命を賭して1日130kmを走破した男
【引用】日本一の足軽【鳥居強右衛門】信長と家康がほれ込んだその男の生涯がカッコよすぎた! (チャンネル名:非株式会社いつかやる)
昔の人の体力はぶっ飛んでたようですね。走るという1点だけを見たら、この鳥居強右衛門という足軽の脚力は間違いなくフィクション「走れメロス」を遥かに超えています。もはや漫画のキャラクターのような能力を持っている印象すらありますね。
まず強右衛門は包囲された長篠城から救援要請に出ます。途中、触れると音が鳴る仕掛けが施された川をかいくぐって4km泳いだのち、織田信長・徳川家康軍のいる岡崎城まで行ってとんぼ帰りします。正確な距離は分かってはいませんが、直線距離で片道37kmはあったそうで、往復すれば少なくともマラソン2本分ほどは走らないといけない計算です。自分なら往路の途中で力尽きる自信があります。当時は道路整備なども満足にされていないでしょうから、おそらく往復で130kmは走ったのではないかとされています。
たった1日で敵に見つからないように川を4kmも泳ぎ、130km走破したとか化け物以外の何物でもないでしょう。しかも、戻ってきた強右衛門に待っていた結末は磔死です。メロスは帰路で殺されそうになっただけですが、強右衛門は結果的に死ぬために走って戻ってきたようなものです。一所懸命、そんな強右衛門の命を賭した救援要請と仲間への情報伝達は長篠の戦いにおける勝利を手繰り寄せる一助になったと言っても良いでしょう。
織田信長は、のちに強右衛門の忠義に報いて立派なお墓を作りました。現在は愛知県新城市の新昌寺というところにあり、その入口には「鳥居権現」と書かれた石碑が建っているそうです。”権現”は日本の神の神号の一つなので、今や鳥居強右衛門は神さまになっています(すごいですよね)。教科書には載ってないみたいですけれども、こういう「おっ」と思えるエピソードがテストとかで出題されるなら自分は歴史を好きになったと思います。戦争や人の名前をひたすら暗記するだけでは、ただの苦痛作業ゲーという印象が拭えません。
ここで一つ疑問に思ったことがあります。武田軍が強右衛門を捕まえた後に本人に「援軍はやってこない」と直接伝えさせようとしたというのが何となくひっかかります。万が一のことを考えて、着ていたものを全部剥ぎとって人相やガタイの似た自軍のそっくりさんに着せて偽物を作り上げ、「援軍はやってこない」と言わせた方が得策だったのではないでしょうか。それをしなかったということは、すぐに敵の援軍が到着するという精神的・時間的余裕の無さで焦っていたことの裏返しと言えなくもなさそうですね。結果的に、武田軍は決死の覚悟をしていた強右衛門一人とは釣り合わないほど多くの兵をその後に失うことになって残念でしたね。