見出し画像

西新宿にて

これは願望といっていいのかどうか、その表現が果たして良いのか悪いのかもわからないのだが、僕の中にはかなり以前から「いつかホームレスになるのではないか」という観念がぺっとりと張り付いている。

ぺっとり張り付いて拭えない。

なりたいのか?と言われると、とんでもない。嫌に決まっている。にも関わらず、ホームレスとなった自分の姿が頭の中から消えることがない。だれか心理学に明るい人に解明してほしいと切に願う。夢診断でもいい。

かなり以前とはいつなのかというと、忘れもしない2000年10月2日。24年も前のことになる。

その日は転職先への出社初日であった。

僕はそれまで5年間もの間、西池袋の繁華街で人が仕事を終えて遊んでいる時間帯に働く生活を続けていた。いつも社会の底辺を這いずり回っている気分だった。そんな水商売から足を洗い、心機一転サラリーマンとして身を立て直すはじめの一歩だった。

久しぶりに朝の通勤ラッシュを経験し、他の乗客たちと一緒に改札から吐き出される形で地下道に流れついた。新宿超高層ビル群と書かれているほうには向かわず『新宿の目』を右に曲がる。

転職先へは面接で9回も足を運んでいた。
勝手知ったる新宿地下街、なのである。


1回目の面接ではその会社の代表が僕の過去を根堀葉掘り聞いてきた。彼は特に苦労話が好きなようで、当時の僕といえば苦労話であれば何ダースでも用意できたので、たいそう盛り上がった。

(採用間違いないな…)

そう思って意気揚々と帰宅したが、ほどなくして2回目の面接のお知らせが届いた。2回目は相当待たされた。30分以上待たされた挙げ句、例の代表が出てきたと思ったら、他の会社は受けていないのか、と聞いてくる。受けていません、御社だけです、と答えたらそれで面接は終了だった。

(どういうことだ…?)

訝しげに思いながら帰宅する。するとまた3回目の呼び出しだ。今度こそ、と意を決して望むと実はこの会社にはオーナーがいる、オーナーに会ってからでないと採用するかどうか決められない、という。僕はオーナーはどこにいるのか尋ねると、シリコンバレーだという。おお、さすがいまをときめくITベンチャー。

(長丁場になるかも…)

その予感は的中した。次の呼び出しで僕は代表から試験的に求人広告を作ってみないか、と言われた。ギャラはもちろんお支払いします、というので、ギャラはいらないのでぜひチャレンジさせてくださいと頭を下げた。代表は帰り際に他の会社が受かったらウチのことは気にせずそっちに行ってくださいね、と言う。

(あれ?これってもしや脈なし…?)

5回目は再び30分ほど待たされた挙げ句、代表が急用で面接ができなくなった、と事務の女の子が深々と頭を下げた。僕はその事務の子がとてもかわいいと思っていたので、いえいえとんでもない、また出直します、採用していただけるまで何度でもおじゃまします、と大げさに伝えた。彼女はちょっと笑ってくれた。よかった。

(うーむ、大丈夫かな…)

前回はホンマすんませんでした!という代表の関西弁でのお詫びからはじまった6回目の面接は場所をいつものブースから会議室に変えて、営業責任者、担当営業も交えた求人広告制作の打ち合わせであった。僕はかつて携わっていた求人広告代理店での仕事の作法と、その後に経験してきた消費財広告の打ち合わせ手法をミックスして、その場を乗り切った。

そして自宅でみかん箱をデスク代わりにして求人広告のコピーをこしらえた。翌日深夜、テキストをファイルにしてメールで送信。ダイヤルアップ接続というのどかな時代だった。

(これでいよいよ決まりか…)

そんなふうに思いつつ、呼び出された会議室では代表と営業本部長が待ち構えていた。原稿の仕上がりについて合格である旨と、報酬として5万円振り込むので口座を教えて欲しいと言われた。そしてなんと、帰ってよしというではないか。

