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負け犬の遠吠え

 私のコミュニケーション能力は、完全に後天的なもので、母親の真似をして身につけた。小学校の時は、親の友人と話すことが苦手で、愛想笑いもできない、恥ずかしがり屋さんだった。アイドルになりたいとか、パティシエになりたいとか、可愛い夢を持っていたけど、自我が芽生えるにつれてぼやけていった。

 演劇発表会が、小学校で1番好きな行事だった。主役を張る6年生の姿を見て、いつか私も演じてみたいと心の中で夢見ていた。

 小学校は、楽しいだけと思いきや、結構過酷な場所で、担任の先生のお気に入りにならないと主役はもらえない。3年生のときはリス⑨だったし、5年生のときは、4年生のときにやりたい役をやったから、という理由で、舞台にさえ上がれなかった。もちろん、適材適所という言葉があるのは知っている。私は体型やビジュアルから、その役にふさわしくなかったんだって、わかってる。それでもあの憧れの舞台に上がれないことが悔しくて、どうせ照明担当の男子にはこの気持ちはわからないんだとインカム越しに弱音を吐いていた。
 私がいないと、この舞台は成り立たない、音楽は流れ出さないんだって、強く自分に言い聞かせていた。

 4年生のときにやったC子は、他に誰もやりたい人がいなくて自動的に私ができることになった。1番やりたかった役をやれることが嬉しくて、毎日毎日練習した。「ねえ、みんな知ってる?このキャンプ場のうわさばなし。」その瞬間だけは、私が舞台の中心だった。

 だからやっぱり6年生では、主役をやりたくて、オーディションに挑戦した。けど、私は周りからの目線が怖くて、大きな声で叫ぶことができなかった。結果、またチャンスを逃して、私はその他大勢のうちの1人となった。
 3年生のとき、主役を逃した子から優先的に役を決めさせてあげてた担任は、私にそんな配慮をするつもりもないみたいだった。

 悔しかったけど、仕方ないし、もう機会はないけど、仕方ないし。1年生の時からの夢は、もう叶わなかった。
 私は、自分がやりたかった役をやる子に対して、もちろん悔しさや不満はあったけど、そんなの口にするわけもなく、1人で飲み込んでいた。それなのにある日、1枚のスクリーンショットが送られてきた。

「オーディション負けたからって、すごい悪口言ってたらしいよ。私の方が上手いとか、お前の演技が下手だとか」
「なにそれ、負け犬の遠吠えじゃん」
…ワオーン。

 スキー合宿中に、主役の6人と担任だけが集まって、演劇発表会の練習をしているという噂があった。私がやりたかった役をやっていた子が、全然真面目に練習に取り組んでないらしい。担任も激怒で、そんなんだったら他の人に代わってもらうぞ!って言っているらしい。負け犬が尻尾をフリフリしている。

 結局私は、また、舞台に立つことが出来なかった。理由は怪我、スキーで木にぶつかった。もういいよ、また、こういうの。2年連続音響やった小学生、他にいないだろ。もはやすごいよ。そりゃ裏方やるようになるよね。表舞台なんて、もう立てないよね。人前になんて、もう立てないよね。

 女優になりたいとか、アイドルになりたいとか、そんなこと思いもしなくなったのはこの頃なんだと思う。自分は舞台に立つ存在じゃないんだという認識を、深層心理にまで植え付けられた感覚。多分小学生で感じる人、そんなにいない。そうやって閉じられた対人の扉は、今の歳になるまで開くことはなかった。

 だんだん後ろに下がっていくけど、後ろからしか見えない世界がある。むしろ、後ろからの方が綺麗に見えることもある。でもやっぱり、心のどこかで前に出たいとおもう。だから音楽をやって、人前で歌を歌って、前に前に、日々、扉を開いていっている。

前も後ろも、表も裏も、わかるのは私だけだから。

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