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ノンバーバルコミュニケーション
日本人は、「感覚的に受け取ってね」という感情をカタカナ語での表現にして投げ逃げて、受け取る側に委ねる癖がある。
それは海外の映画を日本語翻訳の字幕で鑑賞する際に、「あ、そう訳すんだ」と、パッと英語のセリフを聞き取れた自分の受け取り方、理解の違いに気づくときのように、なんとなくわかってね、という伝える側の責任放棄と受け取る側の自己責任が同時に存在しているように感じる。
日本語、日本人ならではの奥ゆかしさやややこしさについてはこれくらいにしておいて、何が言いたいかというと、「何事にもノンバーバルコミュニケーションって大切だよね」という、仕事論と少しセックスのお話。
ノンバーバルコミュニケーションとは、言葉を使わずに行うコミュニケーション手法で、「非言語コミュニケーション」とも呼ばれます。
【特徴】
身体的な動作、表情、視線、声のトーンや間、空間の使い方などが含まれる
メッセージの内容だけでなく感情や態度を補足したり強調する役割がある
文化的な背景に影響されやすく、状況や相手によって解釈が異なる場合がある
言語的コミュニケーションを補完する重要な手段とされている
【具体例】
職場で良好な人間関係を築くには、相手との関係性に応じて、相手が不快に感じない範囲で距離を詰めたり適切なパーソナルスペースを守ったりすることが大切です。
服装や化粧、アクセサリーなども、相手の印象を左右するという意味でノンバーバルコミュニケーションの一つです。
スピーチにおいて、姿勢やジェスチャー、声のトーンによって、内容をより深く聞き手に伝えることができます。
【活用シーン】
職場の仲間との会話、商談、 スピーチ。
仕事において「言わなくてもわかるでしょ」はもはやパワハラの時代なので言えないとしても、「1を説明して10わかってくれる人」は重宝されるし優秀だなと思う。
要は“察せる能力”がこれに当たると思っていて、営業職としてこれを研ぎ澄ませてきたつもりだ。
ただ、仕事で「通じてないと思わなかった」で起きてしまったミスはお互いに負けだとも思っているので、最低限の言語化された確認は必要だ。
とはいえ、例え自分が察していたとしても、“私、わかってますよ”感を出すのは品がないので、そこにノンバーバールコミュニケーションとして、“沈黙の承知”があると思っている。
察していることを相手がわざわざ確認も含めてあえて伝えてくれた場合、“わかってます”とは伝えず、“かしこまりました”と受ける。
でも相手にはこちらが察していたことも感じ取ってもらえる、それが理想だと思う。
この会話ができれば、もうその相手との仕事は成功したも同然なことが多かったし、その相手との関係も長く続くことが多かった。
“非言語”のコミュニケーションは双方にそのコミュ力がないと成立しない。
このコミュニケーションが取れない社外の人がいても、何にも思わない。
ああ、この人は説明がここまで必要なんだなと思えばもちろん対応する。
ただ、社内の人間に対してはそんなに甘いことを私は思わない。
ノンバーバルコミュニケーションが取れない人間は多い。
だからこそ、残念だと思う。
でもそれは、相手に期待してしまった自分が悪い。
だから今日も情報の間違いがないように丁寧にたくさんの情報を伝える。
ここは学校か?とよく思うけれど、働いてもらわないと困るので伝え続けるしかない。
年齢を重ねるにつれ、教えてくれる人は少なくなる。
自分で調べ、考えるしかないのだ。
でも最近は「教えられる」ことに慣れてるから、ある一定のところで人間的成長がとまりかねない。
ある種の見切りをつけた相手には、わざわざもう、言葉にして伝えることはしないのだ。
男女関係でこそ、このノンバーバルコミュニケーションがどこまで出来るか出来ないかで、相手との関係が変わってくると思っている。
特に自分が相手にとって不倫・浮気相手の立場の場合、踏み入ってはいけない領域があると思っていて、相手の“ここまではOK、ここからはNG”をいかに察せれるか、というのが長続きの秘訣にある気がする。
どんなに相手を好きでも、相手を自分が理解できているであろうことを表に出さず押し付けず、さらには詮索もしないことが私の美学だったりする。
そして、そんな私の美学を持っていることを黙って理解してくれる男性に魅かれる。
セックス中も、あえて言葉で確認をするのは一種のお楽しみの方法だと思うのでそれはそれとしても、この体位でいつまでやるか、次にどの体位をするのか、どのリズムで出し入れがあるのか、いちいち確認したりしない。
次に相手が何をしたいのか何をして欲しいのかを察せれることでお互いの体の相性の良さもみえてくる。
そういうことだと思う。
本能のままのセックスで、何も考えずにお互いが求め合い、それが自然にできたら、それこそ最高のセックスだと思うけれど。
人間関係に日々悩んでいる私たちは、いつだってお互いの言葉が足りないのかもしれない。
けれど、なにもかも全部を全部、相手に伝えればいいというものでもない。
最近は何でもかんでも言語化と囃し立てるけれど、私はそうは思わない。
だから私は相手に対して「うるさいな」と思ってもそれを口にせず、自分の美学を守り通すためにも、黙って距離を取り、離れていく術を覚えてきたのだ。
単純でない関係の相手との関係値こそ、そこに言語化された名称なんて私はいらない。
私たちだけがわかる、私たちにしかわからない関係でいれれば、それでいい。