そうか、わたし公園嫌いだったんだな。
「おかあさーん、こーうーえーんー、いこ!」
週末も仕事の夫が出かけた直後も、ベッドでいつまでもゴロゴロしてるわたしの元へこどもたちがやってくる。
よし行こうー!なんて気持ちになることは、ほぼない。なんかいつも億劫だし、できれば行きたくない。
遠出が嫌なのではなく、近ければ近いほど(遊具と砂場と広場があるフツーの公園であればあるほど)行きたくない。
こどもたちがなかなか着替えないとか、まだ歯磨きしてないとか、を理由にして、出発を先延ばしにして、出来るなら回避したいとさえ思ってる。最終的に気乗りしないまま出かけはするが、大人げない。
遠くの公園は、結構好き
冒頭から何を言ってるのか、公園の好き嫌いの分かれ目は距離なのか?
いやそうじゃなく、アスレチックがあるとか、お弁当を食べる芝生があるとか、そういう公園は好きで、朝から割と張り切って準備するほうだ(しないと現地にたどり着けないからというのもある)。あと、旅先とかにある「普通の公園」も母としては救われるので及第点。つまり、公園であるかどうかより、目的を持ってたどり着く場がたまたま公園だった、ならOK。
今日寒空の下、すべり台や砂場で遊ぶ姉弟を眺めながら(否、ベンチで本読みながらたまに視線を送る程度)ふと思った。そして目の前には、一輪車にチャレンジしている5歳の女の子&ママの姿も。
普通の公園、ハッキリ言って全然たのしくない!
こどもたちは可愛い。
見てるのが嫌とかじゃないんだ。
できなかったことができるようになっているのを見るのはたのしいし、感動もする。
でも、全然たのしくない。
寒いし早く帰りたい。
たのしくない理由を考えてみた
なんとなく罪悪感に似た気持ちを抱えながら、考えた。
浮かんだのは3つ。
1.こどもたちが大きくなって「目を離せない」危なっかしさが減った
見ていてハラハラしない=若干退屈なのかも?
それこそ、鉄棒やブランコや登り棒など、ある程度スキルを要するものは一定の目配りや、落ちたときのサポートが必要なので、ハラハラすることもあるのだが、5歳3歳の姉弟、ほぼそういうシーンに出くわさない。
まぁこれはその通りだけど別に重大な理由じゃなさそう。
2.我が子ふたり、公園で「動」より「静」
彼らはふたり一緒だとすべり台と砂場に常駐してる。
足も速くないし難しい遊具にはチャレンジしない弟に、姉が合わせてくれているのはわかる(同世代のお友達やいとこと一緒だと全力疾走しているのと、知らない子に自分から仕掛けていくタイプではないので、多分現状できる最善を選択してる)。
これも、娘ありがとう、という気持ちで終わる。
じゃあ、なんなんだ。
3.わたし自身が、公園によい思い出がない
たぶんこれが最大の理由だと気がついた。
わたし、公園が好きじゃない。
子どもの頃「天気いいんだからお外で遊んできたら」と言われるのが嫌だった(あまりにも行かないから言われなくなった)。家で本読んだり、塗り絵したり、本読んだり、ピアノ弾いたり、お話を作ったりしていたかった。
なぜか。
公園でたのしい経験ができないからだ。
幼稚園のとき仲良かった子は、小学校1年生でみんな引っ越していった。そもそも園児なんて親が同伴しているし、一緒に遊んでいるんだかなんだか、みたいな感じではあったけど。
同じマンションに30人くらい同級生はいたのだけど、なんとなく出来上がっているグループがある。
子どもだから、派閥のようなものではない。イジメとかも全くない。どっちかといえば気持ちのいい子たちが揃っていた。けど、なんていうか、運動能力で自然と振り分けられる、に近いかも。早生まれであることも、影響していたかもしれない。
わたしは運動が苦手だった。
足も遅いしボールも投げられない、筋力もない。
鬼ごっこすれば最初に捕まって永遠に鬼。
ドッジボールすれば逃げ回るか永遠に外野(いるだけ)
逆上がりも木登りも、できるわけなく。
ローラースケートも、一輪車も、できるようになった頃にはブームの終わりを迎えつつあった。
さらに
ブランコ筆頭に動く遊具が苦手(酔う)
砂場も嫌い(なぜわざわざ汚れに行くのかわからん)
手洗い場も苦手(無駄に水びたしとかが嫌い)
とかもおまけについてきて、唯一アリなのはすべり台とジャングルジムくらい。
公園の中に、ほぼ「居場所がなかった」のだ。
授業とか習い事でつまづくことがほぼなかったわたしは、公園ではつまづいて起き上がることさえできないレベルだった。そのことで誰かに嫌なことを言われたりされたりしたことは全くないけど、自分自身が居場所を見出せなかったのだ。
幼いわたしを抱きしめた
寒空のもと、子どもたちを待ちながら、そんなことを思い出して、わたしは、自分の中にいた幼いわたしを膝に乗せて抱きしめた。
そうか。
遠くの公園が好きなのは、子どもの頃も同じだった。
アスレチックとか、芝生でお弁当とか、そういう非日常のなかに公園が位置づけられることは、苦じゃなかった。でも、マンションの下にある公園は、日常だった。
その日常がたのしい場所じゃなかったら、そりゃ行きたくないわね。と。
我が子たちは、今のところ公園は好きみたい。
でも、好きじゃないなら、別に行かなくたっていい。
広い庭とあたり一面の田んぼに囲まれて育った夫は、公園に行くのが嫌いではないみたい。わたしのような謎のこだわりがないし、単に子どもたちといるのが好きすぎる人。
次の休みも、夫はいない。電車やバスでの遠出はちょっとはばかられるけど、お弁当持って、ちょっとだけ遠くの公園にしてもいいかな。
皆さんからのサポートは、子どもたちと新しい体験をしたり、新たな学びのために使わせていただきます。