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この家の者は誰も働いていない  9

「聴こえる世界」から遠ざかる人 《父の話》


 父の最も顕著な、高齢者らしい老化現象。それは耳の遠さだ。

 母も耳は遠いのが、まぁまぁ、日常会話は聞き取れる程度。
 一方、父の聞こえなさはその比ではない。家の中で会話をするにも一苦労だ。
 難聴で聞こえが悪い人は認知症になりやすいらしい。そこで娘は、頼むから補聴器を買って使ってくれ、と訴える。何しろまともに会話ができないのがキツい。
 父曰く、人の声が音声としては聞こえるらしいのだが、何を言っているのかが判らない。つまり意味を成さない音たちの一つとして聞こえることが多い、という。かと言って全く聞こえないわけではないので、ごくごく近くで、私は声を張って父に自分の言葉を伝える。だからしばしば私たちの会話が、第三者には物騒な“言い争い”に響く。それは娘の私も、不本意ながら自覚している。

 だが父は断固として補聴器の購入を拒む。お金がかかりすぎるから嫌だというのだ。いつもの吝嗇モード発動である。
 それでも実は過去2回、父は補聴器を購入している。1度目は20年ほど前に彼の母(私の祖母)のために。金額は7万円程度だったらしいが、あまり性能が良くなく、聞こえ方はそれほど改善されなかったという。おまけにやたら壊れやすい、と当時の父はこぼしていたらしい。(その時、私は仕事で両親とは暮らしていなかった)。

 2度目は4年前の免許更新時。この時は、私は家に戻っていたがまだ働いていた。一方、父は免許返納を考えてもいい年だったが、悩んだ末に更新した。残念ながら車がないとやって行けない地方都市住まいであること。また、弟が電車やバスなどを使っているときに発作を起こした場合を想定すると、やはり車なしでは厳しい、と判断したためだ。
 その時も彼の聴力は、やや怪しかったが、どこからか補聴器を付けて矯正した聴力でも更新させてもらえる、ということを聞いたらしく珍しく、金をはたいてでも補聴器を購入しようと決意したのだった。

 ところが当時、父にしては珍しく、購入を焦っていた。いや、補聴器を買うか買わまいかを、グルグルと考え過ぎてしまい、決断した時には更新までの残り時間が少なくなってしまっていた、というのが正しい。
 そんなわけで焦った父は、補聴器の販売店に飛び込み、検査を受け、店の勧めるがままの機種の補聴器を買った。この時、価格36万円。

 吝嗇家の父には手痛い出費だったが、免許が更新できるなら、と財布の紐を緩めた。そして無事、更新した免許を手に入れることに成功したのだった。

 しかし、ここからが父にとっては地獄だった。最初の保証期間が切れるとほぼ同時に、補聴器は不調を訴えた。店に持って行くと、工場に出して修理しないと直らないとのことで、2万円の修理費用がかかった。
 「何しろ精密機械だから」と言われて、渋々父は修理代を払った。

 そんな父をフォローするように「もしこれでまた3ヶ月以内に壊れたら、無償で修理できますから」と、店の人は請け合った。

 その言葉に嘘はなかった。3ヶ月間、補聴器は順調に動いた。
 が、3ヶ月を数日越えた後、補聴器の聞こえが再び、悪くなった。店に問い合わせると、やはり工場での修理が必要で、代金も2万円、かかるという。

 こうなるともう父の中で、この機器はは「財産搾取装置」に認定されてしまった。
 結果、どうなったかと言えば、父は補聴器アレルギーになり今後一切、補聴器にはお金を使わない、と言い出した。
 まぁ、そうなるわな、と予測はしていたものの、私としては父に「会話を理解できる生活」をできるだけ長く送って欲しい、という願いが胸の中に潜み続ける。意思疎通が大声か筆談になるのも疲れるし、何より「認知症になりやすい」説が気になる。

 周囲に相談したら「そこの店の営業が阿漕(あこぎ)な可能性もあるし、一度、耳鼻科で診てもらったら?補聴器についても的確なアドバイスが受けられるし」と提案してくれた。

 補聴器店については、父に付き添って一度だけその店を訪れた時の店主は、確かにちょっと威圧的だった。お客が大抵耳が遠い人だから、大声で話さなければ聞こえない人が多いのはわかる。そのことは何より我が身で経験済みだ。
 だがそこを差し引いても、耳が遠くて理解に時間がかかるお客さんへの対応はやや邪険だった。父ほどではないが、私もその店にはいい印象を持たなかった。

 それでも私は父が不自由を訴える度に、新しく補聴器を買っては?と粘り続けた。今ならもっと補聴器の性能は良くなっているし、10万から20万くらいは出すかもしれないが、これからの聴こえ辛い生活を考えれば決して高いばかりの出費ではない、と説得も続けた。
 そうしてとうとう、補聴器のアドバイスをしてくれるという耳鼻科に行くことを承知してもらったのだったー。

 その病院は個人経営としてはまぁ、大きな所。ネットの口コミ評判も悪くなかった。

 最初に診てくれた先生は補聴器の専門ではなかったが、一通りの聴覚検査をしてくれた。結果、父の耳は遠いが聴こえない、というほどでもなく、補聴器の補助があれば聴こえる生活は送れるだろう、と言ってくれた。
 私の方から補聴器店の事情も説明したところ、36万円はボッている、という価格でもないが、そこまでひんぱんに壊れて、しかも都度2万円は高すぎる、と共感してくれた。
 親子共々、これは少し、安心できそうな所に当たったかも、と胸を撫で下ろした。

 結果、「ウチならもう少し、性能のいいものを紹介できるだろう」と言われ、そのまま2週間後に来ると言う、「補聴器の専門の人」の予約を取って、その日は引き上げた。

 2週間後。

 耳鼻科の診察室に入ると、そこにはスーツ姿の40代くらいの男性が座っており、私たちに名刺を差し出して来た。

 ???

