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2024年7月21日ー7月27日 ねにこい?
2024年7月21日(日)
早朝からコンビニへ。息子の習い事の試合で飲むゼリー飲料を買いに行く。5時半はまだ誰も街を歩いていなくて、信号だけが静かに色を変えている。人類が滅亡したらこんな感じかなと思いながら歩いた。
交差点を車が一台通る。誰も居なくても赤信号は守って停まらないといけないんだなあ、と当たり前のことを思う。無視してもきっとバレないことでも、ちゃんと守る。そういう人たちの良心で世の中は成り立っているのではないか。
カラスが1匹カーッと鳴いた。人類が滅亡してもカラスは居そうだな。
今日は試合で一日中会場にいてクタクタになる。負けても決勝まで見学しなければならない。
「どっちが勝つと思う?」息子に訊くと、「どっちかを応援して負けたら嫌だし、勝ったほうを応援している人からも何か言われるともっと嫌な気分になる、だからぼくはそういうのはやらないんだ」と言われた。考えたこともなかったのだが、息子の気持ちを尊重することにした。
帰りに親子でラーメンを食べて帰る。子供を連れてラーメン屋にいくのは、少なくとも幼児のときは難しい。椅子が高いし、熱いものをすぐ食べられないし、回転を気にすると落ちつけないので避けていたのだ。しかし8歳なら連れていけそうだ、と夫と結婚前によく通っていた店に連れていく。「背脂が細かくなっててそれがいいよね、あと焼豚が角煮みたいなんだけどめちゃおいしい」と言っていた。食レポがなかなかうまい。
ギリギリ21時前に帰れたので、近くのケーキ屋に滑り込んで夫の誕生日ケーキを買った。どれだけ予定があっても、当日に家族揃ってケーキで祝う、そのこと自体が大事だなと思う。まだ子供が家にいるうちはね。
2024年7月22日(月)
ネスプレッソを買って、夏のアイスコーヒーが捗っている。朝夫に「紫のやつ飲んでね」と、種類を指定されたので不思議に思っていたが、4種類あるコーヒーを均等に消費したいらしかった。もちろん好きなものを飲んでいいのだが、わたしもクッキーとか、均等に減らしたいタイプだからわかる。言われた通りに紫でアイスカフェラテを淹れる。
息子が冷凍マンゴーを気に入っている。朝の時間のない時だというのに、「タンフルをつくる!」といって氷水にマンゴーをつけてクルクル回していた。食べてみて!と言われるが、こういうとき「えーいいよ」というの、かなり大人仕草だなと我ながら思う。
渋々食べてみたら外側の薄い氷の膜がパリッとしていて、中のマンゴーがトロッとしていて美味しかった。流行る理由がわかる。
子供の個人面談だった。去年も言われたが、とにかく朝入ってきたときの挨拶の声が一番大きいらしい。挨拶で褒められるのは親としてはちょっぴり誇らしい。いつもムードメーカーで反応が良いから、他の先生からも助かってるといわれてます、という話があった。発言したりリアクションが良い人がいると助かる気持ち、というのは確かにある。
後輩がApple Watchを勧めてくれるので、おすすめポイントをプレゼンしてくれ、と頼むと、開口一番、「まず、はいるさんに似合う!と思います!」と強く言い切られてから、次のプライムセールで買おうと決めていた。届いた。仕事用にコンパチブルバンドという聞き慣れない腕のバンドも買った。
磁石でサイズを変えられるバンドなのだが、どうやってつければいいかがわからずしばらく格闘した。わたしはたまにこういう音痴なところがあって、例えば時計の35分後が何時何分かすっと出てこなかったり、残り物のおかずをタッパにしまう時、ちょうどいい大きさがわからなかったりする。しばらく試行錯誤してつけることができた。どうだろう。似合ってるかな。
2024年7月23日(火)
Apple Watchを丸一日つけてみる初めての日だ。自転車通勤をしているので、勝手に「屋外のサイクリング」とかいってタイムを測り出すから笑う。機械を使うことは、気付かなかったことを気付かせてくれる便利な側面と、融通の効かなさから、より不便を浮き彫りにするような、両方の面がある。
走っていると自分の心拍が100を越えていて、自身の“生”を実感する。自分では見えないものが数字にされて出てくることは、わかりやすく良いような、それに支配されてるような感覚だ。
ワークアウトのアプリでかなり低い目標を設定したのだが、自転車通勤であっという間に達成していた。生活に運動が組み込まれているのは大事なことだ。
