「子供には迷惑をかけたくない」は社会規模でやって欲しい件
このエッセイの内容は一個人の偏見です。気分を害された方はすぐに引き返していただきますようお願いいたします。
老漁夫と大魚との戦いを描いたヘミングウェイの名著「老人と海」に対して、(何の脈絡もありませんが)日本は高齢化が絶賛進行中で「老人の国」化する運命からはもう逃れようがないでしょう。今後、内閣府が発表している出生率は改善する見込みもなく、高齢化はさらに進むはずです。その要因の一つは若者からのお金離れで、守銭奴化した/ブラック化した無能経営者の増加(遠因としてはそれを改善しない行政)の責任と言えます。
若年層に金銭的余裕を与えれば出生率は多少なりとも改善するはずですけれども、行政からのそういった企業側への働きかけは今までに聞いたことがありません。社内で高給化した中高年への給料を払うことに必死で、とても若者を雇うなどという余裕はないのでしょうね。おかげさまで、少ない若年社員は以前の2倍や3倍もの仕事量を一人でこなさなければならなくなりました(もちろん例外はあります)。
また、若年層が選挙に行かないことも高齢化の一因でしょう。高齢者ばかりが選挙に行くので、立候補者は当選するために高齢者優遇制度を打ちだしては叫び、それに沿った行政がのほほんと行われている現実があります。このことについて、選挙に行かない若年層の自業自得だと片付けてもいいわけですが、筆者は若年層が「選挙に興味が無いから投票に行かない」理由に対して少し歪んだ解釈をしています。
選挙する以前に、高齢者優遇制度を打ちだす立候補者ばかりなことに加えて、増える一方の高齢者が数的に有利な現況では、少数派に回っている若年層にとって多数決の選挙などあってないようなものなのです。表面上で、いくら「みんなで決めましょう」と平等を装っていても、実際は多数派の高齢者が数の暴力で勝つと最初から分かっている出来レースに参加する暇なんかない、という理屈ですね(しかも年々その傾向が顕著になっていくというおまけつき)。
それを改善しようとするなら、筆者は若年層のために投票所へ行くという他に、ネットでも投票ができるシステムを導入して欲しいと思っています。ペーパーレス化、ネット社会化している世の中だというのに、選挙を紙媒体に限定しておく必要はありません。気休めに過ぎないかもしれないですが、時間も費用もかからないので、若年層の投票数は少なからず増えると考えられます。
さて、このまま何も手を打たなければ、この国の未来は高齢者と高齢者の為に何もかも犠牲にさせられる(ある意味、奴隷よりも生きづらい)労働者とに二極化するでしょう。国を一人の人間として置き換えてみると分かりやすいと思います。筆者の感覚で言うと、細胞の1つ1つは人々、栄養はお金、頭(心臓)は立法/行政とでも言ったところです。
老細胞が増えて行くにつれて、身体も老けてあちこちに支障がでてきます。早急に身体の若返りが望まれますが、頭を取り仕切っている老細胞たちがやっていることと言えば、本来若細胞に行き渡らせるべき栄養を多数派の老細胞により多く分け与え、生きながらえさせるということです。これも最大多数の最大幸福と言えばそうなのでしょうね。局所的に見れば優しい世界ですが、身体全体をトータルして見れば狂気の沙汰です。客観的に眺めた時、この身体は緩やかな自死を望んでいるようにしか見えません。
是非とも、頭には「子供には迷惑をかけたくない」をトータルして汲んでいただきたいものです。筆者の意見としては、老細胞に栄養の取り分を若細胞のために我慢して少し回して欲しいと願っています。しかしながら、それを決めるのは老細胞の取り仕切る頭なので、残念ながら若細胞にはどうすることもできません。
今は一刻も身体を若返らせるため、老細胞に妥協していただくほかありません。しかしながら、自ら自分に不利益となる決断をするバカなどいません(いるとすれば余程のお人よしです)。このまま順調に行けば、老細胞の望んでいる理想郷「高齢者ファーストの国」が爆誕するに違いありません。ただし、その理想郷は奴隷のような生活を強いている少数派の若細胞がぶっ倒れるまでの少しの間しか続かないでしょうけれどもね。(了)