 そこには補聴器店の営業の肩書きと、名前が記されていた。
 (この人、医者じゃないのか?)思わず、構えてしまう。
 思い返してみれば確かに前回、お医者さんは2週間後に来るこの人が「医者」だとは言ってなかった気がする…。

 店の営業と、診察室との違和感に気持ちを持って行かれつつ、とりあえず、この営業の人の話に耳を傾ける。
 彼は前回の検査結果の資料を持っており、それを踏まえた上で、と前置きし、候補になる補聴器を父に装着した。更にその聴こえ具合を父に尋ねながら、何回か調整をして、父に「どうですか?聴こえますか?」と確認した。
 「今度は聴こえます」と、父。
 「だったらこれが一番お勧めですね」と神妙に頷く補聴器店の営業さん。

 「因みにおいくらですか?」と間髪入れずに尋ねる私。ここは父のこだわりどころなので、率直に訊く。
 「36万円です」

 こっちの頭が一瞬フリーズするほど、前回とビタ一文、変わらない値段が告げられた。前回のお医者さんには、今使っている補聴器本体と修理費が高額すぎるから、もう少し価格抑え目で、性能の良いものを探しに来た旨は伝えていたはずだが…。

 ただ更に説明を聞くと、同じ36万円でも、確かに現役の補聴器より性能は良さそうである。修理の時も安い価格の部品交換で、不具合が解消する、とも言う。後で父に聞いたことだが、聴こえ方も今のものよりいくらかはよかったようだ。
 けれど先に聞いていた、機器のレンタルが利く、という話については、レンタルするからにはいずれは補聴器をどれか購入することが前提条件だ、という。

 何か、話が違う…。
 ここまでの話は全くの嘘でもないが、こういうズレが不満に膨れ上がりそうな気配がした。(このあたり、私も父の吝嗇の血を確実に引いている)
 ので、安い買い物ではないので持ち帰って今一度、検討したい、と返答した。

 幸い、そこはお医者さんの紹介先なだけあって、無理な引き止めはなかった。
 たださすがに診察室を出てそんなに経たないうちに私も気付いた。
 (ああ、これって医者と業者が連携してるパターンだ)と。更に勘繰るなら、医者の信用で契約が取れる分、手数料が発生していることだってあり得そうだ。

 案の定、帰宅してしばらくグルグル悩んだらしい父から意思表明を受けた。曰く、
 「確かに前のより聴こえはよかったけど、ものすごくよかったわけじゃない。どの音もわんわん大きく聴こえてきてかえって辛い。これに36万円も出すのは嫌だ」

 ーーーやっぱりなぁーーー。

 私もそれから自分でも幾つか補聴器店の資料を調べて
「どうしても嫌なら断るよ」と返事をして結局、断りを入れた。

 高いお金を払わずに済んだ、と、父はこれを聞いてニッコニッコである。

 相変わらずの強烈な吝嗇家ぶりに、辟易しながらも、今回は父がそういうのも無理はないかな、と思う娘である。

 調べてみると、どの補聴器店もネットの医者のコメントも聴こえの悪さは認知症に繋がりやすい、と警鐘を鳴らす。
 けれどやっぱり何処も、最初は音が満遍なく大きく聴こえるので、それをしばらく我慢しなさい、と説く。そのうち脳が人の声を拾うようになり、会話の理解が進み、快適な聴こえ方になる、と。
 父は同じことを現在の補聴器店の、あの店長に言われていた。要は現状は、父が嫌がっていた補聴器店店主の言い分は、あながち間違ってはいなかったのだ。

 嫌がりながらも父はその店主のアドバイスを、かなりしっかり守っていた。
 吝嗇家、と私も呆れながらここで書いたりもするが、父はその分、とーっても我慢強い。戦争も見ているし、貧乏にも耐えてきた。
 そんな彼が体感的にここまで「嫌だ」と言うからには、補聴器に慣れるまでの大音量、ちょっとやそっとのもんじゃないんじゃない?と思う。

 以前に比べれば、補聴器も格段の進歩を遂げているだろう。そのお陰で助かっている人の数も、確実に増えているはずだ。月並みだけど昔に比べれば、私たちはずっと恵まれているんだろう。
 そう思う。

 今でも認知症も怖いし、聴こえる生活は魅力的だ。けれど、勧めるからには補聴器、もっと高齢者、いやそもそも普通の人にも優しい機械にならないかねぇ…。

 ※今回はmikuji58さんの画像を使わせていただきました。カワイイお地蔵様ですね。

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