幸福と不幸は曖昧なもの
幸福と不幸は表裏一体であり、基本的に、幸福と不幸は「比較」から生まれる気がする。
例えば、こんな状況になってしまった自分をイメージしてみてほしい。
・バスに乗車していたら、対向車との衝突事故に巻き込まれる
・座席の間に腕が挟まれ、腕の骨を折る
この2つの状況になった自分を考えると、「自分は不幸だ」と思う人は多いと思う。
「このバスにさえ乗らなければ... なぜ自分がこんな目に...」と。
ここで、1つ視点を増やして「比較」を加えてみる。
バスの座席。自分の一つ前の人は、自分よりもだいぶ若い見知らぬ人。
突っ込んできた車の衝突場所が悪く、全身骨折の重体。命を失う可能性も。とういう状況。
「あんなに若くて... 回復しても車椅子人生かも...」
この時、自分はどう思う?
「一つ前の席でなくて良かった... 」
こう思う人は多いのではないだろうか?
自分に起こった出来事は変わらないのに、比較が生まれることで、不幸にも幸せにも感じる。
少し極端な考え方かもしれないが、不幸と幸せは曖昧なものであると思う。
これを日常の話で考えてみる。
夢を追いかけろ!どんな人になりたい! みたいな話はすごく多い。
「将来は建築家の◯◯◯さんみたいになりたい!」とか。
「憧れの職業の憧れの人」の存在持つことはとても大切だが、
「あの人みたいになりたい!」と「比較」はしてはいけない。
あくまで「憧れ」は、コンパスのような方向性を示す道標。
「経験値」「性格」「スキル」「環境」が、全く違う「憧れ人」と比較してしまうと、自分が小さく感じてしまいやすい。
幸福どころか、「妬み」などが生まれ、自分は不幸だと思ってしまうかも。
ならどうするか?
比較する対象を、常に「過去の自分」にする。
5年前、1年前、半年前。
過去の自分と比較し、
「あの時の自分より、今は色々と出来ることが増え、成長している!」
と思える自分になっているか?
これが、人が簡単に幸福になれる考え方な気がする。
自分の心の視点を、自分でコントロールし、
「他人の大きな1歩を見て妬む自分」ではなく、「自分の小さな1歩を褒められるような自分」でいたい。