ニッセイのコマーシャル
ニッセイのコマーシャルをご存知だろうか。
いつもだいたい泣かせにくるやつだ。
自慢だがわたしはこの手の泣かせに強い。
人間ができていないのだ。
ひねくれているのだ。
すなおではないのである。
しかし、数あるニッセイのTVCFシリーズで、これだけは鼻の頭がツンとするヤツがある。
それが中村ゆりさん主演の『笑顔が大好き』編60秒である。
まあ、見てください。
この『笑顔が大好き』編にはスポットでちょくちょく流れる30秒バージョンと、日本生命が社運をかけてスポンサードする番組(そんなものがあるのか?)でもない限り地上波で見ることはない90秒バージョンもあるのだが、わたしは圧倒的に60秒バージョンを推す。
30秒は舌足らずだ。
90秒だと饒舌すぎる。
60秒の場面展開、ストーリーの運びがちょうど適当であると思う。
ではわたしはなぜこのCMにここまで泣かされるのか。
おそらく前職のことを想うからだろう。
前職は扱う商材が求人広告ということもあり、たいへん多くの女性社員が営業として活躍していた。もちろん人数は男性のほうが多いだろう。しかし比較的ローキャリアの段階で華々しい成果をあげるのは女性営業というケースが多かった。
なぜ求人広告の営業に女性が多いのか。
また活躍する(できる)のか。
その理由をここで書くとジェンダーバイアスの観点から炎上を誘発する可能性が高い。なので多くは語るまい。
古きよき昭和の感覚が発注側に色濃くあった、とでも言おうか。
あるいは女性営業のほうがクライアントへの真摯な想いを持ちやすかった、という側面もある。それを利用するのかという議論もまたあって然るべき時代である。
もちろんわたしは昔は良かったとはイチミリも思っていない。世界は、社会は、そして会社は必ず良い方向に向かって進化している。なのでもしかするといまは女性の求人広告営業など絶滅してしまったかもしれない。
しかしまあ昔は、とにかくたくさんいた。
そしてみんな、このニッセイのCMの中村ゆりさんのような感じだったのだ。
もう一度、CMを見てほしい。
息子の前では笑顔を振りまくシングルマザー
満員電車で後ろの人のリュックに押され
エレベーターに乗る頃にはすっかり疲れている
クライアントに呼び出されて歩道橋をダッシュ
客(居酒屋)の店主に怒られてひたすら謝る
肉体的にも精神的にもクタクタである
スーパーでもついぼうっとしてしまう
息子の前でもつい…
しかしふと気持ちを持ち直して笑顔に
そんな彼女に再検査の通知
おそらく婦人科系の手術が必要とされる病
入院前に息子を抱きしめる
どんな心持ちだろうか
というストーリーが、主人公のシングルマザーが、わたしにはどうしても前職に何人かいた、がんばりやさんの女性営業に重なってみえて仕方がないのである。
営業会社におけるカウンターパートの部署のトップ、というのは日々激ヅメの危機にさらされる営業メンバーからすると妙な立ち位置なのだろう。偉い人なんだけど怖くない。そんなポジショニングに安心してか、よく女性営業から悩みを打ち明けられていた。
数字数字ばかりでしんどい
朝から晩まで新規営業でしんどい
月末数字が足らないとしんどい
未達だと詰められるのでしんどい
ZD(応募ゼロ)なのがしんどい
まあ、ざっくり言ってしんどいのである。
わたしはそういう愚痴を聞くたびに、営業の苦労も知らずにこんな事を言っていた。
「俺はどんな競合よりもウチのメディアが一番いいと思っている。一人でも多くの人にウチのメディアを使ってもらいたいし、また一社でも多くの会社にウチのメディアに掲載してほしい。そのほうが転職成功するし、採用成功するから。でもまだ世の中にウチのメディアは広まっていない。そこにキミが営業活動する意義があるんだよ」
いま思い起こしても何の根拠もない、経営サイドのご都合主義的な思想の押し付けである。
しかし相手はメンタルが参っているせいか、比較的ぬるっと受け入れられたりした。そして「明日からがんばります(ニッコリ」となるのだった。
もし、悩みを持ちかけてきた女性営業がニッセイの彼女のようなバックグラウンドを持っていたとしたら、果たしてどうだろうか。
家庭でも笑顔を見せなければいけない上に、さらに職場の別部署の上司にまで笑顔を見せなくてはならないなんて。
まるで逃げ場がないじゃないか。
本当は話を聞くだけに留めておくべきだったのではないか。
余計なアドバイスなどすべきではなかったのかもしれない。
責任者の一人としては具体的な環境改善に着手するのが果たすべき役割というものでは。
そんな小さな後悔が、ニッセイのCMはおろか、いまではテレビで中村ゆりさんを見かけるだけで目頭が熱くなるおかしなメンタルを彫塑することにつながったのだと思う。
5月の大型連休が終わってはや2週間。人によっては10連休だったらしい。まさか新卒入社早々10連休取得という猛者はいないと思うが、社会人初の大型連休明けにさっそく退職代行サービスが大盛況、という報道もあった。
いま、なんとなくもう辞めたいなあ、とぼんやり思っているヤングは少なくないだろう。わたしは転職肯定派だし、いやいや仕事をやることはないだろうという考えの持ち主でもある。
しかし、退職代行サービスに申し込む前に、一度ぐらい上司や先輩に話を聞いてもらってもいいんじゃないかと思う。
直属の上司に言いにくければ、全然別部署の、なんだか話のわかりそうな上司でもいいだろう。社内にいなければ社外でも構わない(が、話のリアリティにおいてはやはり同じ会社の人のほうが盛り上がるだろう)。
聞いてもらうだけでスッキリするかもしれないし、わたしのような的外れなアドバイスではなく、正鵠を射る助言がもらえるかもしれない。実際に職場環境が改善されるかもしれない。
そして世の中うまいことできているもので、どんな時代になろうともしんどいことの先には胸を打つ思いや心が震える出来事が待っている。もしかしたらしんどいことの先にしか、泣けるほどの喜びは待っていないのかもしれない。
ニッセイのCMの最後のシーン、中村ゆりさんの涙はそれを教えてくれている。
というわけでもう一度見てください。
こんなことを書くと当のCM制作者は「違う違う、そうじゃ、そうじゃない」とマーティンばりにハスキーボイスでフシを回すかもしれないが、うるさいうるさいなのだ。