ファンマーケティング(の、うんと手前の横道に逸れたところ)を考える
いきなりで恐縮だが、わたしはいま仕事で「推し」とは何か、知見を深めるべく研究をおこなっている。
ゆくゆくはファンマーケティング、ファンビジネスの領域へと発展することになるのだが、まずはその原点である「人はなぜ推しが必要なのか」もっといえば「誰の心の中にもおたくなるものは存在するのか」というイシューと向き合っているのだ。決して異臭ではない。
その研究の中である法則を発見した。
いや、発見したというよりまえから知っていたがあえて目を逸らしていた事実といったほうが正しいかも知れない。
今回は盆休みにも関わらず特に用事もなく暇をもてあましてるわたしからみなさんに、ファン心理の不思議というか1/3の純情な感情についてレクチャーしたいと思う。
テーマは「おたくはある特定の隣接領域に侵食する」である。
プロレスとヘビメタ
世にプロレスおたくという存在がある。実は私も20代のある時期、プロレスに相当のめり込んでいた。どれぐらいのフリークぶりかというと、ファン以上おたく未満だ。
具体的には週刊プロレスの『年始特大号・全団体登録選手名鑑』を耽読し、全日や新日のメジャーを筆頭にFMW、WARといったそこそこ動員数を稼げる団体、さらにみちのくプロレス、大日本、そして埼玉プロレスや格闘探偵団バトラーツといったインディーズまでひと通りの団体勢力図、所属選手を頭に入れていた程度だ。
サバイバル飛田VS空き缶ポイ捨ての怒りボーキサイトミディアムの死闘やトンパチ折原昌夫、プロレスバカこと剛竜馬の所属するパイオニア戦志…このあたりになるとタイプするだけで熱いものがこみ上げてくる。
ほとんどの人が何が書いてあるかわからないと思うが、これがおたく一歩手前ということである。
そんな若き日のわたしがプロレス会場に足を運ぶと必ず目にするもの。それが会場に集うプロレスフリークたちの着るヘビメタTシャツである。
アイアン・メイデン、ジューダス・プリースト、ドッケン、メタリカ、オジー・オズボーン、スコーピオンズ…年季の入ったプロレスマニアたちはひとり残らずヘビメタTシャツを着ていた。
なぜプロレスおたくはメタルTに身を包み、拳を振り上げて応援に声を枯らすのだろうか。
わたしはここに『強き者への憧憬』を見出さずにはいられない。
プロレスマニアの多くは当然プロレスラーのような強さは持っていない。むしろ持っていないからこそ憧れるのだ、ジャーマンスープレックスに、バックドロップに、ブレーンバスターに。
たとえば阿修羅・原のエピソードなど、部活は帰宅部、家ではアニメ、雑誌は週プロ、妄想上の恋人は全女の府川由美、という爛れた生活を送るプロレスおたくにとっては眩しすぎて白内障をひきおこしかねないだろう。
同様にヘビーメタルという音楽ジャンルも激しいディストーションギター、ラウドなベース、深銅スネアのハンマービートなど「強さ」を前面に出している。学校では控えめな性格の女の子が実はヘビメタファンだったりするとギャップ萌えすらひきおこす。
ゆえにプロレスとヘビメタは実にわかちがたい親和性を保ちながら美しき相互理解を深めているのである。
萌え絵と走り屋
この夏もコミケが私の住む街にやってきた。コミケがやってくるとりんかい線「国際展示場」駅がすごいことになる。壁に、床に、天井から、エスカレーターまでありとあらゆるスペースにおびただしい量のアニメやゲームの広告が掲出される。
そんなコミケに絡んで、ここ数年ひとつ気になることがある。
コミケ会場周辺にはさまざまな宿泊施設があるが、その中のひとつにヴィラフォンテーヌというまあまあ安くはないホテルがある。安くはないがインターコンチネンタルやヒルトンほど高くないので、コミケ参加者にも愛用されているようだ。
わたしは以前、開催日の夜にうっかりこちらのホテルの地下駐車場に足を踏み入れることになった。するとどうだろう、他府県ナンバーの高級外車がひしめいているではないか。それだけならばまだいいが、一部のクルマは痛車と化していた。
「こ、これは…」
わたしは「ウマ娘」「アイマス」「初音ミク」が極彩色で大きく描かれた高級外車たちを見て首をひねった。
『おたくの富裕層化が進んでいるのか、それとも富裕層のおたく化が進んでいるのか?』
そして今年もまた、開催2日目の早朝から有明の街を爆音を轟かせて何台もの痛車が疾走していた。高級外車以上に『GT-R』や『スープラ』『レビン』といった往年のスポーツカーが目立っていた。しかも一様にチューニングが施されている。
なぜ(アニメ・ゲーム)おたくは走り屋に走るのだろうか。なぜエンジンスワップを施したりロールケージを装備した本格チューンドカーを萌えキャラで飾るのか。
わたしはここに『肥大化した承認欲求』を見出さずにいられない。
