感謝のきもち:エッセイ #250109
感謝と謝罪が出来ていない
人のことを馬鹿にしている
人の気持ちがわかっていない
今更だけれど、
言われて来たことはいくらでもあった。
けれど正直、気にも留めていなかった。
何かを恐れていたのかもしれない。
今朝は目覚めが悪かった。
23時頃まで会議をしていたこともあったし、思い当たることはいくらでもある。
いつもの時間に起きられず、ふいに寝落ちで夢を見た。
そこは実家の祖母の家(?)
母とおじさんが兄弟のやりとりをしていて、それを側で見ていた。孤独を決め込んでから急に実家が恋しくなったのだろうか。
人の脳は都合よく出来ているもんだ。
近ごろハマっているYouTubeチャンネル
【為末大学】で学んでいる。
「感謝の気持ちは想像力が必要」
為末先生曰く、"有り難い"という気持ちではないかということだった。
戦時中、当たり前の生活が取り上げられている中であれば普通の不満が有り難くなる。
"有り難い(ありがたい)気持ちが感謝に繋がる"
なるほどごもっとも両手で大賛同。
誰もやらないことをやる
誰かがやってなくても自分がやる
誰が出来なくても自分ならできる
この信念に没入して獲得してきた
いくつかの成功体験
ただそれ以上に
"悲しい悔しい苦しい、それでも続ける"
この経験が圧倒的に多すぎて長すぎた
こんな自分でも出来たんだから
こんな逆境でも出来たんだから
と成功者の顔して語ることもあれば
それがいつのまにか、
こんな思いばかり来たんだから少しくらいトクなことあってもいいんじゃないか、
八つ当たりになってしまった。
たまたま努力をさせてもらえる環境と、自分の特性が合致していただけかもしれない。
有り難いではなく、自分ですべて変えて来たと過信してしまっていた。
そして、うまくいかないことについては、他人に八つ当たりすることで解消していたのかもしれない。
これが感謝を見失った努力信仰者の吊し上げ懺悔にでもなればいい。
近ごろアニメ「チ。」を観る日が続いている。
弱男HAL