか寝ない。そこで繰り出されるのがこのことばだった。

寝るのが遅い(既に事実で変更がきかない)を突きつけられたうえ、サンタさん来てくれないらしい、という言葉に、こどもたちの気持ちは揺れていた。

5歳むすめは「あしたからはやくねるから…」と涙ぽろり
3歳むすこは「うん、わかった」とあっさり。

ほしいものはなぁに

呪いをかけられているむすめは、欲しいものを問われても、いま持っているぬいぐるみや、ぬりえがほしい、とぽそり。

そんなの持ってるでしょ?
ほんとにそれ?
なんでそれなの?

混乱してきたむすめは、「でもサンタさんがきてくれないのはいやなの…」とまた涙。(いま書き出してみて、自分の未熟さに絶望している母)

あれ?わたしはこんなやりとりをしたかったんだっけ。
我が家のクリスマス前線は、微妙に、いや、だいぶ停滞していた。呪いをかけたいわけではないのに、botなので仕方ない。

こんなときの、救世主

第一候補はもちろん夫だ。
わたしの意向も、いろいろふんふん聞いたうえで、こどもたちにも丁寧にコミュニケーションをとる。

なんだけど。
近頃毎日忙しく、こうした日々の細かなコミュニケーションを頼むには、今シーズンは戦力外。

となると、第二候補。
ありがたいことに、こどもたちには、頼れるおとなが何人もいる。いちばん(物理的に)近いのが、もう2年近く遊んでもらっている、シッターさんだ。

すきなものリスト

「ほしいものがあるなら、おてがみかいてみたらいいんじゃない。サンタさんが、見てくれるかもしれないしね。」

シッターさんが来てくれる日の前夜(つまり昨晩)、むすめとこんな話をした。欲しいものがわからない(小さいころからあまり物欲を示されたことがない)なら、書けるわけもないんだけど、なんとなく作戦を立てていた。

お手紙書くのがだいすきで、サンタさんにも来てもらいたいむすめは「明日(シッターさんと)一緒に書く!」と気を取り直していた。(ここでも、母の姑息な気持ちがスケスケだけれども、もう、なんというかしょうがないんだこれは)

そんなわけで、今日。
いつもより2時間早いお迎えで、たっぷり外遊びしてきたこどもたちが、帰ってきた。

夕飯のあと、いそいそとお手紙セット(お絵描き帳と、36色のペン)を用意しはじめた。

ほしいものリスト、の前に、すきなものリストを書いてもらおう、と思った。

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いっぱいあった!
シッターさんが、横に座って質問したり、いっしょに考えたりしてくれたおかげで、たくさんの「すき」が詰まったリストができた。彼女のことを3歳から見てくれているので、引き出し方も乗せ方も、お手の物だ。

母はそのあいだ、皿を洗ったり、むすことお絵描きしたり。すべてシッターさんにお任せした。あーだこーだ、余計なことは、もう言わなくていいように。

サンタさんへの手紙

ここから、いちばんほしいなーっておもうものを、色とか形とかちゃんとお絵描きして、サンタさんに教えてあげようよ!
おそく寝てて、サンタさん昨日までは見てくれてなかったかもしれないから、今日みてすぐ、これだね!ってわかるように描こう!

リストを仕上げたあと、お手紙を書いていた。
シッターさんの誘導は多分こんな感じで(ちゃんと聞いてなかったけど)同席してないスポンサー、もとい、サンタにちゃんと伝わるように、ところどころ読み上げながら書いてくれたのは神すぎる。

画像2

この詳細な図解!
(黒い文字はシッターさんが書いてくれたもの)

はやくねてます

むすめが伝えたかった最重要メッセージはたぶんこれ。
いちばんすきな色のペンで、丁寧に書いていた。


たぶんこれが、いまできる最善だったと思う。なんとなくそうだと知っていたけれど、わたしひとりでは、もう修復しきれないダメージがあった。シッターさんのおかげで、停滞前線が持ち直した。

むすめは、決してわたしのやりように「騙された」わけじゃなく、「乗っかった」のだろうと思う。母が示した免罪符のようなものを、彼女もまた、軽やかに片目つぶってゼロリセットしたんだろう。

子育て、というけれど

母も子も、ひとりの人間で、どっちかだけが、どっちかを育てるなんてことは(母乳と睡眠で生きながらえる乳児期を除いて)ほぼないと思っている。

どっちにも、得意不得意、コミュニケーションスタイル、嬉しいこと嫌なこと、あって当たり前だ。

そんなとき、こどもたちにとっても、わたしにとっても、逃げ場となり救世主となるのは、一緒に育ててくれる大人の存在なんじゃないか。自分とも、親とも違う意見を持ってまっすぐぶつけてくれるなら、なおいい。

たくさんの手でこどもを育てることのゆたかさ、ありがたさを、今日もたくさんもらったなぁ。

11月はやく寝なかったからサンタさん来ないんでしょ

おっとまだ、手強い3歳がうちにはいたんだった。こっちも、見抜いている。おとながどう出てくるか、余裕かまして見ているんだと思う。さ、どうしよかね。

皆さんからのサポートは、子どもたちと新しい体験をしたり、新たな学びのために使わせていただきます。