西池袋にて
池袋駅は不思議な駅だ。東口に西武があり、西口に東武がある。東口は文化の香りがするが西口は暴力の香りがする。線路沿いのマンションには本職の事務所もあったし、ロサ会館を超えた先には三業地の名残もあった。
最近ではすっかりチャイナタウンと化しているようだが僕が働いていた95年から00年、池袋西口界隈はまだれっきとしたダウンタウンだった。夜になると酔っぱらいが道端でひっくりかえり、そいつのコートの内ポケットから財布をかすめ取ろうとするかっぱらいがいた。
西口一番街というアーチを入ってまっすぐ、最初の四角の右手にある古民家風の居酒屋。そこが僕の職場だった。
この居酒屋にコピーライターを辞めてアルバイトとして飛び込み、自他ともに天職と認めるほどの才覚を発揮した。まったく自慢ではない。事実だからだ。
東から陽が昇り西に沈む。それぐらい当たり前のことのように僕は水商売に馴染んでいった。すぐに社員となり、やがて店長というポジションを与えられた。
「店長、ごちそうさま!また来るよ」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げるとき、俺はいったい何をやっているんだろう、と思うことはしばしばあった。しかしあまり考えこむのは体によくない。僕はそのことをコピーライター時代に嫌というほど思い知らされた。
隣のビルは1階がゲームセンター。2階に居酒屋が2軒入っていた。そのうちの1軒で働く一平ちゃんという男と仲良くなった。いつも閉店後のゴミ捨てのときに顔をあわせ、一緒にタバコを吸いながら今日の客の入りはどうだったとか、今週の競馬どうするの?とか、そういったたわいのないやりとりがきっかけだった。
一平ちゃんは過去に逮捕歴があるらしい。ある古参社員は「殺人未遂らしいよ」と僕の耳元で囁いた。殺人未遂で執行猶予がついてるのか?初犯だったのか?いずれにしてもパンチパーマに彫りの深い、しかし人懐こい笑顔の一平ちゃんからは暴力の匂いしかしなかった。
「兄ちゃん」
一平ちゃんは僕のことを「兄ちゃん」と呼んでいた。一度見せてもらったが携帯に登録してある僕の電話番号の名前にも「兄ちゃん」とあった。
「兄ちゃん、今度ほら、一緒に担ごうよ、三社祭、サンジャ!」
一平ちゃんはお祭りの神輿を担ぐのが趣味で、シーズンは東京都内のあちこちに遠征するのだそうだ。そして祭りは一平ちゃんのアドレナリンをマックスに放出させる。いつも地元の警察から店長が呼び出しを喰らうんだそうだ。
一度など目の上を青黒く腫らした一平ちゃんが「昨日の祭りでよ、5人ぶっとばしてやったよ」とどこを見ているかわからない感じで語った。拳はザクザクとえぐれているとのことで包帯に血が滲んでいた。
「こいつのおかげでありがたいことにしばらく洗い物から解放されるぜ」
接客からも解放されているはずだが、と思ったが黙っておいた。
『レイジー』というカジュアル衣料の店の町井さんは常連だ。町井さんは声が小さく、喋り方が遅い。ボソボソとしか話さないのでホールスタッフは誰も相手をしない。僕と厨房のメンバー、オーナーだけが町井さんの話し相手だ。
「店長は屯ちん知ってる?ラーメンの…」
「いえ、食べたことありません」
「よくないなあ、だめだよぉ」
「そうなんですか?」
「屯ちんはね、やさしいんだよ」
「何がですか?」
「やさしいの」
「だからなにが?」
「行ってごらん、わかるから」
翌週の休みに東口のラーメン店『屯ちん』に行ってみた。やさしいの意味はひとつもわからなかった。
町井さんの洋品店『レイジー』は看板が一風変わっている。『★RAZY』と書かれているのだ。一度その理由を聞いてみた。
「あのね、もともとはクレイジーだったの」
「そうなんすか」
「そしたらね、それはウチの専売だって」
「誰が?」
「クレイジーってお店のオーナーが」
「他にいたんだ」
「それで裁判やって負けたの」
「負けたんだ」
町井さんはひょろっとして、ふわっとして、ぼうっとして、まるで仙人のようだった。どんなことがあっても柳に風のような自然体。当時はよくわからなかったが、いまにしておもえばすてきな叔父さんだった。
店のOBにもユニークな人がたくさんいた。
なぜか店を卒業すると出世する、というジンクスがあり、カズオさんは某有名アパレルのバイヤーに、ヨシミさんは某大手家電メーカーの営業として、それぞれ立派なビジネスパーソンになっていった。その中でもひときわ輝いていたのがセキ●イの設計部に就職したサトウさんだ。
サトウさんは千葉の暴走族出身で、履歴書の趣味特技欄に「セックス」と書いてきた逸話の持ち主だ。一平ちゃんとも互角を張るケンカ上等キャラで、浅黒く引き締まった顔にアイパーが良く似合っていた。
とにかく豪快で、時々飲みに来てくれては僕ら後輩を連れて夜の西池袋につれてってくれた。エピソードに事欠かないサトウさんだが僕がいちばんビビったのはある晩のこと。3軒目を出て「さあ次はフィリピンパブだ」というとき、おもむろに西一番街商店街に路駐していたベンツに立小便をひっかけはじめたのだ。
マジか、と思って見ていたら向こうのほうから本職が走ってこっちにやってくる。サトウさんはいい気分で小便を終えて僕らに「さ、ユニバース(フィリピンパブ)いくぞ」なんてやっている。
ベンツに何が起きたのかを知った本職はさっさとその場を立ち去っていく僕らに向かって「おいコラァ!クソガキャア!ちょっと待てコラ!」と叫んでいる。僕は生きた心地がしなかったがサトウさんは立ち止まり振り返りざまにこういった。
「誰が行くかこのクソ●クザが!」
「てめえ事務所来いや!」
「お前が来いや!」
そこまで言うと僕らに「おい、走るぞ!」とつぶやいて北池袋方面に向かってダッシュした。サトウさんと飲みに行くと毎回ひとつかふたつ、このようなエピソードが生まれていた。
西池袋のことを思い出すと、とめどなくいろいろな思い出が脳裏に浮かんでは消える。それだけ濃い5年間を過ごしたのだろう。25歳から30歳という人生で最もがんばらなければいけない時期を、最もがんばらずに過ごしたのだからそれもやむをえないのかもしれない。