当事者ではないということ
テレビで芸能人たちの離婚で悲しい顔をするコメンテーターと同じように悲しい顔をしていたわたしに専業主婦の母が「離婚、できるってことだからね」と呟いた言葉が忘れられない。
もちろん、我が家の両親の仲は子どもから見えているだけではないのだな、という深海具合にも驚いたけれどもそれ以上に離婚できるという言葉にハッとさせられた。
離婚に特化したwebメディアも台頭してきている。離婚後に役立つ情報のカテゴリーまである。
離婚=悲しい、といったマイナスイメージがあったけれど、いまは前向きな言葉として捉えられつつあるのかもしれない。結婚=しなくてはならないといった呪縛から解き放たれているように。
といっても体感として結婚しないを選択したり、独身でキャリアを積む女性たちは色んなところで取り上げられている気がするが、離婚後の生活にフォーカスしているのはあまり見ない気がする。#離活もまだまだツイッターやInstagram上だけなんじゃないか。実際問題、網目からまだまだこぼされているんじゃないかと思う。
朝日新聞(2019.7.3)で悲しい事件を見た。
高松市の男性職員が昨年に児童扶養手当の受給資格を確認するため、夜間に母子が暮らす部屋に1人で入ったらしい。
職員は洗濯物や寝室などを調査。同9月も午後8時ごろに来て、トイレや浴室を確認し、タンスの中の衣類をスマートフォンで撮った。岡田氏によると、母親は「調査を断れば児童扶養手当が止まる可能性がある」と職員に言われ、室内に入れた。その後、調査が原因でうつ病と診断されたという。
『わたしはダニエルブレイク』『家族を想うとき』だし『万引き家族』だし『パラサイト』じだ……母親のことを思うとつらすぎるし、あまりにも表に出なさすぎる。
こういったとき当事者ではない、ということを突きつけられる。
この前武蔵野館で上映中の『レ・ミゼラブル』を観た。ユゴーのレミゼのオマージュではなく、レミゼの舞台となったパリ郊外のある街での話だ。遠かった。フランスと日本で物理的な距離も勿論あるけれど、島国であることを突きつけられた。
児童扶養手当の件も、国内なのに遠い。
どう向き合うのが誠実なのか難しい。想像力だけしか持ち得ないし、それも持っていると驕っているのではないかと思う。ずっとこれは悩み続けたい。
重くなってしまったので写真は最近食べた美味しいスープカレー屋さんです。子どものイラストが各アイテムに入っていてキュートなお店だった。
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