アニメやゲームおたくの中でも特に美少女キャラにのめり込む層は、自分の推しに対して恋愛感情を抱くものである。恋愛感情の中で最も強い反応を示すのが独占欲だ。つまり、アニメやゲームのキャラを自分のものにしたい。できれば独り占めしたい。
そんな思いが自分を体現する所有物の中でも自宅の次に大きく、また他者への影響力も強いアイ・ラブ・マイカーつまり自家用車にキャラの絵を描いてしまうのである。
同時にその愛するキャラが描かれるキャンバスは最高の舞台でなければならない。クルマにおける最高の舞台化といえば、チューンアップにほかならない。
こうして今日もカリッカリにチューニングされたGT-R(の痛車)やAE86(の痛車)やスープラ(の痛車)やAMGベンツ(の痛車)が首都高4号新宿線の参宮橋カーブに、5号池袋線熊野町JCTに、大橋ジャンクションの無限ループに、曲がりきれない速度でツッコむのである。
停めて目立つ、走って目立つ、ぶつけてなお目立つ。
事故処理担当の警視庁高速道路交通警察隊の隊員が同好の士であることを祈らずにはいられない。
フィリピンパブと単語帳
自慢ではないが私はフィリピンパブにハマったおっさん(同年輩も含む)を二桁以上知っている。彼らは立派なおたくである。
彼らがフィリピンパブにハマるきっかけはいつだって突然だ。
取引先(この場合、間違いなく零細企業)の接待で、あるいは馴染みの居酒屋の兄ちゃんに誘われて。平和な日常に落とし穴はある。落とし穴は隠されているから、落ちるのだ。
彼らは最初は一様に「いやオレはいいよ」「オレああいうの好きじゃない(気をつかって嫌いとは言わない)」など抵抗を示す。そしてその態度は入店後もしばらく続く。
そんな態度の客をなんとかほぐそうと、楽しんでもらおうと、タレントたちは持ち前のホスピタリティをいかんなく発揮する。
あっという間に2時間が過ぎ、彼らは「オレ、延長していくんで。あ、今日の支払いは今度また」という誘い主を置いて店を出る。まったくしょうがねえなあ、というのがその時の偽らざる感想だ。
しかし、翌日。
彼らは職場でなんとなく、ボワーンとしてしまう。こうなったらおしまいである。前夜のパブ遊びを知っている同僚や後輩が「昨日どうだった?」なんて聞こうものなら真っ赤な顔して否定の嵐。しかしその実、心の中はほんのりあったかい。もうダメだ。
彼らが再度、パブの扉を開けるのに1週間はいらない。これは断言できる。
さて、そんなふうにフィリピンパブにハマった彼らはおたく特有の行動に出る。圧倒的な知識欲にかられるのである。フィリピン国家のなりたち、悲しい歴史、文化。通貨、地名、自然、男性の気質、女性の気質、そして恋愛観…
彼らは砂漠のスポンジの如くさまざまな知識を吸収していく。
そんな彼らが次に手にするもの、それが『単語帳』だ。
彼らは一様に単語帳にタガログ語を書き、その裏に日本語訳を書く。そしてそれを交互に眺めながらつぶやくのだ。
「マハルキタ」「マガンダンババエ」「グストコンマイヤックサルンコ」…何か呪文でも唱えているかのようなおっさんたち。
なぜ、フィリピンパブにハマるおっさんは単語帳を手に取るのか。小さな紙をめくりながらうっとりして呪文を唱えるのだろうか。
私はここに『コミュニケーションへの渇望』を見出さずにいられない。
フィリピンおたくの多くは、ごく一部の例外を除いてみな一様に女性からモテテもてて困るタイプでは残念ながらない。彼らに共通しているのが女性に対する思いやりが過剰なぐらい強すぎることである。どこまでもやさしいのだ。
そんなやさしさ紙芝居が惚れた相手と心を通わせたいと思うことを止めることなど誰にできるだろうか。もちろん敵も世界トップクラス、ホスピタリティの金メダリストだ。表情も豊かだし、ボディランゲージ、カタコトの日本語でなんとかやりとりしようとしてくれる。
しかしその姿がまた、フィリピンおたくの心を打つのである。そうして彼らは、彼女たちと真のコミュニケーションを交わすために日々、英単語帳を比単語帳にカスタマイズした自分だけの「言葉のラブ・パスポート」を手に、言語習得に励むのである。
夏休みが暇すぎてつい、4000字を超えるロング文章(ロン文)になってしまったが、いかがでしたでしょうか。
この3つの事例の他にも「ソロキャン✕バイク」「鉄道✕サウナ」「ミリタリー✕カレーライス」などさまざまなファンコミュニティにおける謎の親和性があります。
とりあえずここまでの事例から導き出せる結論は、ファンコミュニティを起動させるために欠かせないのは一見くだらないと見落としがちな人間のデザイアをきちんとすくい上げることが必要である、ということですね。
憧憬、承認、渇望。
これはどうなんだろう、AIにできんのかな。ある一定の計算式を入れればできなくはないだろうけど、でもなんか目の荒いザルからこぼれ落ちるようなところにコクのある、そして長続きするファンコミュニティができるんじゃないかと思うんだよなあ。どうでしょうね。
どうでもいいか。