すき。
言えなかった言葉
渡せなかったラブレター
たった一言なのに
どうして伝えられないのだろう
こんにちは。
えのぞうです。
はじめての記事、「ノーラスは確かにそこにあった」をどのくらいの方が目にされたのかはわかりませんが、「スキ」を押していただきありがとうございます。コノキジモスキヲオシテイインダヨ……
Facebookでは知り合い同士のつながりしかないので、「いいね」は押しやすいのですが、全く見知らぬ人との緩やかな関係性のTwitterではハートマークを押した覚えはほとんどないです(今数えてみたら33ありました)。その代わり、Retweetはちょこちょこ使っているのですけど。
ところでPBMという言葉をご存じでしょうか?
Play by Mail
手紙を介した遊び、という訳になるかと思います。将棋を1手ずつ手紙で送りあって遠方の人と遊ぶ、という例がわかりやすいでしょうか?
いまではe-mailを使う(PBeMと言ったりもしました)どころか、ネットを介してリアルタイムで遊べてしまうので隔世の感があります。オンライン上で遊ぶのは手軽でとてもよいのですが、手紙は手紙でなかなかに味わいのあるものでした。
わたしが高校生から大学生の頃、商業や同人でPBMが盛り上がった時期がありました(世間ではほとんど認知されてませんでしたが)。プレイヤーはキャラクターをあらかじめ定められた制約の中で作成し、そのキャラクターの行動をマスターと呼ばれる人(商業だったら運営元ですが)に送り、その行動を踏まえたもの(リアクションと呼ばれてました)が帰ってきて、また新たな行動を……と、これが大雑把な流れ。
リアクションはごく少数の人しかもらえないものがあったり、多くの人がもらうものがあったり、色々です。そして、キャラクターが活躍するためには、色々な情報を集め、推理することが王道(それ以外にも我が道をひたすら征くのもありですが)で、他のプレイヤーとリアクションの交換をしたりするわけです。
つまり、アクションとリアクションという流れを軸に、参加者同士の交流もセットになった遊びだったわけです。
今と変わらぬ粗忽者であった当時のわたしは、無謀にも自分もマスターになってPBMをやってみたい! と思ったのです。そこで選択したテーマが高校生の恋愛(主としてラブコメ)だった訳なのです。時代的にもギャルゲーと呼ばれるゲームが大輪の花を咲かせていた頃です。
冒頭のポエムは、その第1回リアクションの表紙に書いていたものの、うろ覚えの記憶から引っ張ってきたものです。3行目からが相当怪しいのですが、言ってる内容は同じはず。
そして、タイトルは「愛こそはすべて」。
プレイヤーがそれぞれ自分のキャラクターを作るのはもちろんなのですが、アクションさせることのできるNPCが用意されていたり、「お約束」な行動やハプニングを起こしやすくできるゲーム手順だったり、工夫をしておりました。
幸いにもプレイヤーに恵まれ、書いていてとても楽しいものでしたし、多分、プレイヤーにも楽しんでもらえてたと思います。
物語は1学期が終わる頃で、わたし自身の引っ越しがあったりして頓挫してしまったのですが、資料は全部今でも持っています。Web上にもしかしたら残っているかもしれません(ハンドルネームは今と異なりますが)。書きかけの部分は散逸して手元にないのですが、なんとか3学期が終わるまでは書かないと、と思っていたからです。
改めて最初から書いてみようと、いくつかの登場人物のシーンを書いたり、シーンと言うにはほど遠いぶつ切りのものを書きはしましたが、物語が動き出すには至りませんでした。
先日、実家に立ち寄ったところ、ミスタードーナツでもらった皿を何枚も渡されました。広島に住んでいた頃、友人たちとミスタードーナツに入り浸り、馬鹿話をした名残の品です。その中の一枚に寄せ書きがされていました。
「愛こそはすべて」の参加者と「修学旅行」と称して大阪へ一泊旅行に行った時のものです。なんてこった! 過去からの「とっとと書け」という叱咤ではなかろうか!?
と、いうことで、どんなペースになるかわかりませんが、ちょこちょこと書いてまいりますよ。
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