過疎化はネガティブな社会問題ではない
中山間地域の問題といえば、過疎化問題は重要だ。
若者はもちろん、家族単位で村から出ていく。
そうなることで、大変になってくるのは、公共サービスの提供。
これが難しくなる。
街の住人と同じ公共サービスを受けられるようにすると、人件費や設備などのコストが多くかかってくる。
そして生まれる一般的な解決策は、
街に医療設備を完備した集合住宅的なものを用意し、そこに村に残っている住民に移住してもらう。
しかし、そう簡単にはいかない。
何十年と、そこに住み生きてきた人たち。
そんな合理的な考え方ができるなら、とっくに村を出ているだろう。
不便なことも分かった上で、そこに残っているのが過疎化の街に住む人たちだ。
だから、どんなメリットのある理論や環境を用意しても、多分移住は難しい。
天災があったとしても、またその同じ場所に家を建てる人がいるくらいなのだから。
合理的な考えではない「感情」や「繋がり」や「未知への恐怖」など、当人たちも言語化出来ない想いなのかもしれない。
では、どうするか?
やはり、短期的な計画は難しい。
長期的に考え「医療」「行政」「交通」などを街そのものをデザインコントロールする必要があると思う。
目標とすることはもう分かっている。
それは、限られた税金の中で皆が平等に、より良いサービス受けられること。
この少子化や不景気の時代に、税金の収入が減っていくのは目に見えている。
だからこそ、サービスを提供する地域範囲や人件費や設備のコストを集約する必要があるのだ。
現段階で、過疎化した村の住人を、移住させることに、問題があるのなら、移住は諦め、過疎化を促してみてはどうだろう。
強引な都市計画ではなく、自然な流れの都市計画。
自然と起こる「過疎化」。それをポジティブに捉える。
説得しなくても、多くの人が移住している。
この移住をする人たちは、村への未練や執着が少ない。
合理的に考え、街の方が便利だと感じ、将来のことも考え、街に移住をする。
その流れを上手く誘導し、「廃村計画」を論理的に考えるべきだと思う。
しかし、残ってしまっている村民を、決して邪気にしてはいけない。
今まで、その山間地域には林業や鉱石業などの重要産業があり、その産業の発展の恩恵を受け、ふもとの街は発展していった。
そこに従事した人たちの「人生への恩返し」は必要だと思う。
もちろん、皆が合理性の視点での良い移住案があるのに、その村に残る事は、本人の意志であるから、街と全く同じ公共サービスを受け取る事は出来ないかもしれないが、できる範囲での公共サービスを受けられる方法を考えないといけないと思う。
その場合、過疎化地域への公共サービスのコストは、行政にとって大きな負担になるのだが、この先ずっと続くものではない。
失礼ながら「死」というタイムリミットがある。
それも逆算しながら、「恩返し」と思い、負担していくことが必要であると思う。
「残っている村民の想い」「税金の上限」「未来への街の形」このバランスを重視しながら、長期的に未来を見る必要があると思う。
そうなると、今の過疎化問題や中山間地域間への活動なども、単に盛り上げて「若者が集まる街にしよう」という安直な考えではいけない気がする。
もし、本当に町を再生させるなら、行政のシステムが稼働できるくらいの規模感での人口増のシステムやアイデアを考えないといけないと思う。
一時的なものでは、ただの懐古的な自己満足になってしまう。
もちろん、それが悪いことだとは全く思わないが、現状の状況だけを見て行動するだけではなく、「現状と未来の予想」を踏まえて、活動することも必要なことだと思う。