シャーマンインタビュー: カンボについて(6)
2022年6月時点で公開されているこちらの動画の要約です。
56:45〜1:05:00
歴史から消されたクマソ
chobi: 私は、熊本地方のクマソというところの出身です。
歴史から消された地方、民族で、歴史の資料をどれだけ調べても出てきません。
東北地方ではエミシという狩猟民族がいました。彼らは北海道、樺太まで行ってアイヌ民族となりました。クマソはこのエミシと似ています。
クマソは歴史が古いです。当時すでに豪族になっており、製鉄や貿易を行なっていました。
賀(か)茂(も)氏があり、それは「も族」でした。先頭に「か」をつけて「かも」になりました。彼らは渡来人です。八咫烏、陰陽師といわれる人たちでもあります。クマソは、賀茂氏と交わっていました。同族でした。シャーマニックな血筋を持ち、九州政権に君臨していました。九州だけではなく、やまと(会津、千葉、東北)にもクマソの名残があります。
クマソ式のお墓でクマソの名残だとわかります。
各地に残るクマソの名残
クマソ式の棺桶がやまとにあります。やまとの歴史ではあり得ないことです。九州産の石で作られた棺桶に、やまとの王様(の遺体)が入っています。敵側でかつ下に見ている部族(=クマソ)の棺桶に入りますか?あり得ません。
前方後円墳は、表向きにはやまとが採用した形式だと言われています。しかし、
墓の中には九州政権が利用していた棺が多いです。
また、横穴式墓といって横に掘った墓がありますが、そこにもやはりクマソの名残があります。
クマソは、当時から中国と貿易をしていました。
「王朝たる王朝」クマソ
熊本に球磨(くま)郡というところがあります。また、鹿児島に曽於(そお)市というところがあります。「くまそお」がクマソになりました。のちにやまとが「熊襲」という字に変えました。
沖縄(琉球王朝)では、女性が手に刺青を入れる「ハジチ」という文化があります。クマソでもそれをやっていました。全く同じ文化です。これは九州の「王朝たる王朝だった」証拠になります。
表向きには「卑弥呼による九州政権」などと言われますが、本当は卑弥呼はクマソに「くだって」いたのです。途中で裏切ってやまとについた、という説もあります。
中国の南部の方から鹿児島へ移住してきた人たちがそお(曽於)族で、優れた製鉄の技術を持っていました。熊本と鹿児島の県境あたりでは、まがたまの原石、水晶、金銀、砂鉄がたくさん取れます。クマソが栄えていたと言えます。
北の方では、糸島というところで金印が発見され、表向きには九州王朝の名残だとされています。本当は糸島もクマソが栄えていたところです。糸島は砂鉄が取れるからです。
クマソで製鉄が発達するのは、火山と大量の木があるからです。
クマソのルーツに気づくと、やまとの歴史や神(アマテラス、スサノオ)の系譜に気づきます。神は実は人間です。人間なのに神として崇められています。神のような名の「役職」をもらっていた人間なのです。
神道、古神道、シャーマニズム
古神道(特に、天皇家が隠していた霊性や言霊の部分)とシャーマニズムには共通する点があり、それは神意識に気づくということです。
神道では、頭をゼロ磁場(空)にし、五根を何ひとつ離さず、山中で修行します。10年修行し、死を覚悟してDMTを放出してようやく悟ります。しかし、これでは遅いです。
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