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『辻占恋慕』 ゆべしの存在感

まず先に言えば、素晴らしかった。
主演の早織きっかけで知った作品。『舞妓Haaaan!!!』で知って以来のキャリアはそれなりに観てきていて、その俳優が自身の年齢と重ねるようにして演じたという“月見ゆべし”に感嘆してしまった。それは作りあげられた人物像の説得力に対してだ。監督で脚本も書いた大野大輔が共演相手ということで、色々とアドバイスなどを経て作り上げたと思うものだが、実際は違うという(「そえまつ映画館」での本人談)。

今作について語ろうとすれば、まず“月見ゆべし”について語ることになる仕上がりだったと思う。彼女が音楽活動をしている動機のようなものは示されたが、基本的に彼女の心の内はわからない。「何故」がつきまとう人物なのがまた良くて、発せられる言葉は飾られていない。そんな主人公はとても魅力的で、音楽のジャンル、スタイル、そして普段の語り口からは超然とした雰囲気を感じるのに、エゴサはするしSNSへの態度も「ちゃんと売れようとしている」ようでもある。それは目標があるからで、自分を曲げることのない確立したひとりの女性として見える。
しかしそれが変わってしまうことになり、そのきっかけは信太との出会いだった。

信太とつきあうようになるのはちょっと意外な展開でもあるのだが、今作はとにかく「こうなるだろう」「なってほしい」という展開、選択がなされないので、意外なことが意外ではないとも言える。ちなみに信太が初対面のライブ後に、路上で弾き語りの女性に有り金を投げ銭として渡してすっからかんになるのを観て「こいつ面白いな」と思ったし、ゆべし(恵美)も同じように感じたのだろう。だから事務所兼自宅に誘ったのかなと思いながら観ていた。

今作は「何故こんなに長いシーンなんだ?」と思えるユニークな演出が少なくない。まず事務所のくだりがそれで、この他にも一里塚のスタジオのあのシーン(笑)や、クライマックスの演説もそうだ。そしてどれも面白く、刺激的である。
とはいえ、あの事務所のくだりではゆべし(恵美)と信太の人となり(体つきまで笑)がしっかりとわかるようになっていたのが良いなと思う。
それにしてもあのような芸能事務所は業界では「ある話」なのだろうか? その他にも普段からライブハウスやアイドル界隈に親しんでいればより理解が出来たであろう「状況」が描かれていて、どれくらいのリアリティがあるのかは気になった。そして「SSWおじさん」のことは調べてだいたい把握した笑。

ゆべしの曲は十分魅力的で個性的だと思う。彼女の音楽的な背景ははっきりとは語られないが、設定としてはあるだろう。パンフレットによれば、信太がどんなミュージシャンに憧れていたか、という設定はあったというから、ゆべしも同様のはずだ。
信太がマネージャーとしてやっていることはことごとく裏目に出る、というか「やったらダメ」なことばかりをしていたんだと思う。その中でも最悪だったのがあの短編映像で、ゆべしがアレをやっていたのかと想像すると、驚くよりも泣けてくる。色んな人物が出てくるこの作品でおよそ最悪だったのが「映画監督」だというのは面白い。
もちろん我慢に我慢を重ねてのものだったのだし、それがとうとうあのラジオパーソナリティとのやり取りで沸点に達したわけだ。それは自分の音楽に対しての焦りや報われなさへの諦観も混じっていたか。あの時、商売道具であるギターを壊れるまで叩きつけてしまうのは、そのあらわれのように思えたから。だから友人にだけ明かした不安感からのクライマックスの成り行きは頷けるのだ。

そういえば、川上なな実があれほどに歌える俳優だとは知らなかった。このために覚えたという早織のギターも「そのレベルまで出来るものなのか」と言えるものだった。コロナ禍で撮影が延びたおかげもあるというから、悪いことばかりでもないなと思ったりもする。この物語はコロナ禍以前のもので、最後は現状が含まれた。コロナ禍でミュージシャン、芸能に関わる人たちが活動を制限されたことを思えば、ゆべしがあの時点で「諦めなかった」としたら苦労をしただろう。今もまだ続けているのだろうか、思わずそんなことを考えてしまう。

今作は初稿段階では3時間ほどにもなりそうなボリュームがあり、それぞれ印象的な登場人物たちの背景描写がもっと盛り込まれるはずだったという。それは「群像劇のようにも感じられた」自分の感想と重なる。その中からラストの成り行きに直接関わる、菊地あずきの描写を多く残したということだろう。
主人公はゆべしなのだけど、作品の多くを占めるのは「信太と誰かの対話」になっている。そこでのセリフの面白さも魅力でよく練られているなと思えるものだ。だから、あのライブハウスでの不条理な演説シーンで、かなり支離滅裂なやりとりが長く続くことに驚かされるのだ。“見どころ”と言えるものではないにせよ、今作が「信太が諦める物語」だと思えば、あのぐちゃぐちゃな感情の暴走は本当に切ないものだなと今は思う。
ちなみに、あずきのファンの一人から「俺とお前と何が違うんだ」と言われて信太がちゃんと言い返せないのは笑ったね。

主演が素晴らしくて、本も良い。出演している俳優もみんな好演していて余韻が強く残る。こういう作品はなかなか無いよなあ。

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