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2024年8月4日(日)ー8月11日(日)大掃除と七五三れth

2024年8月4日(日)

子供の夏休みなのに、どこに連れて行くこともせず家にいる罪悪感で押しつぶされそうになる。親が出かける意思がない限り子供はどこにもいけない。子供の経験の有無が全て親に握られている。恐ろしいことだよ。

閉塞感がたまらなくなり、家を飛び出そうとしたら自転車の前輪がパンクしていた。絶望の気持ちで自転車屋へ行く。開店10分なのに、もう修理の自転車が6台も止まっていた。出来るまで三時間はかかるとのこと。
どちらにしろどこかに行きたい気分だったので、そのままミスドに入る。ミスドのカフェオレはなんかクリープみたいな味がするな。座っていると段々と先ほどの閉塞した気持ちが遠のいていく。子供に悪かったなあ、と反省の気持ちがじわじわとわいてくる。ごめんねの気持ちでドーナツを、子供には2個ずつ、大人には1個ずつ買って帰った。ハニーチュロとミニオンのポンデリングは息子に、プレーンのポンデリングとストロベリーリングは娘に。今回のチョイスは当たりで、目論見通りのものを子供達は選んで食べた。

2024年8月5日(月)

自転車でお迎えにいった帰り道、何かあるとすぐ娘が「すとぉーっぷ!」と言って自転車を止めたがる。帰り道、4,5回は一時停車して、帰宅。止める理由は、ベルトがきついとか、ヘルメットが落ちてきたとか、飛行機が飛んでるとか、犬がいるとか。

娘は何か依頼される(それ貸して、一口ちょうだい、など)のを断る時に最近「だーめーでぃー」と言う。“でぃー”の語源はわからないままだ。
1人が使う言葉は家族の共通用語になる。みんなが気付けば「だめでぃ」を使っている。

2024年8月6日(火)

急な残業でいつもより遅く帰る。帰り道がだいぶ暗くなってきた。暑さは長いが、陽は着実に短くなっている。

夫婦でふざけて小さな意地悪をしあっては娘に泣きついている。「ママ、◯◯ちゃんのめーみて?おててつないで?パパにいじわるしちゃだめよ?」優しく諭されるので「ごめんなさあい」と言うまでがセットだ。
娘の喋りがまだまだ拙く、「です」が「れth」になっている。「これはうさぎれth」「◯◯ちゃんれth」クセになる語感。

息子はニュースをよく見ている。わからないことがあると質問してくる。今日は原爆の話と、ロシアとアメリカの場所を訊かれた。随分前から壁に貼ってある地図が役に立った。ロシアの大きさに驚いていた。

仕事で自分の姿を撮られる機会があったが、昔ほど自分の想定している“自分”と撮影された自分の姿にギャップを感じなくなってきた。昔は「もっと目が大きいはずだ」「もっと華奢なつもりだった」などと思ってはショックを受けていたのに。ハウルの動く城でソフィが「歳をとるって驚かなくなることなのね」みたいなことを言っていたと記憶しているが、それな〜。まあ、スマホの普及やオンラインミーティングの普及で自分を見ることに慣れたのもあるかも。

2024年8月7日(水)

寝る前に、2人きりになると息子から質問されることがある。今日は、「ママが仕事で大切にしてることって何?」なんて良いテーマなんだ…。
答え方に悩んだが、「人より早くやること」と言った。「そして、これなら役に立てる!ということを見つけて発揮すること」とも言った。
人に話すことで自分の価値観が炙り出されることはよくあるが、特に子供を相手にすると、平易な言葉を選ぼうとするからこそ、本質に迫られるような気持ちになる。

なんでそんな事を聞くのか訊ねると、「仕事って、楽しそうなんだもん」と言う。そのイメージがこの歳で持てるのか、と感心する。
それから、今後なりたい職業を羅列してくれた。映画俳優か声優になりたいらしい。他にも三つくらいあげてくれた。そのどれもが、実現するために多くのハードルがあると感じたが、全て肯定しておいた。幼い頃に親に夢を話して否定された、自分の経験があったから。
その後、わたしから見た息子の良いところをいくつか伝え(他者とのコミュニケーション、元気な挨拶、目標を設定して達成する力など)それが活きる仕事が何か、これからも探し続けると良いよ、と話した。

2024年8月8日(木)

あまりに家を掃除しない娘を見かねて、母が懇意にしているお掃除屋さんを呼んでくれた。もうとにかく入居したてのように、あちらもこちらもピッカピカ。設置したかった寝室のブラインドも取り付けられて、最高の夏休みの始まり!

