見出し画像

『さかなのこ』 普通って何?

鑑賞してからしばらく経った。
今作は、さかなクンのこれまでを基に描いているのに、気がつけばのん(能年玲奈)のこれまでのキャリアをも描いてしまっているのが驚き。さかなクンがメディアに出るようになるまでの履歴はまったく知らなかったけれど、水産(あまちゃん)、観賞魚販売店(海月姫)、イラスト(Ribbon)といった符合は、彼女がミー坊を演じるにあたって、これほど相応しい俳優は他にいないなと思わせる。鑑賞時はさかなクンの履歴を知らないので「やりすぎじゃないか」とさえ感じていたので、逆に「これは実話ベースじゃないとおかしい」という思いに至ったほどだ。

あまり事前に情報を入れないで観るスタンスなので、予告編から感じていたイメージとはずいぶん違う冒頭に驚いた。重厚な住居空間で少し現実味のないショットだが、なんとも言えず「この人物(ミー坊)の深いところを見ている」ような気になった。
そこから船上での撮影シーンがあり、知っているさかなクンと冷ややかな視点が盛り込まれた。この時点で一面的な作品でないことがわかり、好きな作品だなと思わせる。

ここでいったん主演は出てこなくなり、子供時代のことをしっかりめに描くことになる。まあ必要なのはよくわかるし、西村瑞季の好演も光っていた。あの海水浴とタコのくだりは可笑しくて、自分も似た現場に立ち会ったことがあるので余計に笑えた。タコの末路まで同じだったし笑。
この子供時代の描写でキツいなと思ったのは、さかなクン演じるギョギョおじさんの家にミー坊だけで行くくだりだ。「子供の考えを尊重する」みたいな描写もあり(もちろん父親の指摘もあったが)、これは良くないと言わざるを得ない。結局それでギョギョおじさんは連行されるわけで、実際は迷惑をかけられているようなものだ。そういう意味ではギョギョおじさんに寄り添うことになるので、あの再登場の描写は苦い。

この一件でミー坊の家庭に亀裂が入ったか、特に説明もなく高校生になると母子家庭になっていた。この辺の家族のことはあまり気にしない方がいいだろうし、要するに「そうまでしてもミチコはミー坊を大事にしている」ということなのだ。
その後自立を促すように社会に出ることを勧めるあたりは、この人は一貫してるなと思うよりない。かつて知らないおじさんの家に行ってもいいと言った彼女だけに、こういう判断が出来るあたりはむしろ過保護からほど遠い人物だ。
三者面談のくだりは感動的なのだが、井川遥の演技もあいまって「それってホントにいいのか」と思ってしまうし、盲目的にミー坊の「好き」を応援する姿に危うさも漂ってくる。
たしかにミー坊は周囲を巻き込む魅力があるし、誰にも侵せない領域を持っている。ミチコはそれを才能として認めている……ようでもないんだよね笑。絶妙なさじ加減と言えるのでは。

今作はのんとメインキャストたちとの演技を楽しむ魅力もあるが、印象的なのは幼馴染であるヒヨとモモコとのシーンだった。ヒヨにしてもモモコにしてもミー坊との再会が転機になるのは、ミー坊が「相変わらず」だったからだろう。そこで自身を振り返ることになった2人、ということかと。

作中で最も好きなのはモモコ母娘との共同生活のくだり。あの子供が、寝ているミー坊のお腹に倒れ込んで起こすのは面白い演出だなと思ったけど、この後モモコにもやっているので、いつもの行為なのだろう。ただしそれを他人であるミー坊にやっているのが気になるわけで、つまりあの子供はミー坊を早くも近しく感じているという描写になっていて上手いなと思った。
ミー坊は次第に「家族」というものを意識しだして、おカネのことを考えるようになる。「海人」の店長が言った「らしくないね」というセリフはモモコも同様に感じたはずで、お金のために飼っていた魚を売るミー坊を止めるためにも部屋を出て行った。とても切ないシーンだった。

ここでのミー坊の変化はこの作品の中で「普通」に向かっていく唯一のシークエンスだったのではないだろうか。砂浜でモモコと交わした会話の中でミー坊が「普通って何?」というシーンがあったが、とても重要なものになっていたなと思える。モモコは去ることでミー坊を「変わらないで」と後押ししたことになるのだけど、知る由もないミー坊が、あのクレヨンで金魚を描いているところでは涙が止まらなかった。

だからあのヤケ酒で居酒屋の店員に絡むというギャップが可笑しくて仕方ない。ちなみに購入したパンフレットに宮藤官九郎が寄稿していたが、その中で「酔ったときのさかなクン」の様子が少し触れられていて面白い。のんの酔っ払い演技は可愛いのだけど「めんどくさい」感じも出ていて良かったなと思う笑。

そして次第に「知っているさかなクン」に物語は向かっていく。ウソみたいなホントの話を現実に体現している彼の半生を脚色し、ハートウォーミングでありながらも、ただの良いハナシにしなかったのが今作の良さだと思う。

そして「男か女かはどっちでもいい」という文句さえもどうでもよくさせる、のんの好演が本当に素晴らしい。ついでに言うと、パンフの裏表紙が大好きだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?