おやときどきこども、まだまだこども。
あぁ、わたしはどうしたらよかったんだろうか。
気付けば、息子の遊びスペースは空っぽになっていた。
わたしが全てのおもちゃをゴミ袋に入れて外に出したからだ。
おもちゃよりも夢中なもの
2歳むすこはiPadが大好きだ。
「みるさん」
“見る”に敬称までつけて呼んでる。
見ているのは、おおかた、この二つ。
・はたらくくるま(歌)の動画
・ズーラシアンブラス(クラシック)の動画
制限時間がきたら、「おわりました」と片付ける。
そう、彼はわりと賢いのだ。
だから、今までは「まぁ、いいか」と思っていた。
ところが。
「お約束の時間を過ぎたから終わりにしよう」
最近、声をかけても、うんと言わなくなった。
YouTube kidsの制限時間がくると、普通のYouTubeを起動させてる(ズーラシアンブラスは、 kidsでは見れない)。iPad本体の制限設定まで手放そうとしない。
大好きだから知恵もつくというわけだ。
大人の事情
日頃、基本機嫌良く過ごしているわたしも、時々イラつくことがある。風邪は引かない胃腸も丈夫だけど、月イチ絶不調の波はくる。なんなら健康なもんで、超規則正しく毎月。そして、1か月に3時間だけどうにも避けようのない体調不良に陥る。それが、今日の夕飯後だった。
iPadを手放さない2歳児に向かって、ひとこと。
「他のおもちゃいらないなら、捨てるよ」
彼はちらっと顔をあげて、「いいよ」と。
わたしのなかで、バチーン、と何かが切れた音がした。ゴミ袋を持ってきて、大好きなトミカも、新幹線も、乗り物の本も、トーマスのパズルも、全部入れた。
イヤ!を期待していたのか?
彼は顔も上げずにiPadを見ている。行き場をなくしたわたしのイライラは、どうにも収まらない。次のゴミ袋を持ってきて、アンパンマンも、ドキンちゃんも入れた。そして、毎晩一緒に寝ている、ズーラシアンブラスのぬいぐるみを手に取った。
「これも、いらないの?」
うん、いらないよ。
あっ、そう。。
買ったばかりだ。
毎日、なんなら今この瞬間熱心に見ているズーラシアンブラスの、ドゥクラングール、というトランペット吹きのお猿さん。
今までぬいぐるみと遊ぶことはほぼなかったのに、この子がやってきてから1週間、毎晩ぎゅうっと抱きしめて寝て、朝になるとどこいった?と探して、ごはんのときもテーブルに置いてる。そのくらい、大好き。
でも、
うん、いらないよ。
って今、言ったね。
遠巻きに見ていたむすめは、自分のおもちゃを捨てられないように全力で確保をはじめていた。
わたしだけが泣いていた
なんの涙なのかよくわからない。
これがほしいの!と目をキラキラさせていたこと。
届いて箱を開けたら、大喜びしていたこと。
いつも手放さず抱っこして愛おしんでいたこと。
そんな瞬間がわたしにとって宝物だった。
彼にとって大切なものだと知っていたし
試したつもりではなかったけど、
顔も見ないで「いらないよ」とひとこと。
わたしを試すつもりだったのかもしれない?
わたしを軽蔑していたのかもしれない?
考えすぎかもしれない。
たぶん、目の前の演奏に夢中だったのだ。
そして、相手は、2歳だ。
でも、完全に行き場を失ったわたしの心は、バキバキに折れていて、そのまま、ゴミ袋の口を縛り、そしてひとりで泣きながら外に出た。
捨てるよ!と叫びながら捨てたくないのはわたしだ。
捨てないで!とでも言ってもらいたかったのか。
満タンのゴミ袋、
息子の、大好きと大切が山ほど詰まったそれを、
ガスメーターの中に、そっと置いた。
身体の不調もピークなら心もギリギリ。
それでも、息子の宝物たちは、無事だ。
子どもたちの号泣大合唱
寒空で頭を冷やすこと、1分ほど。
部屋に戻ると、息子がつぶやいた。
「これはすてないの?」
「ごみしゅうしゅうしゃ、いた?」
自分のスペースにわずか残ったおもちゃを指した。
「いらないんなら捨てるよ!」
「いらないって言われて暗いところにすてられて、ドゥクちゃん泣いてたよ!」
いや、泣いてたのはわたしだ。そして暗いところではあるけど捨ててはいない。大嘘つき。
でも冷やしたはずの頭は大炎上で、もうどうしようもなかった。
そうしたらなぜか、娘(お姉ちゃん)が泣き出した。
「ドゥクちゃんすててほしくなかった…」
そうだよ。わたしだって捨てたくなかった。
でもいらないって言うから。
××だって捨てるとこ見てたでしょ。
自分のおもちゃだけ守ったんでしょ。
あぁもう、最低。止まらない自分の声を他人事みたいに聞きながら(時々そういうことがある)
ダメ人間すぎてびっくりした。お姉は巻き込み事故だ。
この時点で息子も大号泣している。
ただならぬ母の様子から、自分のしたことと、起きたことの重大さを理解している。
結局二人、いや三人、30分くらい泣き続けた。
2歳の葛藤
いっぱい泣いた子どもたちは、お風呂を出てもまぶたが重い。
息子は一切おもちゃの話をしない。
いつも一緒に寝てたドゥクラングールは、いない。
寝る前のキャッキャ大騒ぎも、今日はしない。
「ねるー」
ひとことつぶやいて、寝た。
彼にも意思があるし、理解もしている。
わかってないわけでは、ない。
でも、もう手元にないものはどうしようもないし、とりあえず寝るよ。大人みたいな選択だなと思った。
わたしの方が試されている。
このエントリーのタイトルにした「おやときどきこども」は、鳥羽和久さんの著書のタイトルだ(素晴らしい本で何度も手に取っている)。
わたしの場合、ときどき、ではなく、まだまだこどもだ。
そしてこどもたちは、ときどきおとなだ。
おもちゃを返したい
返して!捨てないで!とは、叫ばれなかったけれど。
彼がとても大切にしていた宝物。
その姿は、わたしにとっての宝物。
そんな勝手な理由だけど、おもちゃを、返そう。
こんなとき頼るのは、夫だ。
仕事から帰ってきて、真夜中に、すべてを話した。
「うん、わかった」
朝、いつもなら「おかあさんがいい!」とぐずぐずベッドに潜り込んで起きない息子が、目覚めて一瞬で起きてきた。
「おとうさん、だっこ」
やっぱり昨日のことを、考えているのだろう(当たり前だ)。予定通り、夫から話してもらおう、と思った。
わたしがいないところで息子に問いかける声が聞こえた。息子は黙っていたり、別の話をしたり。
数分後、唐突に。
「おとうさん!おもちゃ、あそびたいの。すてないで、かえってきて。」
こんなに時間をかけさせて、ごめん。
でも、ありがとう。
ふたりは、たくさん話していた。
「わかった。じゃあおとうさんが、きょうかえってくるときに、ごみすてばにいって、さがしてくるよ。」
「おじいちゃんおばあちゃんや、おかあさん、みんな、**のことがだいすきで、おもちゃをたいせつにしてあそんでいるのをみて、うれしいきもちなんだよ」
「いらないよ!っていわれたら、みんなも、おもちゃも、かなしいきもちだよね」
あぁ、わたしはどうしたらよかったんだろうか。
まだまだこどもな母だけど、ときどきおとななこどもに、今日も育てられている。
皆さんからのサポートは、子どもたちと新しい体験をしたり、新たな学びのために使わせていただきます。