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戦場における決戦兵力の運用と、えっちなイラストの戦術的価値の向上に関するお話


 古来から精鋭と称される兵科は多く存在する。例えば日本の戦国期における母衣衆は、戦場における重要な情報伝達手段や護衛部隊として機能した。
 また18世紀の欧州では、散兵や猟兵という高度な独立性と判断力を有する兵科や、王や指揮官にとって強力な片腕となる重騎兵が決戦手段として用いられた。
 近現代の海戦では、戦艦や巡洋戦艦が最も尊ぶべき兵器として君臨し、後に航空機や空母が出揃うまで象徴的な存在であった。

   こうした兵器を見るとき、我々は常に「通常の兵科より優れた決戦的な存在である」と見るものだ。これらは同数の劣った存在に対して常に優位を取り、戦況を有利に進め、勝利をより手堅いものとするものと期待を持ってしまう。
 
 しかしそれは、誤りでなくとも危険な思考である。
 例えば、実に素晴らしいR18イラストがあったとして、それ単体がただ提示されたのみで100%の魅力を発揮することが出来るだろうか?
 ただ真っ白な背景にエロいキャラだけが存在しても、勿論ある程度有効な存在として見ることが出来るが、それは決して「より有効で高い威力を持った存在」とは言い難いはずだ。

 むしろそれを、細かい策や工夫も無しで早々に提示し、また本格的に使用(意味深)したことで、本来それが持っていた「奇襲的な破壊力や突破力」を損なう要因ともなり得る。


 最高に素晴らしいえっちイラストは、それをサポートする要素によって幾倍にもその効果を倍増させることが可能だ。
 例えばここに「汗だくヌチャヌチャのイチャラブえっちイラスト」があったとき、そこでヌチョヌチョになっているキャラが「普段はクール系ツンツン女上司」であったり、或いは「大人しめ図書委員メガネ幼馴染」であったらば、そのイラストは単体以上の趣を生み出す。

 元々のヌチャエロイラストが持っていた単体の破壊力だけでなく、それをサポートし、奇襲的な突破力や破壊力を生み出す為の要素と合わさることで、「汗だくヌチャヌチャのイチャラブえっちイラスト」を一層強力な手駒として扱うことが可能となるのだ。
 
 これは旧来の「重騎兵」の使い方からも分かる点で、元来の突破力を効果的に発揮するため、歩兵との協同やタイミングを合わせた攻勢により、重装騎兵を決定的かつ強力な決戦兵器として活躍させることが可能となるのだ。


 しかし、この素晴らしい共闘も「むやみやたらな」サポートと攻勢では、決して成り立たないことを知っておかねばならない。
 決定的な瞬間で生み出される隙を突くこと、引いてはその隙を生み出す為の状況を作り出すための戦略と戦術の研究が求められる。

 上記の「普段はクール系ツンツン女上司」と「汗だくヌチャヌチャのイチャラブえっちイラスト」は、まさしく奇襲的な隙を突く活動であり、それ自体との爆発的なギャップがあってこその攻勢である。
 もしその隙を見誤ったらば、元来の「汗だくヌチャヌチャのイチャラブえっちイラスト」の破壊力は著しく低下するだろう。


 故に我々は「普段はクール系ツンツン女上司」という一般的な兵力と、「ヌチャのイチャラブえっちイラスト」という決戦的兵科が手元にある時、その兵力を投入するタイミングを「環境や状況」から十分に精査し、決断せねばならない。

 例えば「普段はクール系ツンツン女上司」が職場で仕事をしている最中、次の瞬間に「ヌチャのイチャラブえっち状態」になることは、まず起こりえないだろう。
 もしその戦術を取るなら、催眠や洗脳といった極めて限定的な兵科を、予め潜ませる高度な戦術が求められる。これは一般的な選択とはなりにくいものだ。
 


 故にここで重要なのは、「普段はクール系ツンツン女上司」が「ヌチャのイチャラブえっちイラスト」へと至る為に、必要な環境と状況を作り出し、一連の活動の主導権を我々が握ることである。
 その為には、もちろん催眠と洗脳という特殊な兵科を用いることも可能であるが、それでは極めてニッチな性癖しかカバー出来ず、戦線の拡大や決定的な活動に繋げるのは困難を極める。

 広範な性癖を包括し、特殊兵科に頼らず柔軟な活動を得る正攻法を貴ぶのであれば、我々は兵科に頼らない視点で「普段はクール系ツンツン女上司」が「ヌチャのイチャラブえっちイラスト」のギャップを埋めねばならない。
 