ハリーポッターを見ていた息子が気づくとソファで全身すっぽり毛布にくるまって寝ていた。疲れている時に、自分で体を休めるために眠る、という選択がとれるようになっている。娘は2歳だが、生まれた時からかなりそういうのが出来るタイプで、「ねんねする!」と自らベビーベッドに入ったり、疲れたらゴロゴロ、ぼーっとしている。休み終わればエンジンかけて遊び始める。

寝る前は必ず娘に絵本を読んでいるのだが、今日は地震のニュースがあったからか、大地震に備える子供のための絵本を持ってきたので読んだ。部屋の中で安全な場所はどこ?というクイズがあり、「◯◯ちゃんあんぜんみつけた!あんぜんおぼえたよお!」と安全について理解を深めていた。

寝室を掃除してもらったら、ベッド下にいつの間にか落ちていたぬいぐるみも見つけてくれていた。窓辺に飾っておいた。娘がそれを見つけると「◯◯ちゃんの“てって〜!”(お気に入りのぬいぐるみの名前)」と感動の再会を遂げており、ほったらかしにしておいたことに「ごめんごめん!」と高く優しい声で謝って、撫でながらまた窓辺に戻していた。
娘は産まれた時からそばにいるぬいぐるみをちゃんと大事にしている。なくなって忘れちゃってはいたが、出てくるとちゃんとそれを喜んで、謝って、また一緒に遊ぶ。トイストーリーだったら、“てって”はだいぶ幸せなおもちゃだな、と思った。

2024年8月9日(金)

この日記を書くために、気づいたことをキーワードだけ先にメモで書き残しているが、育児に忙しい日はそのメモすら取れない。
そういう日もある。

2024年8月10日(土)

娘の3歳の七五三をスタジオで撮影することにした。息子が5歳のときは、お参りにカメラマンを呼んで密着してもらい、祖父母もみんなで撮影し、その後食事会までしたのだが、準備から何から仕事のようにこなしてあまりに疲れた。
3歳の子供なんてもっということ聞かなくて疲れるに決まってるので、近場のスタジオで撮影してもらうことにした。近場すぎて自転車で行けました。

ついてまず着物を選ぶ。
個人的には王道な赤とか、レトロなデザインのオレンジとかが可愛くて、これがいいんじゃない?と勧めるも、「◯◯ちゃんはピンク!!!」と絶対に譲らないのでピンクにした。こういうのはね、本人が着たいものを着る、それが一番。
髪の毛は、毛量が少なくショートカットなのを活かしてくるくる巻いてもらった。プードルみたいでかわいい!

とにかくお姉さんたちのテンションが高すぎて圧倒される。撮影するカットに合わせておもちゃを出し、「ここまで頑張ったらおやつたべよ〜!」とうまくご褒美を活用する。
よかったのは兄妹の写真が撮れたこと。2人が適度に助け合って育ってくれたらいい、と漠然と思っている。

セット自体はそんなに綺麗じゃないのに、最後に一通り見せてもらった写真はめちゃくちゃ綺麗でびっくりした。あれを見せられながら、「アルバムどうします?」とか訊かれたら、買うに決まっている。そうして付属物やオプションで金額が跳ね上がっていく…。しかしもうこれは、こういうもんだから仕方ない。結婚式や七五三といったおめでたい行事での心理をうまく突いた商法。


2024年8月11日(日)

起きた時に、絶対今さっきまでなにか夢を見ていて、その余韻の中にいるのに、何を見たかは思い出せない、というようなことがある。モヤモヤっとしながら起床。

我が家はなんでも替え歌にする家族が多い。2歳にもそれはしっかりと受け継がれている。ハチの歌の「おいけのまわりにのばらがさいたよ」のところで「アロエのヨーグルト食べたい食べたい」と流暢に替え歌をしながらヨーグルトを要求された。絵本を読んでいたら溶接面(というのを初めて知った、火花をガードするために顔に当てるやつ)が出てきたのだが、それをみて「せいびしてる!」というので語彙力に慄いた。あれを見て「整備」を出してこれるのか…まだ産まれて3年弱で…。

母の紹介で来てもらったお掃除屋さんは、祖父母の家にもお掃除にきてくれていたようで、ショートメッセージのやりとりで「お祖母様に淹れていただいたお茶が本当においしくて、淹れ方を教えていただいたことを思い出します」という一文が書いてあり胸が熱くなった。
家族というのは何よりも近い存在のようで、実は全くそんなことはない。自分が知らない面をいくつもいくつも持っている。そういうのを教えてくれる他者の存在には感謝しないといけない。祖母が亡くなったときもだいぶ色々な話を聴いたが、もう5年以上経って、また新しいエピソードが聞けるとは。
こういう思い出や感謝を、人に言わずにはいられない人と、言う必要性を感じないひととでは二極化する気がする。でも絶対、言ったほうがいいよな。

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