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子どもにやってもらいたい習い事と、自分の思考の間
私自身は教育ママではないと思っている。(思ってるけど、端から見たらもしかしたら違うかもしれない)
思えば小さい頃、私がしていた習い事と言えば「ピアノ」と「そろばん」。
「ピアノ」は年中さんくらいの頃に「やりたい!」と言ったそうで(幼少期の思い出はあまりない私でも割と覚えている)、そこから「好き」と言うよりも、なんだか辞めるのが嫌で中学くらいまで続けていた。今、あの時のピアノの成果が役立っているかと言えば、子ども用の小さいピアノでどんな曲でもとりあえず弾けるくらいのメリットしかない。
そして、そろばん。
こちらはたぶん母が「やってみれば?」と言ったのだと思う。それも、また勉強に役立ったかと言われれば、変な計算方法が身に付いたような気もする。
さて、自分の子どもと習い事について。
今、私が住んでいるのは割と教育熱心な地域で、息子と同い年の子どものほとんどは運動系1つ、勉強系1つくらいの習い事をやっている。いろいろ試行錯誤してやったり、やめたりを繰り返している人もいる。
ご多分に漏れず、私も「身体を強くしてもらいたいし、泳げない男の子はちょっとかっこわるいから、スイミングやってもらいたいなあ」とか、「サッカーやって欲しいなあ」なんていう、自分の理想の男の子像を追っていた気もする。
しかーし。
我が家の息子は、とにかく納得しないとやらないのである。
一度やってくれるタイプの人だったら楽だったのになあ、と親としては思うこともあるけれど、とにかく嫌なことはやらない・・・・。体験に行ってみるけど、「嫌だ」と言ってそのまま終わることが多い。
と考えながら、結局私は自分がなって欲しい息子像を習い事に投影しているんだろうなあと気付くことがある。「やりたい!」と心から思う時に、成長するし結果は出ていくと、ある程度生きてきた人生の中で気付いているくせに。
習い事をしていることは、子育てというカテゴリにおいて、なんだか安心材料になる気がするのだ。そして、その安心材料に少しすがりたい自分がいる。
でも、息子は納得しないとやらない。
返ってよかったのかなあと思うことがある。
だって自分のやりたいことができたら、きっとやるだろうから。
というわけで、親としては、やりたいことを見つけられるように機会や知識は与えてあげていきたいなと思うのである。