 故に、ここで重点を置くべきは「普段はクール系ツンツン女上司」が置かれた「場所、地形、環境、時間」を考慮した「包括的な環境の把握と、起こり得るシナリオ」の想定である。
 これは古来からの戦力や戦闘において最も重要な要素だ。自身の兵力がどのような場所に配置され、また周囲の地形や環境、各々の位置を十分に把握する。敵においても同様で、出来る限りの正確な情報を貪欲に追い求めねばならない。

 こうした一連の「環境の把握」によって、我々はまさしく「普段はクール系ツンツン女上司」と「ヌチャのイチャラブえっちイラスト」を完璧なタイミングで投入することが可能となる。
 そしてまた、この二つのギャップを埋めるだけの「シナリオ」の作成に着手することが適うのである。


 これは非常に重要な点である。優れたえっちイラストとキャラ設定という兵科を有していたとしても、それを無策に投入したり、ひたすら手元に持っているだけでは決定的な勝利を得ることは出来ない。
 
 故に重要なのは、それをどのような環境で、どのように用いるかである。そしてこうした要素で我々が学ぶべきは「R18作品におけるシナリオ」なのである。
 これらの作品は最高のドスケベイラストと、普遍的に受け入れられるキャラクターを「それを生かせるシナリオ」で数倍の威力にして叩き込んでくることで知られる。
 例えば「普段はクール系ツンツン女上司」との二人きりのえちえち残業タイムや、ズボラな日常をキャラの背景として落とし込み、そのキャラにますますの深みを与えることで「ヌチャのイチャラブえっちイラスト」の破壊力や奇襲性を増すことも可能となる。
 
 或いは「退魔家業系巫女」要素から、非日常的な活動へと繋げ、日常キャラ設定とのギャップを生み出すことも考えられる。
 こうしてキャラの広範な活動やニッチなプレイへと繋げ、魅力的かつ決定的なえっち展開へと引きずり込むことも可能となるのだ。
 


 こうした戦術的シナリオの策定は、古来から戦闘における指揮官の知性やセンスを問われる作戦術(Art)として捉えられる。
 十分な自他兵力の把握と、地形や環境の選定、そして優れたリーダーシップと、確固たる世界観から生まれる作戦術によってこそ、最も効果的で価値ある勝利を得られるのだ。
 
 しかし、こうした「極端に理想的な状況」に基づいた作戦や環境に執着し、タイミングを逃し、作戦や兵力を画餅としてしまう例があることも、十分に理解しておかねばならない。
 特に序文で上げた所の戦艦や巡洋戦艦は、ある意味でこうしたものの典型であり、本来の運用や価値から逸脱してしまった兵科ともいえる。

 それ自体が持つインパクトや価値があまりに高くなりすぎた結果、効果的な作戦や環境の選定に重点が置かれすぎ、実態としての価値が低下し、強力な置物と化してしまった戦艦の例は多い。


 有名な戦艦大和や武蔵は、兵器としてのインパクトがあまりにも強烈であったため、永く隠匿されたことはよく知られている。
 しかし当時の大和型は46cmという類い稀な巨砲をもつ存在であり、「この美少女が実はでっかいチンチンを持つ男の娘でした」に匹敵する、強力かつ絶対的に秘密にせねばならない存在であったことも考慮せねばならない。状況を一変させる決定打でもあったのだ。

 故に日本海軍は、戦艦大和の真のスペックや隠し持つ巨砲のサイズを徹底して隠し、最終兵器として手元に温存していたが、どんなキャラでも数年も経てば「これは男の娘では?」という疑念が生まれるのも当然である。
 なにせ日本は大和の一切の身体の造りをひた隠しにしているのだから、アメリカも大和型を「なんか凄い巨砲を隠し持つ存在」としてマークすることとなったのだ。


 つまり日本は当時としては珍しい「巨砲隠れ男の娘」を最終的な決定打として温存していたが、それを効果的に投入するシナリオが未完であった。
 その結果として永く手元で持て余した結果、アメリカから見て大和という謎めいた美少女は魅力的な「サプライズ男の娘」では無くなってしまったのだ。
 そして、いよいよシナリオが最終回に近づいたときに場当たり的に投入した結果、「この美少女が実はでっかいチンチンを持つ男の娘でした」というインパクトを十分に発揮できず、またそれをサポートする存在が不足していたことから、本来の戦闘力すら削がれることとなった。
 
 大和型に限らず、歴史上の戦艦はこうした「シナリオの不足」による、キャラクター戦力の不十分な活動や、際立ったキャラ設定にだけ頼る限定的な運用の限界を我々によく示している。
 しかし、逆に「シナリオにキャラ設定が追い付いていない」という不完全燃焼もあったことを示しておかねばならない。


