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多様性の主張に代わり、多分一番大切なもの
どちらかというと仕事論。
ただの愚痴に読み取れたらすみません。その通りです。
ただの、個人的な仕事論なんで、違う考え方もあると思うんですけども。
どうにも違和感があって、書いて頭の中を整理してみることにしました。
◇◇◇
“多様性”という言葉が広く使われるようになった。
“多様性”という考え方自体は良いと思う。大賛成だ。
ただ、主張の仕方が気になることが多い。
何かをはき違えて、“多様性”という盾を使って自己承認欲求を満たすために主張をしてるように痛々しく見える場合。
“多様性”を盾を使って、自分のことばかり主張して、相手の多様性を受け止めることができない、しようとしていない場合。求めるだけ求めて、返しはしないのね、と思う。
一人で戦える勇気がないから、“みんなと一緒”の言葉を使って“みんなと一緒”に主張をしようとしている場合。“みんなと一緒”な時点で、それってあなたの言う“多様”ってやつなの?と思う。
いろいろな事象についての“多様性”があるけれど、仕事論としてこの記事を書いているので、職場での、それはそれはとてもとても小さい話を例えに記したい。
私は、髪色については、黒でも茶色でも金でもピンクでも水色でも、仕事をしてくれればいいと思っている。
職場の先輩が10年以上前に「仕事のできない黒髪よりも、仕事のできる金髪がいい」と言っていたことに感銘を受けた。
以降、その考え方を拝借して、私もよく後輩に伝えていた。
ただし、金髪にして、何か大きなミスをするのはただカッコ悪いだけから、そのときは自分でちょっと考えてみてね、と伝えていた。
そう伝えて、ミスをする部下はいなかった。当時の部下はみんな優秀だっ
た。
ただ、できれば、何色でもどんな髪型でもいいから、本人にちゃんと似あっててほしいな、とは思っている。
周りにどう受け取られるか考えていない“多様性”は、ときとして相手に不快感を与えてしまったり、余計な気を使わせてしまうことがある。
それでも自分のしたいことを“多様性”だというのなら、そんなのはただの承認欲求であり、自己主張にすぎない。
他にも、職場で”多様性の時代に私はこう思うのに、それが認められないのはなぜか”と、主張する人もいる。
うん、あなたの言っていることはわかった。
あなたの意見を大切にすることには同意できる。
それなら、あなたはあなたのやり方でやっていい。
こちらはそうとしか対応ができない。
そしてその人はその人の方法で仕事をすすめることになるが、自分の主張が認められたことに満足するのだろうか。
自己流のやり方を貫いたとき、必要最低限の確認以外は放っておかれることになりがちだ。
周りに人がいない環境で自己承認欲求は満たされることはなく、よくわからない自己主張を繰り返す。
そんなのは“自分の多様性をアピールできる人”ではなく、ただの“仕事ができない人”だ。
この場合に必要なのは、主張ではなく改善提案だ。
上記の場合の“多様性”は、自己主張することで輪を乱しているだけだ。
仕事は一人じゃできないのよ。知らないかもしれないけどさ。
“認めらることだけが全て”の人には、いくら話しても通じないだろう。
決して口にはできないけれど、そう思うことが最近多くなった。
よりややこしいのは上記が数人で徒党を組んで反発してくる場合だ。
反発構造をつくって、うまくいく仕事なんてない。
なんのための自己主張なのか。
そんな時間あるのならもっと仕事をしましょうよ。
上記の職場の事象から、現代が必要としているのは、“多様性を主張・受容する”ことではなくて、“お互いにお互いを思いやる気持ち“なのではないか、という結論にたどり着いた。
それは、私たちが子供のころから、ずっと教えられ、言われ続けてきた大切なことだ。
今どきの新しい言葉を振りかざし、時に盾にする必要はなく、それはきっともっと単純なことだ。
新しい言葉を使いたがることが、余計に自己承認欲求の強さを露呈させることにつながっているようにみえて心苦しい。
誰もあなたにそれを教えてくれなかったのか。
大人になってしまったあなたに、わざわざ教えてくれる人はもういないのに。
私たちがおこがましくもあなたにしてあげられることがあるとしたら、あなたの主張を、ただそのまま聞き入れてあげることしかできないのだ。
それがこちら側ができる、“あなたを思いやること”の最大の対応だ。
腹立たしさ、呆れを通し越し、憐みの目で見てしまう。
そんな人をどうにかしてあることもできないし、もう一人で頑張って生きてくれと思う。
“多様性”の主張について違和感を覚えている私が、今現在でたどり着いたのはここだった。
…あまり声を大きくして言えないのだけれど、上記のような“多様性”の主張の仕方をする人は、セックスも下手なんだろうなと思っている。
間違いなく、そうだと思う。