その会社のオフィスは22階だったが代表は毎回必ず1階のエントランスまでお見送りをしてくれていた。僕はその日、思い切ってエレベータの中で代表に採用の見込みがあるのかどうか聞いてみた。

「オーナーがまだシリコンバレーから戻ってへんのですわ、すんまへんなあ」

僕は家に帰り、オーナーがシリコンバレーにいるという話を聞いた妻が買ってきてくれた『シリコンバレーへ行きたいか!』という本を読んでひたすら連絡を待った。するとある夜、一通のメールが届いた。

「大事なことを確認し忘れていました。希望年収を教えてください。選考の判断材料にします」

1行だけのそっけないメールだったが、僕にとっては運命を分ける大事な内容である。前職の年収は500万円だった。悪くない金額である。同じ職種にスライドするなら同額か少し色をつけて貰いたいのだが、なんせコピーライターとしては5年のブランクがあいている。

希望年収をいくらに設定するか、悩みに悩んだ。あまりに悩んでいる僕を見て妻は、その会社に入りたいならギリギリまで下げたらいい、と言ってくれた。パートをもう一つ増やせばいいから、と。そこでふたりであらためて最低限の生活費を計算し、そこから弾き出した金額で返信した。

送信ボタンを押す時、南無三、と祈った。これでダメなら荷物をまとめて田舎に帰ろうと思った。30分後、ちょうどよかったです、われわれの想定年収にピッタリでした、という返信が返ってきた。首の皮一枚で繋がった気がした。

ようやく最終選考ということで、オーナーとの面談に臨むことになった。ちょっと癖のある人ですが普段通りで接してみてください、と背中を押す代表。もとより飾りようのない僕は、やや緊張気味にオーナー室の扉をノックした。


そしてそれから2週間後の10月2日、僕は慣れた足取りで『新宿の目』の手前を右に曲がる。スバルビル、と古めかしいフォントで書かれた看板を横目に新宿エルタワーの地下道を経由して地上へ出る。眼前に安田火災海上本社ビルがそびえ立つ交差点。青信号を待ちながら、まだ真新しさの残る新宿アイランドタワーを正面に見る。

今日からあそこが俺の職場か、と思ったその瞬間。脳内で、ある映像がリアルに動きはじめた。

俺はボロボロの作業着を着て大勢の労務者とともにマイクロバスに乗っていた。車内は酒と汗と場外馬券場のようなすえた臭いで充満していた。

隣の小柄なネズミのような男が「おいみんな聞けよ、あのでけえビルでトシちゃんは働いてたんだってよぉ。信じられねえよなあ」とアイランドタワーを指差しながら大声でまくし立てている。

「な、トシちゃん、そうなんだろ?な?」とネズミ男は俺の肩を叩いてくる。俺はそうだよ、30代から40代の働き盛りのときはあのビルに通っていたんだ、毎日だぜ、と鼻の穴をふくらませながら答えている。

(そうなんだよ、俺はなあ、その昔なあ、あそこで働いてたんだ。本当だぞ、ちくしょう。なんか文句あるか…)

そのまま労務者たちを乗せたマイクロバスは猛スピードで新宿中央公園の交差点を右折し、甲州街道へ出ていく。

ここでその映像は終わる。

なぜ僕がトシちゃんと呼ばれているか、なぜ労務者なのか、まったくわからない。だが妄想が消えたあともしっかりと、俺はいつかこの会社を辞めることになるんだろうな、という確信が残った。今日、これからが入社第1日目だというのに。

そしてマイクロバスに乗っているトシという名前の俺は間違いなく孤独なホームレスである、というザラッとした実感もいつまでも消えることはなかった。


その日から13年後、僕は会社を辞めた。

幸いなことに、まだ帰る家はある。
帰りを待ってくれる人もいる。犬もいる。

書店で「思考は現実化する」といった類の本があると、なんとなく避けてしまう癖が染み付いて拭えない。

世の中には現実化してほしくない思考もある。

いいなと思ったら応援しよう!