 まさしく上記の大和と同時代、ドイツ海軍が掲げた「Z計画」と、そこに付随した艦艇群がこの典型的な例である。
 この時代のドイツ海軍は、英国海軍に対抗する為に「決戦的な能力を持つ強力な主力艦隊」と「誘因を担う高速の通商破壊艦隊」の編成を計画し、海軍大国であった英国の屈伏を目論んでいた。
 言ってしまえば、脳内に最高のシナリオと、世界に類を見ない独創的なキャラクターを想像し、とんでもないドスケベ展開に持ち込むことを考えたわけだ。
 
 しかし多くの人に言われているように「ネタは脳内にあっては無意味」である。
 当時のドイツ海軍は壮大なストーリーを想像しつつも、それを実現する時間や人手が不足しており、結果として作品の完成には至らなかった。
 そして残されたキャラクターでスピンオフ的な活動、即ち「通商破壊」に注力したが、やはり徐々に追い込まれていき、素晴らしいキャラ達は撃沈されたり、港に係留されたまま消えていくこととなったのである。

 そんな彼らに一つチャンスがあったとしたら、フランスが早期降伏したため、その存在を丸ごと抱え込めたことである。
 しかしそれは自分より凄い他人のネタとキャラだったため、ドイツ海軍は多くの艦艇や人員を持て余し、早期の有効活用が出来なかった。もしドイツ海軍が計画を完成させていたらば、そのノウハウを活かして、フランス海軍の「ドイツ風コミカライズ」の仕事もこなせたであろう。


 こうした例を踏まえたとき、やはり重要なのは「キャラとシナリオのどちらが欠けても駄目である」という点だ。
 明確な勝利と位置付けられる最高のえっちシーンを活かしたいとき、我々は「良いキャラを想像し、シナリオを策定し、状況を作り出し、奇襲的かつスムーズにえっちシーンへと突入する。それを自分の力量で表現出来る形で完成させる」ことが求められる。
 故に素晴らしいえっちシーンに至るまでの過程は、その道程において「なぜこうあるのか?」と周囲に疑問を抱かせながらも、物語が決定的なえっちシーンに至ったとき、電撃的に全てが繋がるのである。


 ここで今一度おさらいしよう。

 我々は素晴らしいえっちなイラストを描く技量があり、それを振るわんとしている。
 しかしそれは単体では十分な戦力とはならない。それをサポートする普遍的なキャラ性を投入し、奇襲的かつ決定的な場における破壊力を増幅させることが求められる。
 またそれを十分に発揮できる環境を世界観から生成し、また世界観から成るシナリオやキャラ性の価値の添加によって、より強力にえっちシーンに至った時の決定力を付けるのである。
 そうした状況と環境の把握と整備の後、我々は自身の力量を見定める。時間的、物質的、体力的な猶予を十分に把握し、考慮し、そして作戦行動に移るのだ。
 
 これが完遂されたとき、それは
「ナポレオンがアウステルリッツで重騎兵を投入した瞬間」の決定的奇襲性、
「ドイツ海軍がZ計画を成し、その威容を揃えた光景」の十分な計画とその完遂、
「日本海軍が第一~第二艦隊で米国太平洋艦隊と対峙した時」の究極的カタルシス
これらを、その身に感じることとなるだろう。


 これらはえっちイラストという一つの決戦的手駒を、それ単体以上に高める方法の一例である。
 しかし、最も大きな前提として、我々はその決定的兵力の戦闘力を、常に高いレベルで維持することが求められるだろう。

 ただそれは並大抵のことではない。古くはオスマン帝国の精鋭兵である「イェニチェリ」や、古代ローマにおける「プラエトリアニ」が示しているように、こうした身近で強力な力は、少しでも軽く扱ったり、放置しているだけで平気で裏切ってくるのである。
 
 故にえっちイラストを作り出すには、常時からの決定的な戦力(画力)の研鑽と育成が必要であり、24時間365日の訓練と休息の日々である。
 それには膨大な時間と手間と費用が掛かることとなるだろう。

 更にその上で、これを運用する作戦的シナリオの策定、活動の場となる世界観の整備、サポートするキャラ性の整備と運用も求められる。もはや一つの国家的事業と呼んで差し支えないレベルである。

 故に「ドチャシコのR18えっち漫画」とは、超大国にしか成しえないレベルの究極的な軍拡と演習に匹敵する、畏敬の念を抱かざるを得ない行為とも言えるのだ。


 普段からえっちな漫画やゲームを消費している人たちは、一度立ち止まって、自分が片手で握りしめながら見つめている物の価値を、今一度見直す必要があるだろう。
 それは最早強大な兵器である。実に恐るべきセンスと技術と、作戦術を持った人々がこれを作り上げているのだ。

 それこそまさしく神の御業である。畏敬の念を抱いて接し、必要とあらば神に喜んで寿司と焼き肉を奢ろう。

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