電車移動で駅の階段を上り下りする時に、階段に貼ってある「のぼり」「くだり」と、天井の側面に貼ってある「のぼり」「くだり」の矢印が逆に見えて混乱する。
今日は仕事で外出。はじめましての人の前で話す仕事。環境が違うと毎回緊張する。うまくいくように昨日も今日も練習した。しかし練習を重ねたからうまくいくわけではない。当日の会場や参加者の雰囲気を見て変える部分も多々ある。こういうとき、わたしはいつも二つに分裂する。練習を重ねる自分と、本番でなんとかする自分。双方が自分のやるべきことをやるが、とはいえ片方がサボるとうまくいかない。わたしの身体は一つだが、この時は二つの自分がお互いに「よろしく頼むぞ、こっちは任せろ」と委ね合い、支えているような感覚がある。
完全なアウェイだったが、なんとかうまく話せて終わった。もうやりたくない。
2024年7月24日(水)
「どっさり?北海道?いちご?アセロラ?」毎朝定例の質問だが、知らない人にはなんのことかわからないだろうな。これは夫が娘に食べるヨーグルトを訊ねているのだ。いちごやアセロラは味としてわかるが、そこに(果物)どっさり(ヨーグルト)と、北海道(ヨーグルト)が加わっているのが、いつ聞いても不思議な並びだ。
娘は一日に平均2つ、多い時は4つもヨーグルトを食べるので、手当たり次第に生協やスーパーでヨーグルトを買い漁り、冷蔵庫には常に10個以上常備している。
2024年7月25日(木)
娘を朝起こすと、三つ並んだベッドの端から端までころころ、ころころ、ころころとわたしがいるほうまで移動してきた。アニメで見そうな動きだ。
昨日祖父母の家にお泊まりした息子。母からピアノの練習をしている動画が送られてくる。幼い頃、わたしがピアノを弾くと母からとにかく怒られたので、「孫だと怒らなくても教えられるの?」とニヤニヤした絵文字と共に送ると「もうこちらが教えなくても、YouTube見て弾いてるのよ」と返ってくる。楽譜も文字も読むのが苦手だが、動きを見て真似るのは得意な息子らしいエピソードだ。
息子が帰宅したので「ばあばんちどうだった?」と訊くと、「ばあば、細かいことでいちいちいちいちうるさいんだよなあ〜」という。例えば?「肘をつくつかない、電気を消す消さない」「左手を出す出さない、ドアを閉める閉めない」ああ、後半はわたしが付け足しました。息子が言われてる何百倍も、言われて育ったのはこのわたしである。
娘がソファに座って“春日のここ、あいてますよ”みたいなポーズをとって「◯◯ちゃんのところに、ねにこい?」と誘ってくる。お誘い自体は可愛いのに、言い方は脅しのようだ。
夏はアイスが美味しい。冷凍庫でなぜか一度ドロドロに溶けて、棒がアイスにすべて埋まっているやつがある。買ってからだいぶ経つので食べてしまうことにする。そのタイミングで息子がお風呂に入る。息子はお風呂の前に誰かいてくれないと怖くて入れないので、洗面所で形の悪いアイスを立って食べながら、我が子を見守る母親が誕生した。
2024年7月26日(金)
ソファ(2人掛けくらい)に家族4人がぎゅうぎゅうに横たわりもつれあっている。娘が「みんな公園だ!」とそれぞれの身体をアスレチックにして、乗り越えたり登ったりして遊んだ。
晩御飯やアイスを買って帰るとき、大体子供の食べたがるものがかぶる。わたしなりにこっちはこれを、あっちはあれを、とそれぞれが好きそうなものを見立てて買ったつもりが、2人とも大体同じやつを選ぶ。なぜだい。
2024年7月27日(日)
習い事の試合。よくKPOPアイドルは、同性同士でも手を繋いだりハグしたりおんぶしたりしているが、それは遠い国の出来事のような気がしていた。少なくともわたしは、小4で引越したときお隣の女の子がすぐ手を繋いできたことに驚いたのを覚えている。
だが、息子の習い事の小学生たちは割とベタベタしている。膝の上に座りあったり、手を握ったり。1試合終わると抱き合ったりハイタッチして頑張りをたたえ、うまくいかなかった子の頭を撫でほっぺたをつつむ。国とか文化の違いっていうより、生きてきた中で、そういうコミュニケーションを通ってくるかこないかの違いなのだな。そうして子供たちが互いに心を通わせ、甘え合い、それを許容しているのを見ると、なんとなく羨ましいような気持ちになるのだから不思議だ。
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