大阪府北部地震で死にかけたし、テレビよりネットの方が役に立つ
阪神淡路大震災、東日本大震災に引き続き、このたび大阪府北部地震に見舞われました。地震発生時、某所2階にいたのですぐに外へ逃げ出すことはできませんでした。体感としては東日本大震災とほぼ同程度の震度で、工事現場で使うようなドリルを建物の周囲でフル稼働させたような轟音と激しい揺れに襲われました。そして、一度揺れ始めると身動きが取れなかったので「建物が崩れたら死ぬかもしれんけど、まぁそれはその時が来たってことやから・・・しゃーないな」っていう命の覚悟をしました(関西弁で書きおこすと緊張感が余りないですけど、内心はそんな感じでした)。1日経過した今は気まぐれの余震に揺られながら、このNOTEを綴っています。
地震が起こる度に実感しますが、それまでは平穏な日常が今後も続いていくと思い込んでいます。でも現実は違っていて、いつ自分が死んでもおかしくはない状況にあるんだなと思い知らされます。そういえば、結構前のエッセイ「無責任な「かわいそう」って結構ヒドいんよ」でも地震について少し語りましたね。不用意に「東京じゃなくて良かったね」と公人が発言したり、コメンテーターが報道バラエティで発言して炎上することの無いように願っています。
地震発生後、テレビをつけて被害についての報道を見ました。撮れ高が良ければいいのか知りませんが、大阪の街上をヘリコプターに乗って高みの見物を決めこんだり、主要駅や空港に行って困り果てている人々を映すことが目立ちました。筆者は被災者が欲しい情報はそういうものではないと感じます(むしろ被害にあっていない地域向けの映像という印象があります)。仮に被災者が情報を得られる状況にあると仮定した場合、一歩間違えれば死ぬ可能性のある人向けの情報を優先して流さなければいけないでしょう。例えば、火災現場付近であればそれを避けられる逃げ道を、海沿いだと津波の到来時刻と逃げる方向などといった値千金の情報が欲しいはずなのです。
それなのに、やれ「大阪駅周辺はすごい人です」だの、やれ「地震発生直後の報道フロアはこんなに揺れました、書類が散乱しています」だのという何の役にも立たない情報はけが人や死人が発生していなければ後回しにすべきでしょう。でも、日頃のテレビメディアの報道姿勢からすれば期待するだけ無駄ということは分かっているので、当然と言えば当然です。彼らにとって天災報道はお祭りみたいなものでしょうし。
実際に役に立っているのはツイッターをはじめとするネットの情報でしょう。ほぼリアルタイムで、しかも余計な情報加工がテレビによって施されず生に近い状態で得られます。今回の大阪府北部地震においても、ツイッターで投稿された阪急茨木市駅の電光掲示板の落下写真や、水道管が破裂したという動画などは、地震発生直後にアップロードされていました。それを嗅ぎつけたテレビはその情報をついばみ、そのままテレビ画面へ転載しているあり様でした。この事例からしても、テレビはネットより遅れていることが分かりますね。
少なくとも災害時においては、ネットの方が情報が早いですし、命を救う値千金の情報を得る手段としてはテレビよりも断然役に立つと思いますね。(了)
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